シェイブテイル日記2

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あなたのMMTはレイ型?それともミッチェル型?

昨日のエントリーではレイの「MMT現代貨幣理論入門」の内容から、MMTとは何かを考察しました。本日もその続きから。再度引用します。

ーーーーーーーーーーーーー(レイ「MMT現代貨幣理論入門」p477)

ある面において、MMTアプローチは「説明的」である。MMTアプローチは、主権通貨がどのように機能するかを説明する。我々が、キーストロークによって支出する政府について述べ、主権通貨の発行者が貨幣不足に陥ることはあり得ないという時、それはやはり「説明的」である。 国債売却を、中央銀行金利誘導目標を達成するのを手助けする金融政策の一部に分類することも「説明的」である。そして最後に、変動相場制が最大の国内政策余地を与えると論じる時、これもまた「説明的」である。

 

一方、機能的財政論は「規範的」な政策の枠組みを提供する。機能的財政論は、主権を有する政府は完全雇用を達成するために財政・金融政策を運営すべきという。

(中略)

就業保障の提案(注:いわゆるジョブギャランティプログラム、JGP)をMMTアプローチに含めることについては、議論が分かれている。MMTは純粋に「説明的」であるべきで、いかなる政策も推奨すべきでないと主張する者もいれば、就業保障プログラムは最初からMMTの一部だと主張するものもいる。

我々は20年前にMMTアプローチを展開し始めたが、最初から就業プログラムを取り入れていたので、実のところは後者が正しい。(後略)

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「説明的」、あるいは「記述的」(descriptive)とは、現実を観察して「こうである」と客観分析すること。一方の「規範的」(prescriptive)とは、いわば「こうあるべき」という理念といったところです。

このMMTの教科書を書いたレイは上記の通り、MMTの説明的部分と規範的部分は不可分という立場ですが、同じくMMT創始者のひとりであるビルミッチェルは、JGPには賛成の立場でありながら、

MMTが論ずるのは『現実が何か』であって、『現実がどうあるべきか』ではない」

としています。

econ101.jp

 

つまりビルミッチェルにとってはMMTとは「記述的」部分を指し、「規範的」なJGPは賛成ではあるが、MMTの議論を越えた政策論ということなのでしょう。

MMT創始者間でもMMT現代貨幣理論の中にJGPというひとつの政策を入れることには賛否があるようです。

 

さて、「MMTは貨幣の地動説」というのは国会での西田昌司議員の喩えですが、常識であった「預金があるから借金できる」「家計預金があるから国債は消化できる」という話はデタラメであり、実際には「誰かの借金と同時に預金が同額生成する(=万年筆マネー)」「国債があるから後から同額の民間預金が生まれる」という大きなパラダイムシフトから、MMTはまさに貨幣地動説とよんで差し支えないでしょう。

 

話は飛びますが、コペルニクスが発見した本来の「地動説」にまつわる話を。

コペルニクスは1473年ポーランドに生まれた人で、若くして聖職者としての知識をみにつけるため、1496年イタリアのボローニャ大学に留学し、当時聖職者に必要だった暦を読み解く技術向上のため天文学も学びました。

当時の天文学は紀元2世紀にプトレマイオスによって著された「アルマゲスト」に記載された天動説が信じられていました。

コペルニクスは星食や惑星大集合といった当時の天文事象の観測事実がアルマゲストからの予測と合わないことから1500年代の初頭には地動説のアイディアに行き着いていました。

ところが、キリスト教に結びついていた天動説の手前、地動説の公表は控え、1514年のローマ教皇による改暦に協力する要請も断ったといわれています。

コペルニクスの最晩年の1540年代、地動説を仮説として公表するも、今度はローマ教皇に無視されてしまったとか。

コペルニクス死後の1582年にはグレゴリウス歴への改定が行われ、この改定には地動説の成果が取り入れられましたが、その後地動説を確立し万有引力の法則も発見することになるガリレオでさえ、1500年代終わりでも私的な書簡の中でのみ地動説を肯定していたそうです。

 

当時の天文学でいえば、「地球は太陽の周りを回る」は「説明的」ですが、「キリスト教に従えば、太陽は地球の周りを回っていなければならない」は「規範的」ですね。

 

コペルニクスが地動説を発見した経緯を考えれば「コペルニクスが聖職者でなければコペルニクスは地動説を発見し得なかった」というのは事実でしょう。

しかし、地動説はキリスト教という枠組みの中の規範に反するという理由で地動説の活用が遅れたというのもまた事実ではないでしょうか。

 

MMTに話を戻せば、 ランダルレイが経済左派でなければMMTの発見もなかったのかも知れませんが、MMTには経済左派の、しかも特定の政策がビルトインされていないといけないというのはどうなんでしょうか。

 

地動説にしても貨幣地動説にしても、「記述的」事実と思想背景から来る「規範的」な結論は意識的に切り分けられている方が実りが多いと思うのは私だけでしょうか。

 

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ということで、この点について、Twitter内でみなさんの認識を伺ってみました。

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https://twitter.com/shavetail/status/1169944930514423808

 このアンケート結果をみると、ビルミッチェル型のMMTの「説明的」はひとつ、「規範的」は多様であるべき、という認識の方が約5割と多いようです。

教科書を書いたレイ型の、MMTの「説明的」「規範的」は共にただひとつであるべき(=MMTJGPという政策も含むので、JGPなしのMMTは存在しない)という主張は1割でした。

MMTの「説明的」部分も複数あり得るというご意見が約1割ありますが、これは投票していただいた方々に意図するところを伺いたいところです。

なお、「説明的」「規範的」という用語の意味がわからないという方も3割いらっしゃいますが、恐れ入りますが、前日および本日のエントリーを参照していただければとおもいます。