シェイブテイル日記2

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ケインズは他の経済学者と何が異なっていたのか

リーマン・ショック以降、ケインズ経済学の見直しがなされています。
実際、4兆元(当時56兆円)の財政出動を行った中国ではリーマン・ショックの悪影響は余りみられず、少々遅れて財政政策を金融政策と併用した米国は既に金利を上げる準備を始めています。 

これに対し、日欧では財政政策の効果に目を向ける経済学者は限定的で、またいまだにデフレの危機が去らず、シェイブテイルとしてはそれが不思議でした。

その答えの糸口となる文章が「何がケインズを復活させたのか」に記載されていました。*1

十九世紀のフランスの数学者、レオン・ワルラスは経済を連立方程式によって考えた。このように経済を一種の機械装置だとみる考え方が、いまでも経済「モデリング」の基礎になっている。

ロバート・ルーカスは自分の研究について、「互いに作用しあうロボットで構成される機械的で人工的な世界を構築しょうとしており、経済学では通常、こうした世界を研究する」と語っている。ブロワ・マンデルプロによれば、経済理論のかなりの部分は物理学そのものであり、用語を変えただけだという。

経済学者は、ニュートンがいう「釣り合いのとれていない力」に似た「撹乱」がありうることを否定しないが、完全雇用の均衡状態こそ「正常な」状態だと考えるべきだとしている。
 振り子に外部の力がくわわってもやがて静止する点に戻るように、経済も「ショック」を受けた後、この状態に戻る傾向があるというわけだ。ケインズが語ったように、経済は長期的にみて自己調整するとされているが、その間には「きしみやうなり声や痙攣があり、タイム・ラグや外部からの介入や間違いがある」。
だが、経済理論で扱うべき点は、均衡をもたらす「一貫した」力であって、均衡を撹乱する一時的な力ではないとされてきた。

ケインズはこの方向への分岐点として、十九世紀に二人の経済学者が交わした書簡でのやりとりを好んで取り上げている。

 1817年に、リカードが友人のマルサスへの書簡にこう書いている。
(リカード:我々の)意見の違いが起こる大きな原因は、… 
貴兄がいつも具体的な変化が与える直接的で一時的な影響を考えているのに対して、わたしがそうした直接的で一時的な影響を脇において、そこから生まれる恒久的な状態にいつも注意を集中していることにあると思えます。

マルサスはこう答えている。

 わたしは確かに、あるがままの現実について触れることが多く、自分の著作が社会に実際に役立つようにするには、それが唯一の方法だと考えています。

それに、社会の進歩は不規則な動きの積み重ねなのであって、8年から10年にわたって生産と人口の伸びを大きく刺激する要因や、逆に大きく抑制する要因を考慮しないのであれば、国の豊かさと貧しさの原因を研究の対象外にすることになると考えています。(ここまで二人の書簡)
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ケインズは、マルサスの側についている。 

古典派、新古典派、更には新ケインズ派と続く系譜は、リカードからワルラス、ルーカス、そして現代経済学の主流派へとつながります。経済を連立方程式として解くことが当然視されますが、そのモデリングの中でのリスクは何らかの確率分布、つまり性格が完全に理解された式で「理解」されてしまいます。

一方、マルサスケインズは、経済を安定的均衡とその逸脱とは看做さず、経済の動きそのものの理解に努め、実際の経済の数学化にはほとんど何の関心も持ちませんでした。

現代ではニューケインジアンMMTなど財政政策や名目GDPに強い関心を持つ経済学派もあり、積極財政派と同一視されがちなオールドケインジアンに近づきつつあるようにもみえます。

ただ。
ケインズも当時の正統な経済学はわずか1年しか学んでいなかったそうです。
その一方で、経済実務家、あるいは投資家としては多年の実績を持っています。

リーマン・ショック時の金融政策で、大いに参考にされたウォルター・バジョットもまた無名といって良い経済学者でしたが、バジョットルールの概念が記された「ロンバード街」という著作があるように金融界には精通していました。*2

 全くもって浅学な私が知る範囲では、現代マクロ経済モデルでは市場経済を何らかの方程式として理解しようとし、リスクは確率分布として記述しようとします。
本質的に、計算可能なリスク(risk)と、予測不可能な不確実性(uncertainty)は全く別物ですが、マクロ経済モデルでは後者を前者の一部と考えようとする誘惑から逃れられないように思えます。

しかし投資家・ジョージ・ソロス氏は次のように市場を捉えています(自己強化、再帰性)。

1.市場はいつもある方向にバイアスしている。
2.市場の現在の状況は、市場の将来の展開に影響を与える。


 私は投資家でもありませんが、金融市場のみならず、実物市場でも価格は不安定で、経済学者の市場観より、均衡で捉える見方に否定的なソロスの市場観の方が違和感はありません。
 市場の中で「ファンダメンタルズ」に基き、価格を算定するのは自由ですが、その「ファンダメンタルズ」から常に外れるのが市場経済なのです。しかもそこでの価格が価格決定に影響するポジティブフィードバックのような世界です。 とても均衡などとは呼べず、ファンダメンタルズは誰もみたことも触ったこともありません。だからこそ、格付け機関の格付けなど全くアテにはならないのでしょう。

その一方で、政府・中央銀行は好きなときに好きなだけの流動性を、金融機関(マネタリーベースとして)または実体経済(名目GDPの一部、政府支出として)提供できるのです。 

この観点でケインズ風に言えば、「市場は制御できない不均衡な特性を持つが、不足した総需要は政府・中央銀行で補える」と言えるでしょう。

私シェイブテイルは財金併用派を自称しています。
その名が、別に高橋是清派でも◯◯ケインズ派でも何でも良いのですが、経済政策は自分の信念によってではなく経済状況によって選択すべきという意味で自称しています。
 ケインズ高橋是清同様、常に融通無碍に状況を選んで政策を提言・実行しています。
 よくあるオールドケインジアンに対するイメージのように、財政政策を常に推進すべきなどというのはまた別の信念でしょうけれど、他の経済学の信念同様、実際の経済状況もみずにその信念だけで経済が常に良くなるとは到底思えません。

それはともかく、パソコン画面上のモデルでの「均衡」から離れて、均衡とは程遠い市場経済を直視し、同時に政府の金融・財政機能を直視するならば、多くの経済問題は解決可能に思えます。 

なにがケインズを復活させたのか?

なにがケインズを復活させたのか?

[他に参考にした文献]
中央銀行は闘う
資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす
誰がケインズを殺したか―物語・経済学
ケインズ―時代と経済学 (ちくま新書)
ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)
不況のメカニズム―ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ (中公新書)
21世紀の貨幣論
信用恐慌の謎―資本主義経済の落とし穴
マネーを生みだす怪物 ―連邦準備制度という壮大な詐欺システム

*1:「何がケインズを復活させたのか」ロバート・スキデルスキーp128

*2:バジョットルールとは19世紀イギリスの、ウォルター・バジョットが提案した流動性の危機に対しての中央銀行政策のルール。中央銀行が最後の貸し手として積極的に行動すれば、危機は終息する、というもの。