シェイブテイル日記2

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貨幣は交換価値しか持たない

先に書いた壺算用と料金紛失のお話につきまして、シェイブテイルなりの解き方を書きたいと思います。
  壺算用と料金紛失 - シェイブテイル日記 壺算用と料金紛失 - シェイブテイル日記

こうしたお話は、勿論解法がいくつかあり、通りすがり様からコメント欄に書いていただいた解法も正解のひとつではないでしょうか。

シェイブテイル版の解法は、貨幣の価値との関連した解き方です。

先日このブログで、金匠手形から発達した紙幣は汎用引換証だというお話を書きました。
    マネーの本質からみたインフレ目標政策の妥当性 - シェイブテイル日記 マネーの本質からみたインフレ目標政策の妥当性 - シェイブテイル日記

 商品・サービスは使用価値(便益)と交換価値を持ち、貨幣は交換価値だけもつものと考えてみましょう。
この考え方は、現代の紙幣が金貨などとことなり、単に紙にインクで額面と模様を書いたものであることから、それほどおかしなアイディアではないと思います。*1

◯壺算用
 さて壺算用のお話を少々改変して、買い手の源さん達は二円のおカネではなく、「一荷入りの壺引換証」を持って壺屋に行ったとします。
引換証をもらった壺屋は、「一荷入りの壺引換証」と交換して一荷入りの壺を源さんに渡します。

しばらくして、源さんが壺屋にとって返し、「この一荷入の壺と、さっき渡した引換証で、ニ荷入りの壺と交換してくれ。」
と交渉したとすれば、壺屋は「んなアホな。さっきの引換証はもう用済みの紙切れでっせ。」とすぐ反論するでしょう。

「一荷入りの壺引換証」も交換価値だけを有するのですが、交換の対象は一荷入りの壺に限られます。
一方、貨幣の交換価値には汎用性がありどの商品・サービスとも交換可能です。

壺算用の話が、多少混乱を招くのは、「一荷入りの壺引換証」とは異なり、二円は壺との交換により所有者が変わるものの、相変わらず交換価値を保持していることです。 誰の保有する交換価値かを意識しなければ、源さんの持って来た一荷入りの壺と壺屋の二円を足して、四円の壺を源さんに渡してしまいかねないというわけですね。

◯料金紛失
 料金紛失の話は、食堂で提供された料理の使用価値(便益)は一旦脇に置いておき、お客が持ってきたおカネのゆくえだけを考えれば、お客が持ってきた3,000円が、店主に2,500円、お客に300円、くすねた給仕に200円に配分された、ということに過ぎません。

ここで、交換価値(=おカネ)に、人ごとに主観的に異なる料理の使用価値を足そうとすると話は混乱します。

お客にとっては料理の使用価値は交換価値(=おカネ)として3000円、ないしそれ以上の価値があるので、料金3000円を支払いました。ところが、店主にとっては、同じこの料理の交換価値は2,500円ないしそれ以下であるため2,500円に値引き可能だったわけです。

現代の貨幣には交換価値だけが存在する。 *2
貨幣の客観的な交換価値と、商品・サービスの主観的な使用価値は足しあわせることができない *3

壺算用の解法と称して、シェイブテイル版・貨幣の価値の話になってしまいました。
ただ、筆者としましては、貨幣の価値として古典的に語られる貨幣商品説と貨幣法制説がどちらもしっくり来ないものがあり、「貨幣は交換価値しか持たない」という貨幣交換価値説を掲げてみました。

*1:使用価値・交換価値ということばはマルクス経済用語ですが、ここでの議論はそれ以上マルクス経済学とは関係しません。

*2:昔の秤量貨幣などは商品の性質も色濃く、使用価値も併せ持っていました。

*3:勿論貨幣の交換価値と、ある値札がついた商品の交換価値は足し合わせることができますが。