「日銀国債引受け無効論」に欠落した視点
国債を日銀が引き受けても財源とはならないという議論があります。
ところがこの議論、重要な視点が欠落しているようです。
国債を日銀が引き受けても財源とはならない、という考え方はそう突飛な考え方ではなく、池尾和人・慶応大学教授や岩本康志・東大院教授らもそうした主張をしています。*1
国債日銀引受け無効論を簡単に言えば、「なるほどデフレを脱却するときには日銀が国債を引き受けて一見財源が生じたかに見える。ところが金利が正常化する過程で、日銀が国債を売る出口過程を考えると、”行って来い”になって財源は生じていない」ということです。
筆者としましては、この主張自身に反論する気はありません。
ただこの主張には重要な視点が欠落しているように思えますので、それを述べたいと思います。
図表1は経済主体別の純資産・純債務の推移を示しています。
家計純資産は企業・政府の純債務の増加に伴って増加する
図表1経済主体別純資産・純債務推移
出所:日銀資金循環統計 海外純債務は日本の純資産に等しい。
企業純債務はバブル崩壊後(90年頃)から増加が止まり、
デフレ化(95年頃)から減少に転じている。
政府純債務はバブル崩壊後も低位を保ったが、デフレ化後に急増し始めた。
図表1で、企業純債務(b)と政府純債務(c)を足したもの(b)+(c)は家計純資産(a)と並行して増加しています。 *2
これは何を意味するのでしょうか。
現代の不換紙幣は、金(gold)のような正貨の裏付けはなく、裏付けは債務です。
要するに家計が順調に資産を増やしている背景としては、企業・政府・海外の債務こそが、資産となるマネーの裏付けになっているんですね。
→このちょっと聞くと不思議な話の詳しい内容は国の債務を全て返済すれば何が起きるのか - シェイブテイル日記 をご覧ください。
管理通貨制度では債務と釣り合う量のマネーが存在するのみ
ところが、デフレ環境となると、実質金利が上がりますし将来の売上予測も不透明ですから、借金して(いわゆるレバレッジをかけて)経営を拡大しようとする企業は減り、実質負担が増加する債務を返却しようとします。(図表1の95年以降の企業純債務の減少)
レバレッジ経営をしませんから、利益額は減り、政府の税収が減ります。
ところが社会保障費・公務員人件費などあらかじめ決まった歳出は簡単に削れませんから、政府は借金つまり国債を発行して税収を補います。その結果政府債務がデフレ下に急増します。(図表1の95年以降の政府純債務の増加)
言い換えれば、企業が債務を負うのが自然な経済の姿なのに、デフレがそれを歪め、政府に「マネーの裏付けとしての債務」の肩代わりを強いていることになります。
つまり、デフレさえ脱却すれば、90年以前のように、企業が債務を引受け、政府の債務引受けは減じることができるのです。
国債を日銀が引き受けることでデフレ脱却ができれば、流動性の罠から出て、企業が債務の引受け手として復活します。
国債日銀引受け無効論では、思考のフレームを政府と家計に絞ったために、企業が債務を持つことでマネーが生成するという事実を見落とし、「行って来いで無意味」という結論となっていますが、国債を日銀が引き受けることが中期的な財源となる必要など元々なく、短期的にデフレ脱却の原動力になってくれればそれで良いということです。
80年前の昭和恐慌時の高橋財政でも、日銀が国債を引受けた時、短期間にデフレ脱却しましたが、その日銀引受け国債の9割が市中消化されたという事実があります。
また、1割部分はデフレ脱却後も日銀が保有しっぱなしであり、「一旦買い入れた国債は全額売却せねばならない」という無効論者による前提も絶対的なものではないとも言えます。
国債を日銀に引き受けさせることでデフレ脱却できるのに、「行って来いだから無意味」というのは論点がずれているといえるでしょう。
また、今回の消費税増税のように、反対給付が十分ではなく、無理やり政府債務を減らそうとする政策は、ただちに家計資産を減らすデフレ圧力となることもご理解いただけるかと思います。
*1:池尾和人「既視感が漂うデフレ脱却論議
岩本康志「復興国債の日銀引き受けはそもそも財源か?」
*2:家計純資産(a)と(b)+(c)の差額は、海外純債務と金融部門の純資産の和に等しくなります。