シェイブテイル日記2

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デフレによる政策制約とみんなの党の成長戦略

 欧州危機が進行する中、米国はバブル崩壊の後始末に苦しみ、そして日本では’97年以降、デフレが進行中です。
図1は日本のGDPデフレータ推移と政府の財政・金融政策の関係を示したものです。

図1日本のGDPデフレータ推移と政府の財政・金融政策 量的緩和(2001-2006)は小出しであった可能性もあるが、デフレ脱却には高い効果を発揮したとは言えない

橋本内閣の緊縮財政の後は、小渕・森内閣で数百兆円単位の国債を積み上げて公共工事する時には金融政策は考慮されませんでした。
財政出動では、国債が急速に積み上がるだけと分かったら、今度は小泉政権が国民経済とは関係が薄い郵政民営化などの構造改革を始めました。
 その少し前、’99年には、当時の日銀中原伸之委員が量的緩和を提案しましたが、反対多数で否決されています。 その後更にで景気は下降していく中、’01年3月には「日銀の政策決定会合の内容が不十分ならば政府代表による『ゼロ金利政策復帰提案』が準備されている」との情報が日銀に入ったため、急遽当時の日銀総裁速水氏主導で、量的緩和策が開始されました。*1
ただ、この量的緩和の期間は、構造改革論議に終始し財政出動はされておらず、デフレからも明確には脱却できずに’06年には福井総裁により量的緩和政策は放棄されてしまいました。
そして小泉政権以降は、安倍・福田・麻生、鳩山・菅・野田と余りに短命であったり、まるで国民経済に関心がなかったりで、評価可能な財政・金融政策は採られていません。

 それに対し、現在みんなの党が主張する成長戦略の柱は「財政金融一体政策」です。 *2

 マネーを無制限に刷れる中央銀行は、そのマネーを民間金融機関と政府にしか出せません。
デフレで実質金利が高ければ民間金融機関からみたいろいろな投資案件はその高い金利をカバーできるものはわずかとなってしまいますから、非金融部門には大してマネーは流れません。つまりデフレでは政府を介するルートしか民間にはマネーが流せない、ということです。

    中央銀行→(金融政策)→政府→(財政政策)→非金融部門

という、デフレでも生きている経路を介して、非金融部門にマネーを流してデフレ脱却、というシナリオを主張しているのは残念ながら今のところ小政党のみんなの党だけでしょう。