経済学とは何だろうか(書評)
経済学者青木泰樹氏の著書「経済学とは何だろうか」は、私たち現代経済学を鳥瞰したい人に、興味深い観点を提供してくれています。
青木氏は「経済学とは富士山のような単独峰とは捉えてはならず、山塊のようなものと捉えるべき」と説いています。その山塊も、ふたつの山塊といえるようです。
経済学体系の山塊のひとつは静態理論系、もうひとつは動態理論系。
これは主流派経済学内での静学・動学とは全く異なる概念です。
静態理論系と動態理論系の経済学を対比させてみたのが表1です。
表1 経済学体系の対比
出所:青木泰樹「経済学とは何だろうか」表2-1に、シェイブテイルが具体的経済学者・経済学の行を追記したもの。 *1 静態理論系と動態理論体系では色付けした部分に差がある。
また学問の目的が、静態理論では「理論的厳密性の追求」、動態理論では「現実経済の分析」とされているところに注意。
新古典派経済学でいう静学・動学とは、論理的時間をモデルに組み込むかどうかです。 静学・同額間で、同質的な合理的経済人の想定は変わらず、同じ経済観といえます。
一方、静態理論と動態理論の差は「経済内部に経済変動要因が存在するか否か」です。*2
「静態」モデルとは、全体を決める(変動を求める)個人が存在しない、全員が現状に満足し、まるで静かな湖面のようなモデルといえます。
経済が変動するとすれば、外的な要因が変化したか、意図せぬ外的ショックが生じた時だけです。
このビジョンからすれば、個人は環境適応行動をとる受動的存在でしかありません。
外的な要因である一石は一時的に湖面に波紋を拡げた後、湖面は静謐さを取り戻すことになります。*3
一方、動態は「経済を変動させる要因が経済内部に存在する状態」と捉えられます。
このビジョンでは、外的ショックではなく、経済内部の個人が変動を生み出します。
変動を生み出す根源はミクロの個人間の異質性です。
つまり多元的価値観により、現状に不満を持つ個人が存在し、現状打破、社会変革を起こす原動力となります。
18世紀のアダム・スミスを始祖として経済学は始まりました。
そして1870年代、 限界革命を主導したひとり、レオン・ワルラスは、実際上あるいは歴史上ほとんど観察されない物々交換を出発点に、より複雑な経済関係を継ぎ足し経済学説を構築しました。その結果、静態理論とは「物々交換経済」という架空の想定に基づくため現実経済とは離れた純粋に理念的産物となりました。*4
なお、物々交換はほぼ架空の存在であることは、このブログの 大昔、物々交換などなかった - シェイブテイル日記 でも取り上げました。
ワルラスはこの理論に交換だけでなく、生産、資本、貨幣を足し込みましたが、貨幣導入前に一般均衡を実現する生産量、生産要素量などは決定済みとなったため、貨幣なき物々交換経済での一般均衡理論が出来上がりました。
貨幣は単に財貨交換比率の表現のみということですので、「貨幣現象は実物経済に影響しない(貨幣の中立性)」は理論から導かれた結論というよりも、ワルラスによる一般均衡理論の構築方法に依存するもの、つまり分析の初めから仮定されていたものということになります。 *5
これに対し動態の構想は「現実経済の瞬間写真」からの抽象化から生じました。 現実経済は物々交換経済ではなく、貨幣経済です。経済内で、対立も頻繁に生じ、雇用契約など制度的制約も免れません。
こうしたことから、動態理論では、理論化、抽象化を経ても現実性というフレーバーは残されました。
上述のように、ワルラスのビジョンは欠陥を抱え、発表当時それほど注目されずにいたにもかかわらず、現代経済学では主流派を形成するに至ったのは、青木氏は「経済学に数学的分析手法を導入したから」と述べています。
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私たち経済に関心はあっても経済学の外部にいるものから考えれば、経済学とはどの学派であろうとも、例えば物理学なら現実世界の物理を探求し、未知の知見を解明するものと捉えがちですが、現在の主流派経済学はその根本で非現実な仮定(物々交換、均質な合理的経済人など)を置いたワルラスらの一般均衡理論に基礎を置く結果、現実世界の解明ではなく、非現実世界の論理的厳密性追求になっているという青木氏の指摘はなかなかインパクトが大きいものがあります。