欧州危機と日銀記者クラブの関係
[] 欧州危機が進行しています。
国債残高が積み上がった日本でも欧州危機は他山の石として事例研究が必要です。
ユーロ防衛正念場に ドイツ・欧州中銀の決断カギ
12月9日にEU首脳会議(2011/11/27 0:41)日本経済新聞 電子版
ユーロ圏の政府債務危機が重大局面を迎えている。国債への売り圧力はギリシャなど周辺国から仏独など中核国にまで及び、ユーロ圏発の信用収縮の波が世界に広がりつつある。市場でユーロ崩壊論が語られ始めるなかで、当面の危機収拾にはユーロ圏の盟主ドイツと欧州中央銀行(ECB)の行動しかない。12月9日の欧州連合(EU)首脳会議がその期限になりそうだ。
(中略)この2年でおなじみになった「メルコジ」と呼ばれる独仏首脳会談に24日、モンティ・イタリア新首相が加わった。だが会談後の記者会見ではいつもの通り首脳たちが呪文のように「ユーロは守る」と唱えるだけで具体策は出なかった。
イタリアでは元欧州委員のモンティ氏、ギリシャでは前ECB副総裁のパパデモス氏がそれぞれ首相に就任、EU管理体制が鮮明になった。■市場、解体も視野 両首相は挙党一致で財政緊縮策を進める方針を示しているが、問題はすでにギリシャやイタリアなどの自助努力の範囲を超えている。市場はユーロ圏の危機対応能力に不信を強め、マネーのユーロ圏脱出の動きが鮮明になってきたためだ。
23日にはドイツ国債入札が不調に終わり、24日にドイツ国債利回りが英国債を上回った。英国も財政赤字を抱えるが、ユーロ圏に入っていないためドイツより安全という見方を反映している。
(中略) 当面の危機を乗り切るのに何が必要か。市場関係者の見方はほぼ一致している。ドイツとECBの決断だ。ドイツは「将来の財政統合」の必要性を指摘しながらも、ユーロ共同債やECB活用に慎重姿勢をとっている。だが、ユーロ圏全体に不信が広がった以上、ECBが直接あるいは間接的にユーロ圏の「最後の貸し手」になることを明確にし、国債利回り上昇を抑えることが急務だ。
手法はいくつもある。ECBが米連邦準備理事会(FRB)やイングランド銀行のように国債を大量購入する量的緩和に動くと宣言する方法。あるいは欧州金融安定基金(EFSF)を銀行に衣替えし、ECBから資金を調達できるようにする案もある。
10月下旬のEU首脳会議ではEFSFを1兆ユーロ程度に実質拡充する方針が決まったが、その後の市場の動揺で2兆〜3兆ユーロ規模は必要という見方が出ている。国際通貨基金(IMF)が新たに創設した予防的融資枠も含め、当面の混乱回避のための安全網拡充が急務だ。■緊急対応必要に
「赤字国が財政再建に取り組むのが重要で、安易な支援はモラルハザード(倫理の欠如)につながる」「中央銀行は物価安定に専念すべきだ」という筋論はあるが、危機時にはそれを超えた対応が必要になる。それは日本や米国などの過去の金融危機をみても明白だ。
EU条約改正など中長期的な統合深化の取り組みも大事だが、まずは眼前で広がる火災の消火活動が先決だ。ユーロ圏の行動が問われている。
(欧州総局編集委員 藤井彰夫)
”「赤字国が財政再建に取り組むべき」、「安易な支援はモラルハザードにつながる」」「中央銀行は物価安定に専念すべきだ」という筋論”は、ドイツをはじめとする欧州主要国の建前としては人気のある政策でした。 しかし、財政赤字を削減する政策は、財政赤字国の国民に強い反発を買っています。確かにこれまでのドイツ経済の好調は、ドイツから見れば実力以下に抑えこまれたユーロ相場や、近隣のEU諸国との経済連携からもたらされていることは自明です。 またそもそも既に財政危機状態にあるなしにかかわらず、好景気による財政黒字ではなく財政赤字削減政策だけで、プライマリーバランスを達成した国が世界のどこかにあるのでしょうか。
一方、日本の財政赤字も大きく、これに対して日銀・白川総裁は次のように語っています。
[2011年5月28日 – 東京 ロイター] 日銀の白川方明総裁は28日、都内で開かれた日本金融学会で講演し、財政悪化に警鐘を鳴らすと「オオカミ少年」のように受け取られるが、政府の支払い能力に対する信認は突如低下し長期金利が急騰する可能性がある、と強調した。
日銀による国債の直接引き受けや、無原則な国債買い入れは、微妙なバランスに立つ通貨や金融システムの信認を低下させ、経済に計り知れない悪影響を与えるとの懸念を表明した。
(中略) また、「財政赤字の拡大や日銀の独立性が尊重されていないと感じられる出来事が起こると、最終的に激しいインフレが生じるだろうと考える傾向が生まれる」、「はっきりしていることは、予想は非連続的に変化するということ」と指摘。「欧州周辺国のソブリン・リスク問題にみられるように、財政の維持可能性に対する信認が低下すると、財政と金融システム、実体経済の三者の間で負の相乗作用が生じ、経済活動にも悪影響が及ぶ」と述べた。
日銀が国債の買い入れを行う際、銀行券の発行残高を上限とする、いわゆる日銀券ルールについて、「時として、そうしたルールを設けることに対する批判が聞かれるが、仮に、これだけ多額の国債を買い入れている中央銀行が、その買い入れに当たっての基本原則も明らかにせずに行動すると、不確実性が増大し、リスクプレミアムが発生することから、その分長期国債金利が上昇する」と説明。 例えば「ギリシャやアイルランドの中央銀行が突然国債買いオペを大規模にはじめると状況は更に悪化する」と述べた。
(後略)(ロイターニュース 竹本能文;編集 長谷部正敬)
"日銀の独立性が尊重されていないと感じられる出来事が起こると、最終的に激しいインフレが生じるだろうと考える傾向が生まれる"というのは、わかりやすく言えば、「日銀の好きなようにさせないと、ハイパーインフレになっちゃうよ、それでもいいの?」という脅し文句でしょうか。
それはともかくとして、現実に危機にある欧州では、”ECBが直接あるいは間接的にユーロ圏の「最後の貸し手」になることを明確にし、国債利回り上昇を抑えることが急務”であるのに、将来危機が迫るであろう日本では”日銀の国債買い入れ額を恣意的に制限する日銀券ルールを外しただけで国債金利は(欧州とは逆に)上がる”。 欧州の現実(中央銀行の買い入れなしには金利が急上昇)と、日銀総裁の「懸念」(中央銀行が買い入れすると、金利が急上昇)とはまるで逆を向いています。
ただ、ちょっと考えればわかることですが、欧州での国債投げ売り(価格低下と金利急上昇)に対しては、投げ売りする不安を取り除くことが急務であることは間違いありません。そのためには投げ売りを全て消化可能な「巨大な買手」が必要となります。従って、欧州中央銀行が巨大な最後の国債買手となることは理に適っています。 日銀総裁は、国債の巨大な買手が現れると、金利が急上昇(=価格の低下、投げ売り)が発生すると述べています。 どこの世界で、無限に買い入れ可能な、巨大な買手が出現した途端、巨大な買手が買うよりも大きく他の誰かが売り向かって投げ売りする、なんてバカなことがあるのでしょうか。 言う方も言う方ですが、これを記事にする方も記事にする方です。
こうした、中央銀行総裁の馬鹿げた発言をそのまま鵜呑みにして記事にするマスコミの姿勢について次のような記事もあります。*1
日銀会見と宮内庁会見は同類だ!? 記者、学者との癒着が生んだ“日銀タブー”がもたらす罪悪
サイゾー 11月26日(土)23時38分配信──一部週刊誌では取り上げられるものの、全国紙の経済面や社説で日本銀行に対する批判はほぼ皆無。日銀の政策は、常に正しいのだろうか?実は日銀と新聞社、そして新聞に寄稿やコメントをする経済学者の間には、不健全な関係があるという。
深刻化する欧州金融危機と世界的な株安、史上最高値圏で推移する円相場、さらには東日本大震災後の復興財源をどこに求めるかという問題──。日本経済に降りかかる数々の難題を受けて、我が国の金融政策をつかさどる日本銀行への関心が高まっている。
例えば復興財源をめぐっては、財務省が提唱する増税案に対し、エコノミストやジャーナリストの一部からは不況下の増税は景気を一層悪化させるとして、日銀による国債の直接引き受け策を求める声も出てきた。これに対しては、日銀引き受けが想定外の通貨安(円に対する信任低下)をもたらす危険性を指摘する声もあるが、日本経済新聞をはじめとする大手メディアでは、こうした議論自体が正面から取り上げられることはない。
元日本経済新聞論説委員で、現「FACTA」の編集主幹・阿部重夫氏は、「日銀は外部の批判にほとんど耳を貸しません。それは日銀クラブ(日銀の記者クラブ)に所属している記者を早々と日銀の論理に洗脳して、無批判の環境で自らを囲い込んでしまうからです」と話す。
「私自身もそうでしたが、多くの新参記者は日銀クラブに入った時点で金融の実務知識が十分ではないので、手取り足取り金融のイロハを教えてくれる日銀が師匠役になります。そこで純粋培養されてしまうと、『金利を上げるインフレファイターは正しくて、下げるデフレファイターは弱虫』という日銀の価値観に染まり、欧米の金融政策の常識や経済学の最先端と日銀がいかにズレているかが見えなくなります」(阿部氏)
さらに、新聞社の体質にも問題があるようだ。例えば日銀記者が少しでも批判めいた記事を書こうものなら、デスク、部長、編集委員、論説委員といったお歴々が、「こう書いたほうがいいんじゃないか」「こういう見立てが正しいんじゃないか」と暗に記事の方向性を変えるように仕向けるという。大手新聞社の経済記者はこう語る。
「日銀が直接何か言ってくることはないけれど、なんとなく記事の方向性が社論として決まっていくのが実際の新聞社の有様です。日銀はそうした新聞社の構造を熟知してか、経済部長だけを呼ぶ『経済部長懇談会』、経済担当論説委員を集めた『論説委員懇談会』などを、1〜2カ月に一度、定期的に開いています」
部長や論説委員クラスになると、現場に足を運ぶ機会はほとんどないため、“ご進講”が貴重な情報源となる。彼ら上層部が日銀の話を鵜呑みにすることは、想像に難くないだろう。
こうした日銀に対するメディアからの批判の少なさが、日本の金融政策の即応性と健全性を損ねているのではないか。そう指摘するのは『デフレ不況 日本銀行の大罪』(朝日新聞出版)の著者で、上武大学教授の田中秀臣氏だ。「日経新聞の喜多恒雄社長が財務省と蜜月関係にあることに表れているように、新聞社の上層部では、財務省・日銀支持の姿勢が打ち出されている。そんな中、現場の記者は批判的な意見を持っていても、上層部に従ってしまう」という田中氏の話を聞こう。
「今回のギリシャ債務危機をきっかけに、世界経済はすでに不況局面に入ったと見ていいでしょう。景気に関するあらゆる指標が悪化しており、各国で緊縮財政策や金融引き締め策の見直しが始まっています。ですが、日銀は相変わらずデフレ状況を放置したままで、さらなる金融緩和などの対策を打とうともしない。金融政策は本来、民主主義のプロセスで決めるというよりも、一部の政策エリートが責任を持ってやるという性質がありますが、それが正しく機能するには、きちんとした批判が存在することが前提です。しかし、金利は上げるものという伝統的な金融政策にとらわれている日銀に対する批判の声は、逆に小さくなっているのが現状です」
それでは実際に、日銀に対する取材現場では、どんなやりとりが交わされているのだろうか。
経済ジャーナリストとして長年にわたって日銀を取材してきた須田慎一郎氏は、日銀総裁会見の様子を次のように語る。
「日銀総裁会見は、宮内庁の皇族会見と大変似ています。日銀総裁とのやりとりは、いわば皇族とのやりとりとまったく同じ。記者が厳しく詰め寄ることはなく、総裁が言ったことに対して『ごもっとも』と拝聴する空気です。私たちが考えている以上に、マスコミにおける日銀総裁の権威は高い。なおかつ、あたかも絹の手袋をしているように、(政治家との水面下の裏交渉など)汚れ仕事を避けているのが日銀総裁といえるでしょう」
1998年の日銀法改正で、政府による総裁解任権が廃止されるなど、日銀総裁の立場は格段に強くなった。マスコミ報道においても、しばしば「日銀の独立性」が好意的に報じられるが、前出の阿部氏はそれこそが日銀の独善性を助長したと指摘する。
「法改正以前の日銀は大蔵省(現財務省)の下部機関みたいなもので、公定歩合の上げ下げも大蔵のOKがなければ不可能でした。経済記者も判官びいきで日銀の独立性を守れと肩を持ってきました。それが法改正で過剰な独立性が認められてしまい、今の日銀は物価と通貨の安定という漠然とした目標があるだけで、結果責任も問われず、どんなミスをしても総裁は自ら辞任しない限り、任期の5年間は誰も引きずり下ろせない存在になってしまった。制度上の大きな欠陥と言うべきです」(阿部氏)
■経済学会が群がる「日銀審議委員」利権
こうした中、日銀クラブに属し、日銀の意見に同調することは、記者や経済学者、エコノミストらにとってもメリットがあるという。まずは新聞社のエリートコースという日銀担当記者から見ていこう。須田氏の話。
「経済部の記者クラブでは、格において日銀クラブは最高峰。日銀クラブのキャップをやった人間が、ワシントン支局長など海外のトップ級支局長に転ずるケースも多く、『失敗しないできちんと勤め上げると、出世コースが見えてくる』という幹部への登竜門なのです。また、日銀クラブは日銀だけでなく民間金融機関の動向もフォローするため、所属記者が他業界の記事をハンドリングすることも多く、記者自身が次第に『自分はトップエリートで特別な存在なんだ』と錯覚する。その結果、多くの日銀クラブ記者は将来の出世に備えてインサイダー意識を持ち、日銀幹部との人脈作りにいそしむという構図が出来上がります」
では、大手紙の経済面にコメントや解説記事を寄せる経済学者やエコノミストたちはどうだろうか? 彼らの中にも“日銀シンパ”が広がっており、中には憧れの日銀審議委員の座に就きたいために、日銀批判を控える人物もいるという。
「計9名からなる日銀審議委員の席は、日銀から3名、産業界から1名、銀行界から1名、アカデミズムから1名……と割り当てが決まっています。日銀は金融学会にも補助金を出していますから、多くの学者たちが陰に陽に媚びています。例えばある私立大学の有名教授は、審議委員への指名を意識しだすと、それまでの日銀批判をピタッとやめてしまった。日銀に覚えのめでたい経済学者ばかりが優遇され、日本の経済学のレベルが低い理由になっています。現に日本ではノーベル経済学賞を受賞した人はひとりもいないでしょう?」(前出・阿部氏)
彼らの羨望の的となる日銀審議委員の年収は約2600万円。もっとも、大手メディアにおいてもこうした慣例を嫌う例外的な日銀批判がないわけではない。かつては毎日新聞社の社会部記者が経済部に移り、日銀総裁に容赦ない質問を浴びせかけたこともあったという。
「警視庁二課四課担当だった原敏郎氏が日銀クラブに配属され、マル暴刑事を見習ったかのような態度で、日銀総裁を総裁とも思わないような言動をしていました。原氏は経済部長に上り詰めましたが、あれは極めて特殊なケースでしたね」(須田氏)
また、このところ産経新聞紙上で財務省・日銀批判を繰り広げている田村秀男記者が日銀ウォッチャーの間で話題になっている。
「産経新聞で『増税はおかしい』とはっきり書いた田村氏は、元日経新聞記者。日経時代に日銀を担当した経験を踏まえて、なぜ増税を先にして国債発行を後にするのか、順序が逆ではないかという正論を展開しているのですが、朝日や読売など他社の記者は誰も追随しようとしない。というのも、増税を避けて復興財源を確保するためには、国債の直接引き受けなどの量的金融緩和策を取る必要がありますが、それは日銀にとって金利を下げるのと同じ。日銀と価値観を同じくする記者にとっても“負け”を意味するからです」(阿部氏)
そもそも、金融緩和イコール悪という発想はどのようにして生まれたのか。田中氏は、その発想は第二次世界大戦直後の日銀体制にさかのぼると指摘する。
「終戦後のGHQ占領時には、大内兵衛などのマルクス主義経済学者が日銀の金融政策に関与しました。彼らは1929年に起きた大恐慌後のニューディール政策がアメリカを戦争に導いたと考えていましたが、そうした史観と、高橋是清元大蔵相の金融緩和策で日本経済が復活したために戦争に至ったとする GHQの史観がピタリと一致してしまった。以来、インフレは悪で、量的金融緩和などとんでもないという考えが日銀内に定着し、現在の幹部もそれを踏襲しているのだと私は考えています」(田中氏)
それでは、今後の日銀報道はどうあるべきか。須田氏は、日銀自身がもっと国民に語りかける必要があると語る。
「金融政策を議論するには専門的な知識が必要であるため、日銀にはいくら説明しても国民にわかってもらえないという被害者意識があるのでしょう。しかし、現在のような金融政策が日本経済を左右する状況では、日銀はもっと懇切丁寧に政策内容を説明する必要があります。財務省が高飛車な説明不足だとすると、日銀は低姿勢の説明不足です」(須田氏)
阿部氏は日銀クラブ記者としての経験を踏まえ、次のように提言する。
「日銀クラブはかつてよりも開放され、総裁会見などにロイターなどのウェブメディアが参加するようになりました。しかし、ウェブメディアでは速報性が一番求められるために、十分な分析をしないまま情報を発信する風潮が記者の間でも広まっています。その結果、高い専門性を持つ日銀職員と対等に議論できる記者が減り、むしろ日銀批判は聞かなくなりました。健全な日銀報道のためには、十分な金融知識と分析力を持った記者が育つ必要があります」
現在は08年のリーマンショック時と比べて各国の財政状況が悪化しているため、大規模な財政出動策などが難しくなり、「もはや不況入りを防ぐ手段はない」との声も出始めた。そんな中、日本経済の落ち込みを防ぐためには、大胆な金融政策を含めた、あらゆる選択肢が検討される必要がある。そのためにも、大手メディアには日銀に対する活発な問題提起を期待したい。
(取材・文/神谷弘一 blueprint)
最終更新:11月26日(土)23時38分
日本経済って、「経済記者の出世の踏み台」なんですかねぇ…。