他国と異なる日本のドーマー定理
不思議な話なのですが、畑農鋭矢教授(明治大学・商学部)のリサーチによれば、日本の財政問題で頻出するドーマー定理(ドーマー条件)は、1940年代にE.D.Domarが提唱した説とは似ても似つかないものに入れ替わっているということです。
事実であればまったくミステリー小説顔負けの話ですが、畑農氏のブログを元にことの成り行きを書いてみます。
現在ではドーマー条件とは次のように説明されています。
1940年代に経済学者のE・D・ドーマーによって提唱された定理。名目GDP成長率が名目公債利子率を上回れば財政赤字は維持可能であるという内容の定理である。 (注:こちらをDCと略記する)
ウィキペディア「財政再建>ドーマー条件」
ところがもともとドーマーが述べたドーマー定理とは次のようなものでした。
毎年の国債発行がGDPの一定割合に留まるならば、国債残高の対GDP比は一定の値に収束し財政破綻は生じない。 (注:こちらはDTと略記する)
畑農鋭矢教授ブログ もう一度考えなおしてみよ June 6, 2011
なぜこのように、DTからDCへと定義の不思議な入れ替わりが生じたのでしょうか。
詳細は上記畑農教授のブログを読んでいただくとして、それを簡単にかけば次のような流れだったようです。
・ドーマー教授、「ドーマー定理」(DT)を提唱(1944年)
・DTが財政学教科書に載る(1970-80年代)
・米原・荒両氏がDTの検討の経緯で新ドーマー条件(DC)を提唱
(ただし、両氏はこの段階で新ドーマー条件などと紛らわしい名前は使っていない)
・大蔵省、米原・荒両氏のDCを「修正ドーマー条件」と称して財政危機を煽る(1982年7月-)
・鈴木善幸首相「財政非常事態宣言」(1982年9月)
・参議院会議録 第101回国会 大蔵委員会 第20号に 「修正ドーマー理論」の記述(1984年)
・財政学の教科書でドーマー条件の名のもとにDTとDCが併記され始める(85年−90年代)
・初の消費税導入(1989年)
・ドーマーが提唱したドーマー定理DTが財政学の教科書から消滅(2000年頃までに)
・消費税増税(1997年、2014年)
驚くべきことに、1982年7月には大蔵省(当時)は米原・荒両氏の提唱した財政健全化指標を「修正ドーマー・モデル」と称してマスコミに流し始めたようです。
大蔵省の“修正ドーマー・モデル”によると、国債金利の水準が成長率を上回る状態が続くと国債残高は増加の一途をたどる。
「大蔵省、利上げ圧縮へ新理論
――国債の金利水準が名目成長率上回ると財政破たんへ」
日本経済新聞1982年7月30日(朝刊)3ページ
そして同年9月には鈴木善幸首相がこのままでは国債の返済が危ういと「財政非常事態宣言」をおこないました。
当時の政府債務はわずかに170兆円。 対名目GDP比も60%程度で、現在日本の240%は言うに及ばず、財政危機を政府が問題視していない米・英の100%強にも遠く及ばない、財政危機には全く遠い状態にもかかわらずです。
そして1989年には大蔵省悲願の消費税導入に踏み切り、その後の歴代政権は小渕内閣を除き緊縮財政に終始しました。
その結果は世界経済史上類を見ない20年デフレ。
その間国民の平均所得は右肩下がりとなり、企業は債務返済に努め、財政健全性指標・政府債務対GDP比240%の現在、というわけです。