シェイブテイル日記2

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日銀決定が告げた「出口なき撤退戦」の始まり

前回の記事同様、私が自分で思いついたことからなる、発信情報としてはもう余り書くべきことがありませんので、いろいろな側面では同様の思いを持っている方(プロなど)の記事を全文のせて記事に代えたいと思います。 本日は日銀政策の迷走ぶりに関する田渕直也氏の、四季報オンラインへの投稿記事です。

田渕直也氏は債権運用のプロですから、積極財政派の私とは考え方が全く異なりますが、日銀の出口戦略については同じ懸念を持たれているようです。
=以下四季報オンラインからの引用記事=
日銀決定が告げた「出口なき撤退戦」の始まり
金融政策の修正はいつできるのか

田渕 直也
2018/08/03 18:00


 7月30〜31日の金融政策決定会合で、日銀は金融政策の方針を示す“フォワドガイダンス”を新たに導入して「当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持する」方針を明示する一方で、長期金利の変動をある程度(±0.2%程度とみられる)は許容するというわずかな修正を加えた。

 日銀が掲げる年率2%の物価上昇目標に遠く及ばない現状で大幅な金融政策の変更はまず考えられない状況下ではあるものの、今回の金融政策決定会合は事前にマーケットの注目を大いに集めた。結局、予想の範囲内の微修正にとどまったわけだが、なぜ大幅な政策変更が予想されていないにもかかわらず、今回の金融政策決定会合がそれほど注目を集めたのだろうか。

 今の日本の金融政策の起点は、2013年の「質的・量的金融緩和政策」(いわゆる異次元金融緩和、もしくは黒田バズーカ砲)の導入にある。前年比2%程度の望ましい物価上昇を実現するために、これまで試みられなかった手段も含めて金融政策をフル活用しようとするものだった。しかし、質的・量的緩和の拡大策やマイナス金利の導入など、その後なんどもテコ入れを図ってきたにもかかわらず、現在に至るまで物価目標実現の道筋は見えていない。

リフレ派による壮大な実験の行方
 「なりふり構わぬ金融政策で物価上昇を引き起こせる」といういわゆる“リフレ派”と、「金融政策だけでは不可能だ」とする“伝統派”の政策論争が何年にもわたって繰り広げられた末に、その論争にリフレ派が勝利して実現したのが今の金融政策だ。だが、リフレ派の壮大な歴史実験は、結局失敗に終わったことが明らかとなりつつある。

 また、国債を年80兆円程度、ETF(上場投資信託)を年6兆円程度買い続ける政策をいつまでも続けることは物理的に不可能だという問題もある。物価目標が実現できず、金融機関の収益を圧迫するなどの副作用も表面化する中で、積極的な金融緩和政策からの脱却が選択肢に上がったとしても不思議ではないだろう。

 だが、こうした一連の金融政策は、本当に失敗だったのだろうか。物価目標の実現という点ではその通りだが、為替レートを円安方向に大きく動かし、株価を押し上げた効果は非常に大きかったとみられる。そしてそれこそが、日銀の金融政策のわずかな修正に対してもマーケットが神経過敏になる理由なのである。


グラフに示したのは、主要通貨に対する円レートの割高さ、割安さを示す実質実効為替レートの推移である。現在の円レートはかなり円安に振れ過ぎていると考えることができるが、その主因が積極的な金融政策による円安効果にあると考えられるのだ。

 もし日銀が金融政策を“正常化”すれば、25%程度の円高シフトが起きてもおかしくない。株式市場においても同様だ。日銀はすでに20数兆円のETF保有しており、株価の押し上げ効果はそれなりに大きかったと推測される。その効果がはげ落ちれば、株価への影響は相当なものになるだろう。

いつまでも続けられないが、どうするのか
 結局、いつかは止めなければならない現在の金融政策だが、それを止めるときには、大幅な円高と株安を覚悟しなくてはならないのである。もちろん、金融政策の修正は、大混乱を招かないように、長期にわたり、緩やかに行うことになろう。今回の金融政策決定会合は、いわばその撤退戦の第一歩となるべきものだったのだが、結局テクニカルな微修正しか打ち出すことはできなかった。もちろん、それによって市場の混乱を未然に防いだわけだが、問題は、今できないことを一体いつできるのかということだろう。

 現在の日本経済は、恐らくこれ以上は望み得ない良好な状態にある。企業利益は過去最高を更新し、失業率はバブル期以来の水準にまで下がりつつある。実感には乏しいかもしれないが、だれもが実感できるような景気拡大は基本的にもう訪れることはないと考えるべきである。

 つまり、現在のように経済がベストに近い状態にあっても政策を修正できないのなら、そうでないときに修正することはもっと難しい。現在中国経済は減速にさらされ、好調さが続く米国も来年以降の減速を予想する声が上がっている。日本経済にも減速の波が押し寄せたとき、今の日銀には着実な効果が期待できる追加の政策がほとんど残されていない。

 一見、単なる微修正にとどまった今回の日銀の決定は、長く続く、出口の見えない撤退戦の始まりを告げるものと言えるだろう。

田渕 直也(たぶち・なおや)/1985年、一橋大学経済学部卒業。日本長期信用銀行(現新生銀行)で主にデリバティブのトレーディング、ポートフォリオマネジメントに従事。UFJパートナーズ投信(現三菱UFJ投信)債券運用部チーフファンドマネージャーとして、社債やストラクチャード・プロダクトへの投資運用体制を構築。『ファイナンス理論全史』、『投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について』など著書多数。現在、ミリタス・フィナンシャル・コンサルティング代表。

=以上引用終わり=
著作権法では引用は物理的に1/2までは不問として運用されているようなのですが、それは十分理解した上で当を得た日銀政策批判だと思えましたので今回のみは敢えて全文を引用しました。 四季報編集部様申し訳ありません。以後はルールを守る所存です。 シェイブテイル

政治と貨幣理論の融合

私はしばらく前にある方に教えてもらったのですが、2016年の前回米国大統領選挙で民主党予備選挙を戦ったバーニー・サンダース議員の政策スタッフ(ブレイン)はMMTerだったそうです。
その米国MMTerが書いた記事を日本語に訳された方がいまして、その方のブログを全文コピーしてご紹介します。

サイト管理人はアラフィフの主婦「ありす」さんです。

最近になって、「お金って不思議だ!」と気づいてしまったアラフィフ主婦が、経済とお金の情報を収集しています。
興味範囲にスティグリッツジョージ・ソロスビル・ゲイツ、ハンス・ロスリングなどなど。
(サイト管理人:ありす)
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タグ: サンダース
投稿日: 2016-04-28
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(拙訳)長年無視されてきた経済理論が見直されている
2016年3月14日づけで、Bloomberg Businessサイトに掲載された記事を拙訳し、ご紹介します。※元はhttp://alicewonder113.blog.fc2.com/blog-entry-92.htmlに掲載していたものをこちらに移転しました。

長年無視されてきた経済理論が見直されている

伝統的信念が焚火に投げ込まれる大統領選の時期にも、あるタブーが生き残っている。国家債務が危険だという信仰だ。

反体制派の経済学者たちが、この信仰をも焚火に投げ込もうとしている。

いまこそそれにふさわしい時期だ。また、これは米国に限った話というわけでもない。マイナス金利や、新規発行貨幣を直接消費者に届けるヘリコプターマネーなど、中央銀行は、何かしら役に立つものが残っていないかと、道具箱をのぞき込んでいる。中銀のあらゆる工夫にも関わらず、先進国の経済はなかなか回復していない。

政府がリリーフに立てという声が高まっている。多くのエコノミストや金融のトップがその声に合流しはじめた。世界最大のヘッジファンド、ブリッジウォーターのトップであるレイ・ダリオ、そしてジャヌス・キャピタルのビル・グロスは、政策が曲がり角に来ており、より大きな債務に頼るべきだという。

「投資家かいわいでさえ、金融政策は一種のタマ切れと認識されている」と、NYのスタンダード・チャータード銀行エコノミスト、トーマス・コスタグは話した。「いまや財政政策が焦点になっている」

独自通貨

現代貨幣理論(MMT)からすれば、最初からそうすべきだった、というところだ。独自通貨を持つ国家の政府支出について、非伝統的な意見を持ち、経済思想の片隅にいた、20年以上前からのそれなりに古い理論がいま、見直されてきている。

MMT理論家によると、そうした国家は財政危機のリスクを持たない。債務はドルや円になるだろうが、ドルも円も、自分たちで独自に作り出すことができる。つまり、債務に見合った金を作れる。だから、徴税も、国債発行すら必要ない。

これによって長期的にどうなるかということを、多くのエコノミストは懸念している。

「自分が債務を消費することについては何の問題もない」と、ソシエテ・ジェネラルの主任エコノミストであるアネタ・マルコウスカはいう。「しかし、政府が無限に金を刷って、無限の、莫大な債務を運用するとなると、あっという間にタガが外れるのではないか」

そうした懸念に、MMTはこう答える。「無限ということにはならない。今度は、実質的なリソースが制約となる。道路をつくるのに、どれだけ労働力が必要かということだ。徴税は、通貨への需要を確保し、経済の過熱を冷ますのに有効なツールだ」しかし、MMT理論家の考えでは、インフレが引き起こされることにまでならない。

米国は、2008年の危機以降、劇的に財布のひもを緩めてきた。翌年には、GDPの10%の国債を発行した。これは昨年までに、GDPの2.6%、4390億ドルにまで縮小した。

議会予算局は、今後数十年で、ベビーブーマーが引退するにつれ、社会保障費が増えるため、ギャップが広がると予想する。このリスクは、財政タカ派に良く言及される。

主流派のハト派は、長期的な警告は受容するにせよ、歴史的な低金利について指摘する。投資家は債務について今のところ心配していない。それならどうして遣わないのか?と。

MMTはもっと踏み込んでいく。問題は、誰が耳を傾けるか、だ。

「彼らは中央銀行や、財務関係の大臣や省庁から排除されている」と、ワシントンのピーターソン世界経済研究所の特別研究員、ジョー・ギャニオンはいう。ギャニオンは、すべてのMMT理論に同意しているわけではないが、世界景気は「MMT勢が影響力を持つには良い時期だ」と思える程度に弱含んでいる。

理解者を両手両足で数えた日々

MMTは今、異端扱いされているように見えるが、ミズーリカンザス市立大学の経済学教授ランディ・レイによれば、この理論がほとんど認定されなかった時代があった。

1998年に「現代金融解説」を書いたレイは、同意見の同僚の中で、どれだけの人がこの理論を理解したか数えたものだと語る。「10年後には、両手両足も使わないといけなかった。」

いまでは、ブログのおかげで、世界中に何千人もの理解者がいるという。特に、イタリアやスペインのような、経済難に見舞われている国々で。MMTは、統一通貨の宿命について早くから指摘してきた。金融の国家主権がなければ、危機において国家は役に立たなくなる。

米国では、少なくとも一人の大統領候補が、MMT理論に耳を傾けている。バーニー・サンダースのアドバイサーの中に、MMTのリーダー的存在がいる。サンダースが上院予算委員会に雇ったステファニー・ケルトンとジェームズ・K・ガルブレイスである。ガルブレイスの父親は、ジョンソン大統領の「偉大なる社会」構想に貢献したジェームズ・K・ガルブレイスである。

普及へのハードルは高い

この組み合わせは合理的だ。サンダースは、医療、教育、インフラに巨大な投資を約束している。財政のゆるみよりも緊縮の方が危険と見るエコノミストとは、相性が良い。

しかし、選挙運動に行ってみると、このバーモント州議員が「債務のタカ派」であり、支出計画は増税とドル単位で合わせられていることがすぐにわかる。

「彼は理論には興味がない」と、サンダースの政策ディレクターであるウォレン・ガンネルズは話す。「彼は、中間層を立て直し、賃金を上げ、他の先進国のどこよりも高い貧困率を必ず下げられる方法に興味がある」

つまり、MMTエコノミストを抱えた左派の候補でさえも、この主義主張を支持するにはいたっていないということだ。かようにこの理論の普及は難しい。

家計と政府債務のアナロジー

反論する人々は、金を刷れば国は最終的に、ジンバブエのようなワーストケースシナリオに陥ると論じる。貨幣発行が通貨価値を毀損し、紙幣から0がはみ出してしまうというのだ。

ベネズエラの過度な消費は、昨年、180%のインフレをもたらした。日本の場合はもっと複雑だ。長年の債務は、国債購入者を脅かしてもいないしインフレの発散も起きていないが、経済成長ももたらしていない。

バージニア大学政治学教授ジム・サベージによれば、アメリカには特に、財政規律へのこだわりがある。これは米国の初期からみられるもので、「長年にわたり、英国にさかのぼる中央集権政治への恐れ」が、組み込まれているという。

レイは、アメリカ史には、それとは異なる考えが広まった時代があるという。第二次世界大戦では、米国の権力者は、長年忘れられていたことを学んだ。「常に労働可能な失業者はいて、彼らを働かせることができる」

サベージは、アメリカ人は歴史的に、家計と国家債務を結びつけて考えがちだという。このカテゴリーエラーはいまでもはびこっている。

2010年、政府職員への給料凍結を決定したとき、オバマ大統領は「中小企業や家庭は節約している。政府もそうしなければ」と語った。

このコメントに顔をしかめるのは、MMT理論家だけではない。多くのエコノミストが、家計が節約しているときには、需要の落ち込みを防ぐために、政府は逆のことをしなければならないと考えている。

しかしながら、この論議は、議会ではあまり影響力がない。連邦政府が、回復を持続するために、あまりにも多くの重荷を負ってきたからだと、ソシエテ・ジェネラルのマルコウスカはいう。

「金融緩和の決定をする場合には、一握りの人々の決定で済む。財政刺激に政治的合意を形成するとなると、もっと苦労することになる」

レイは、前回の景気の落ち込みの後、世論が変化することを期待した。大恐慌の後に、ケインズ経済学が台頭し、ニューディール政策が実施されたように。しかし「政策立案者に関していえば、実質的には何も変わっていない」という。

「国民の方に、変化が起こったと思う」と彼はいう。サンダースと共和党ドナルド・トランプの反体制運動は、考え方を変える一打となると。

「稀な経験」

ほとんどのエコノミストは、米国が直近で不況になるとは予想していない。しかし金融市場の混乱や、アメリカ政治の大騒ぎが加わり、誰も経済の不調に処方箋を見出していないという認識は強化されている。

超党派制作センターの副センター長である共和党のビル・ホーグランドは、議会予算局と上院予算委員会で、40年にわたり、米国の財政政策形成に携わってきた。

彼は、インディアナの農場での厳しいしつけによって、「ベルト地帯の外側の多くのアメリカ人に、いかに支出と収入をバランスしなければならないという考え方が染みついている。」かわかるという。政府債務は違うものだということは、彼は認める。長期的にバランスする限りにおいては、現在は需要を支えるため、債務を増やしてもいいだろうと考えている。

ホーグランドは、何よりも、根本的な変化が水面下で起こっていることがわかるという。2008年の「破壊的なイベント」は、過去に10回も起きていないような形で、アメリカの政治を変えつつある。経済学の正統派もヒットをくらっている。

「我々は、すべての経済理論が試されるという、非常に稀な経験をしつつある。」と彼は語った。

ビットコインは本源的価値を持つか


ビットコインと1780年銘マリアテレジア銀貨

近年、ビットコインの流通をアシストするといったビジネスが脚光を浴びています。
それをみるまでもなく、ビットコインは大変な高額で取引されているのですから、ビットコインに「本源的価値」があってもおかしくはなさそうです。

そもそも貨幣がもつという「本源的価値」とは一体何なのでしょうか。
これ自身経済学者らの間で議論の対象となっていますが、私 シェイブテイル個人がどう捉えているかといえば、「本源的価値とは誰かに確実に受容されること」だと考えています。

1780年銘のマリアテレジア銀貨
かつて、中東で流通していたコインで、1780年銘のマリアテレジア銀貨というものがありました。これがオーストリアから遠く離れたエチオピアの西部にあるカファ地方(コーヒーの語源にもなったところ)で200年もの間流通したということがりました。
    

この例では、このマリアテレジア銀貨がカファ地方ではエチオピア政府への税金として納付が認められていた(というより納付を求めた?)ということだそうです。

  詳しくはこちら 1780年銘のマリア・テレジア銀貨

ビットコインには確実な受容者はいない?
ではビットコインにはこうした確実に受容する政府のような主体があるか、といえば、今のところ確実な受容者はいないとしか言えません。

ではなぜビットコインが100万円以上もの高値で取引されているのか。シェイブテイルは単なるバブルだと考えています。

皆さんはどうお考えでしょうか。

日本は世界一GDPシェアが減少しているがそれは人口減少とは無関係

蓮舫氏が辞めた後の民進党代表選挙に枝野氏と前原氏が立候補していますが、その枝野氏の打ち出す経済政策の背景には「人口減少など社会成熟化による需要そのものの減少」があるそうです。 *1

確かに日本は2008年をピークに人口減少に転じました。 ただ、世界を見渡せば、ロシアやポーランドなど他にも人口減少国はあります。
そこで日本やこれらの人口減少国を含めて世界経済での各国シェアの変動を調べてみました。

図1は1996年時点での名目GDP(ドルベース)の各国シェアとそれから20年後の2016年の名目GDP各国シェアの比をとったものです。


図1 名目GDP世界シェア増減率
元データ出所:IMF WEO April 2017
世界シェアの変動費率は、例えば日本の1996年の名目GDP世界シェアが15.2%で、2016年のそれは6.6%なので、
6.6÷15.2=43.4(%)を日本の世界シェア増減率とした。
なお、グラフの煩雑性を減らすため、2016年の名目GDP世界シェアが0.3%未満の国々は省略している。

このグラフをみるといくつかの情報が得られます。

まず、このグラフに載る主要な国々の中では日本のGDP世界シェア減少率が最大ということです。

日本に次ぐシェア縮小国はギリシャです。ギリシャはユーロを借りた相手のEUなどトロイカ体制から厳しい緊縮策を突きつけられています。
それに次ぐのがドイツ、イタリア、フランスといったEU主要国です。 EUでは「マーストリヒト条約」で、ユーロ参加の条件として財政赤字が対 GDP 比で3%、債務残高が対 GDP 比で 60%を超えないこととする基準(いわゆる「マーストリヒト基準」)が定められ、参加国は全て緊縮財政を余儀なくされて各国とも経済失速・失業増加などに喘いでいます。(通貨が経済力に対して常に割安に維持されるドイツの外需だけは例外ですが)

また、人口減少国ロシアやポーランドはこのグラフでは中位にあり、人口減少国だから経済規模が拡大しないということはないようです 
ちなみに日本は2008年以降人口が減少していますが、1996年と2016年の比較では日本は0.9%人口は増加しているのに対して、ロシアは3.1%、ポーランドは1.7%人口が減少していますので、枝野説のように、「人口減という抗しがたい現象が経済規模減少の主因」と捉えることには疑念が生じます。

GDPシェア減少国は例外なく緊縮財政を持続的かつ強力に実行しており、人口減少国はGDPシェアを下げた国(日本)と上げた国(ロシアやポーランド)が混在しており、経済活動を縮小させることに対して、人口減少は余り意味を持たず、政府が緊縮財政をとることが非常に有効ということなのではないでしょうか。

もうひとつ、近年世界での日本の発言力が落ちるのと裏腹に中国の発言力が増していますが、GDPシェアが相対的に10倍も変動すれば、それもあながち不公平ともいえない気がします。

では日本のGDPシェアの推移もみてみましょう。
図2は、日本のGDP世界シェアを名目GDP(ドル換算ベース)と購買力平価ベースでみたものです。


図2日本の世界でのGDPシェア推移
生データ出所:図1に同じ。

このグラフに描かれた期間内には、世界・日本でさまざまな経済事象や東日本大震災などの自然事象が発生していますが、まるでそれらとは無関係かのように、日本のGDP世界シェアは右肩下がりで下がっています。
 
日本国内ではアベノミクスはそれなりにポジティブな評価がなされていますが、経済活動を名目GDPの世界シェアという切り口でみた時には、それとは随分と違う印象があるものですね。
安倍政権がいかに金融政策と規制緩和に努めようと、緊縮財政を止めない限り、この四半世紀つづく日本経済の縮小傾向を止めることはできないのではないでしょうか。

*1:ソースは枝野氏のウェブサイト

アベノミクスの本質とは何か

無茶苦茶ご無沙汰しています。 個人的に色々と忙しいことと、アベノミクスへの期待が失望に変わっていったことからブログの更新を怠っておりました。

さて、久々にブログを更新しようと思ったのは、アベノミクスの現状を端的に示す2枚のグラフをお見せしたかったからです。

言うまでもなく、アベノミクスとは(1)大胆な金融政策 (金融緩和)、(2)機動的な財政政策 (財政出動)、(3)民間投資を喚起する成長戦略 の3本の矢であったはずです。

大胆な金融政策については、GDP比でみたとき、世界金融史上にも例をみないほどのマネタリーベース拡大などがいまも続いています。
また成長戦略についても、有効性はともかくとして、経済特区働き方改革などなど各種の施策が矢継ぎ早に打ち出されています。

しかし、財政政策についてはどうでしょうか。

図1のグラフは、財務省ウェブサイトに掲げられた一般会計の歳出状況のグラフを分かりやすく改変したものです。 *1

     図1 一般会計歳出の状況
      出所 財務省ウェブサイト
     歳入・歳出のグラフから歳出部分のみを示した。
     グラフ上部の西暦では、アベノミクス期('13年−)を強調表示している。

アベノミクス初年度の2013年こそ歳出規模で100.2兆円と、民主党政権時代の前年度比で増加となりましたが、その後は一進一退、今年度に至っては97.5兆円と、消費税を上げる前の民主党時代と同等あるいはそれ以下の緊縮財政となっています。
安倍政権になってから、消費税増税社会保障関係の事実上の大幅増税を断行したにもかかわらずです。

差し引きでいえば、アベノミクスとは、民主党時代よりも一層、緊縮財政指向の経済政策だということです。

85年ほど前の高橋財政ではわずか1年でデフレ脱却しました。
物価は、高橋財政前年にはGDPデフレータでマイナス10%近かったものが、翌年はゼロ%更に翌々年には3%と、それ以上上げる必要がないレベルとなりました。

その高橋財政初年には財政規模を前年比でなんと23%ほど拡大しました。*2
一方、アベノミクスでは初年こそ前年比で1.5%ほど拡大したものの、あとは一進一退です(図2)。

図2 アベノミクスと高橋財政 財政規模前年比推移
アベノミクス期の財政規模は対GDP比、高橋財政期は対GNP比それぞれの前年比。
アベノミクスは近年の経済統計から、高橋財政期については「昭和恐慌の研究」(p252)から算出した。
高橋財政では、4年目以後は過剰インフレ気味から財政抑制策に転じて軍拡を求める軍部の恨みを買い、
1936年の2・26事件につながった。

私としましては、金融政策が多少の為替への効果を通じての製造業支援になっていることなどは否定しませんが、円安は輸入業者から輸出業者への所得移転政策とも考えられます。
日本経済には再配分は更に必要とは思いますが、必要なのははごく一部の儲け過ぎの人から大多数の低所得者へであって、本質的には輸入業者から輸出業者への所得移転が求められている訳ではないでしょう。

また成長戦略はサプライサイドを拡大しようとするものですから、デフレを脱却してはじめて重要性を持つものではないでしょうか。

安倍首相をはじめとするアベノミクス推進者たちが、なぜ85年前の鮮やかなデフレ脱却の成功事例を省みることなく、人気絶頂の政権奪取後から支持率が無残に下がった今に至るまで、無為に時間を費やしているのか首をひねるばかりです。

【関連記事】 2014-08-15 アベノミクスと高橋財政を比較してみた

*1:引用先のp4グラフ

*2:対GNP比

すべては銀行の信用創造行動から始まる

皆さんは、おカネはどこで生まれるかを考えたことはおありでしょうか?
通貨の供給ルートとして、しばしば「信用創造」として、銀行に預けられたおカネが引き出しに備えた準備預金を除き、再び別の銀行に貸し出されるモデルが紹介されることがありますね。 
しかし、あの教科書に載っているモデルは間違いなんです。

おカネはどのようにしてうまれるか。
これについて、本日は、Twitterでのやりとりの延長で、横山昭雄氏の「真説 経済・金融の仕組み」を一部抜粋してご紹介します。

横山昭雄 「真説 経済・金融の仕組み」 p80-p84より

第3節 真の通貨供給メカニズム−モデルI

■すべては銀行の信用創造行動から始まる
いま歴史のコマを早回しして、現金・キャッシュが全く不必要なまでに信用化の進んだ金融・経済機構を想定してみよう。そこでは一切の取引・決済が預金通貨の振替、手形・小切手の授受を通してなされるため、銀行券・補助貨は全く不必要になる。また、政府の財政活動に伴う金融的諸取引、外国との貿易・資本取引に絡む諸金融現象についても、当分の間これを考慮の外に置くこととしよう。
この信用経済(これをモデルⅠと呼ぼう)の構成メンバーとしては、中央銀行とA、B二つの市中銀行信金・信組・農協等すべての預金受け入れ機関を含む概念)、資金を需要する甲、乙、丙、…等複数の企業とa、b、C、…等多数の家計があるとしよう。
この進んだ信用経済における、たとえば10000のマネーストック(全額預金通貨)は、どういうプロセスを経て供給されるのだろうか。
それは、銀行の(主として対企業)″貸出″行動を通して供給される(より広くは信用供与、つまり相手方への貸出のほかに、相手方からの有価証券買い取り・引受をも含む概念。以下便宜のため"貸出"なるタームをもって与信全体を意味することとするが、必要に応じて有価証券取得をも含む与信概念にも言及)のである。

今、一般企業と同様、利潤追求企業としての銀行Aが、企業甲の設備資金借り入れ需要(800)に対応する、とする。
(中略)
この時の取引関係の経理処理を、複式簿記の手法によって示せば図3-1の通り。つまり、銀行は貸出を行い、その反射行為として、自己の負債としての預金を創出するわけである。これを信用創造という。まさにM・フリードマンが言う通り、″銀行の書記のペンから預金が産まれる″のである。この後、企業甲が、機械メーカー乙から機械(700)を購入すれば、関係者の貸借対照表(B/S)は、図3-2の通り変化する。
この場合、便宜上、メーカー乙もA行の取引先と仮定する。
A行は、このような貸出活動を、甲以外の多数企業にも行い、トータルで7000の与信残高、したがって7000の預金残高を持っている、とする。同様にB行では3000の与信残と3000の預金残が見合っている、とする。
両行合計で10000の与信がなされ、経済全体として10000のマネーストックが供給されているのである。この時、経済全体のB/Sは図3-3の通り。
さて、以上の話の流れでは、預金とは、すべて銀行貸出・与信行動のはね返りとして創出された″派生預金″であると断じられ、既存の教科書によく見られるような、貸出と無関係な″純預金″あるいは″本源的預金″という概念が全く無視されている点、あまりにもこれまでの常識に反していることに触れておく義務があろう。


(中略)

 エコノミスト、つまりマクロの経済を考察している人達が、金融機構全体を論ずる場で、貸出のためには預金獲得が必要といった発言をしたとしたら、これは全くの誤りであると言わなければなるまい。それはたとえば、個人預金なるものをちょっと詳しく考えてみれば、すぐに理解できることなのである。

今ここにA行を取引先とする企業甲、そこに勤務し自宅からの利便を考えて給与振込口座をB行に開設しているサラリーマンaがいるとしよう。今月分のaに対する給与40万円が支払われて、B行におけるa名義個人預金口座に振込まれたとすると、この個人預金40万円は、B行にとって間違いなく、貸出の見返りでない本源的預金である。しかしながら、我々はすぐに、A行においてはその分だけ甲の企業預金が減少していることに気が付かねばなるまい。つまりB行にとっての本源的個人預金40万円の資金源泉は、実はA行における甲の企業預金であったわけである。そしてこの甲の企業預金は、恐らく甲が給与支払に先立って製品販売先丙から代金回収を受けたか、あるいは取引先A行から借入れをしたか、のいずれかによるものであろう。ここに気が付けば、さらに製品販売先丙の決済原資となった丙の企業預金もまた、その取引先B行からの借入れか、丙の販売先企業丁からの代金回収かである……と辿っていくことは極めて容易である。つまり、一行にとって本源的預金であるところの個人預金も、その資金源泉をたぐっていけば、結局銀行組織によってそれに先行して行われた、主として企業向けの与信行動にぶつかるのであり、それ以外ではあり得ないということが判明してくる。非債務者法人の純預金についても、理屈は全く同じことである。

このように見てくると、個別行の眼からは一見貸出に関係のない純預金に見えるものも、つきつめて信用体系全体で考えれば、何処かで行われた貸出の見返り(派生預金)に他ならないのであり、したがって(モデルⅠにあっては)「マクロ的に見るかぎり、貸出と無関係な、いわゆる本源的預金なるものはそもそも存在しない」ということがはっきりとしてくる。我々が、いま批判的に取り上げているフィリップス型信用拡張公式のミスリーディングな叙述ないし誤謬も、結局のところミクロの個別銀行の預金吸収行動と、全金融体系のマクロ的な預金創出メカニズムとを混同したことから起こったもの、と断ずることができよう。

恐らく、以上の話の流れがあまりに通説と異なるため、いぶかしさを禁じ得ないでおられるだろう読者のために、つまり、「それでは、そもそも本当の本源的預金なるものは、この世にないのか」と、戸惑っておられるかもしれない諸賢のために、話を少し先取りして言えば、モデルⅠにあっては、「中央銀行がオペレーションなどで供給する中央銀行預金のみが、全銀行システムにとって、つまりマクロ的に見て、唯一、(市中銀行貸出の見返り・派生ではない)という意味での、本源的預金と称び得るもの」なのである。さらにモデルの制約を取り払った後も、外貨流入などの特殊事例を除き、大筋この考え方が基本となることが判明する。

しかし、ここであわてて付け加えるべきは、「中央銀行信用による中央銀行預金のみがマクロ的本源的預金である」と述べたとしても、それは決して、「この本源的預金がベースとなって信用拡張メカニズムが展開される」などと、言おうとしているわけではない、ということ。むしろ、この〝誤解″こそが、筆者が、本書を通じて論駁したいと考えている最大のポイント。このあと順次、この点について、丁寧に論じていくこととしよう。(以下略)

いかがでしょうか。
>>まさに″銀行の書記のペンから預金が産まれる″

つまりおカネは銀行の貸し出しの際に生まれるという概念、ご理解いただけたでしょうか。

書評 「富国と強兵」

「現代の経済学者の大半は貨幣が何なのかを知りません。」
そう断言されたら、誰しも「そんな馬鹿な」と思うことでしょう。

ところが中野剛志氏の近著、「富国と強兵」の冒頭の数章を読めば、現代の経済学者の大半が貨幣を間違って理解していること、更にはその間違った貨幣観から、日本をはじめ多くの国々で間違った政策を提言している現状にも納得されるのではないでしょうか。

早速引用します。

貨幣の起源
主流派経済学の貨幣観はその開祖たるアダム・スミス以来、金属主義の立場に立ち、物々交換の困難から貨幣が発生する起源を説明してきた。 この金属主義に対立する学説が表券主義であるが、貨幣の起源に関心を寄せる歴史学者社会人類学者の多くは、表券主義の方に与した。それは、物々交換から貨幣が発生したという歴史的事実を発見することができなかったからである。 それどころか、歴史研究によれば、「計算貨幣」や「信用」といった社会制度は、商品交換や金属貨幣の登場よりもはるか昔の古代バビロニア時代以前の文明において、すでに存在していたことがあきらかとなっている。*1

金属主義によれば、貨幣の価値は、貴金属によって裏付けられているはずである。しかし、たとえばイギリスでは、17世紀後半、摩損によって重量を大きく減らした銀貨が流通していたが、物価・地金相場・為替相場にはまったく影響を与えなかった。また、イギリス政府は18世紀末から四半世紀の間、ポンドと金の兌換を停止していたが、ポンドが国際通貨としての地位を固めたのは、むしろこの時期であった。*2

経済とは、貨幣を中心とした社会現象である。経済というものは、貨幣の存在なくしては成り立たない。それにもかかわらず、主流派をなす新古典派の経済理論は貨幣の本質やその起源について、根本的に間違った理解をしている。*3

まず歴史的経緯から、大変簡潔に主流派経済学の貨幣観、「金属主義」の誤りが指摘されています。


それでは、中野氏は正しい貨幣の理解とは何と主張しているのでしょうか。

この金属主義と対立する学説は、通貨の価値の根拠は、その発行主体、とりわけ国家主権の権力にあるとみなす「表券主義(cartalism)」である。表券主義者は、貨幣の歴史的な進化や使用において中心的な役割を果たしてきたのは市場ではなく、国家であるとする。
(中略)
もっとも、主流派経済学も、不換紙幣の出現により、金属主義を見直さざるを得なくなってきており、今日では表券主義を支持するようになっている。 この場合、主流派経済学は、国家権力によって強制通用力を与えられた「法貨(fiat money)」として表券貨幣を理解するのが一般的である。
(中略)
これに対して、L・ランダル・レイは、同じく表券主義に立脚しながら、国家が貨幣を租税の支払い手段と定めている点が決定的に重要であるという説を唱えている。 彼の議論を要約すれば次のようになる。*4
(以下、大事な議論ですが、ここに書くには書評として重たすぎるので、中略。貨幣とは何かに興味がある方は、ぜひ「富国と強兵」を買って熟読ください)

レイは、貨幣とは負債であるという「信用貨幣論」と、貨幣の価値の源泉は国家権力にあるという「表券主義」を結合させたのである。 このような貨幣論を「国定信用貨幣論」(Credit and State Theories of Money)」と呼んでおこう。

「富国と強兵」では、中野氏は貨幣供給に関して巷間に流布している誤解にもきり込みます。

内生的貨幣供給理論
イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣:入門」に続いて、「現代経済における貨幣の創造」という解説を掲載し、その中で、貨幣供給に関する通俗的な誤りを二つ指摘している。*5
 一つは、銀行は、民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸出しを行っているという見方である。
 しかし、この見方は、銀行が行っている融資活動の実態に合っていない。 現実の銀行による貸出しは、預金を元手に行っているのではない。たとえば、銀行が、借り手のA社の銀行口座に1,000万円を振り込むのは、手元にある1,000万円の現金をA社に渡すのではなく、単に、A社の銀行口座に1,000万円と記帳するだけである。 つまり、この銀行は、何もないところから、新たに1,000万円という預金通貨をつくりだしているのである。
 銀行は、預金という貨幣を元手に貸出を行うのではない。その逆に、貸出しによって預金という貨幣が創造されるのである。貨幣が先で信用取引が後なのではなく、信用取引が先で貨幣が後なのである。このことを理解していたジョセフ・アイロス・シュンペーターは「実際的にも分析的にも、信用の貨幣理論(money theory of credit)よりも貨幣の信用理論(credit theory of money)の方が恐らく好ましいだろう」といったが、確かに的を射ている。
銀行による貸出しは本源的預金による制約を受けずに、借り手の需要に応じて行うことが可能である。銀行は、企業家に対して、理論的にはいくらでも資金を貸出すことができるので、企業家は大規模な事業活動を展開し、技術や事業の革新(innovation)を実現することができる。シュンペーターにとって、この信用制度こそが、資本主義の経済発展の中核に位置するものであった。
シュンペーターの指導を受けたミンスキーもまた、次のように述べている。

貨幣がユニークなのは、それが銀行による融資活動の中で創造され、銀行が保有する負債証明書の約定が履行されると破壊される点にある。貨幣はビジネスの通常の過程の中で創造され、破壊されるのだから、その発行額は金融需要に応じたものとなる。銀行が重要なのは貸し手の制約にとらわれずに活動するからにほかならない。 銀行は、資金を貸すのに、元手に資金をもっている必要がないのである。この銀行の弾力性は、長期間にわたって資金を必要とする事業が、そのような資金を必要なだけ入手できるということを意味する。*6

更に、もうひとつの通俗的な誤解についても。

さて、イングランド銀行の解説が貨幣供給を巡る通俗的な誤解として指摘するもう一つの例は、中央銀行が、ベースマネー(現金通貨と準備預金の合計)の量を操作し、経済における融資や預金の量を決定しているという見解である。
この見方によれば、中央銀行ベースマネーの供給が、ある銀行の本源的預金となり、それが貸し出されることよって、銀行システム全体で乗数倍の貸出・預金を形成することになる、いわゆる「貨幣乗数理論」である。この見方が正しければ、銀行による貸出し制約しているのはベースマネーであるから、中央銀行ベースマネーの量を操作することで、貨幣供給の量を操作することができるということになる。
 しかし既に述べたように、銀行は、ベースマネーを貸し出すわけではない。銀行による貸出しは、借り手の預金口座への記帳によって行われるに過ぎないのである。従って、銀行の貸出し(すなわち預金通貨の創出)は、ベースマネーの量に制約されてはいない。もちろん、銀行は貸出しを増やせばそれに応じた準備預金も増やさなければならないので、準備調達の価格(すなわち金利)を調節すれば、銀行の融資活動に影響を及ぼし、貨幣供給を調節することができる。それゆえ、今日の中央銀行は伝統的に、ベースマネーの量ではなく、金利操作を金融政策の主たる政策目標としてきたのである。*7

(中略)
驚くべきことに、経済学の標準的な教科書の中には、イングランド銀行が初学者向けの解説で説いている現実の貨幣供給のプロセスをまったく逆立ちさせたことが書かれており、それが一般に流布しているのである。いわば、現代の天文学の教科書が、天動説を教えているようなものであろう。*8

日本人の著書で、これほど貨幣の本質に踏み込んで、主流派経済学の誤り、およびベースマネー供給を手段とするリフレ政策の誤りをきちんと指摘した本を私は知りません。

そしてこの後も、

−タドリー・ディラードは新古典派経済学の想定(理論の中に、現実の貨幣が存在しない)を「物々交換幻想」とよんだ。
−「アダムの罪」を「ドグマ」にまで仕立てたのがジャン・パティスト・セイだとタドリーはいう。
−貨幣の中立性、セイの法則はともに、「物々交換幻想」から導かれているもの。
−これらが、リカードジョン・スチュワート・ミルら古典派、さらにジェヴォンズメンガーワルラス新古典派にも継承された。
−中でもワルラスは経済全体の需要が供給と均衡するという「一般均衡理論」の体系を確立し、新古典派経済学を主流派に押し上げる上で大きな貢献を果たした。
−主流派経済学は、いまなおワルラスが確立した一般均衡から出発して、分析を精緻化したり拡張させたりしているのである。*9 

と、現実の貨幣とは異なる、物々交換の幻想から出発した、古典派、新古典派、更には現代における主流派経済学が俎上にのぼり批判されています。

特に、現代の主流派経済学については、

主流派経済学は、日常的な意味における時間の概念や(シェイブテイル注:確率分布では表せないタイプの)「不確実性」を無視することによって、経済現象を数理モデルで表現することに成功した。主流派経済学は、分析手法を数学化したことによって、数学的な分析こそが厳密な科学という通俗的な科学観に強く訴えかけ、それによって、社会科学の中でも特に大きな影響力を持つに至ったのである。
しかし、不確実性を排除することは、貨幣の存在意義を排除することである。ワルラス一般均衡理論で不確実性を排除した時、そこから貨幣も蒸発した。
主流派経済学の経済モデルが大前提とする「一般均衡理論」が想定するのは、貨幣が存在しない世界なのである。

と、その理論の中に貨幣が存在せず、まったくもって現実の経済から乖離した代物として、厳しく批判されています。

これらの明晰な記述が、20章近くにも及ぶ「富国と強兵」の1章の中の一部に書かれているのですから、恐れ入ります。

 実は、本書の主題は、主流派経済学の根本的誤りを糺すことにはなく、これら正しい貨幣認識に基づく経済学と、厚みのある地政学とが交わるところに、新たな学問、「地政経済学」という視点があり、この視点から世界を俯瞰するとまったく新たなビジョンが生まれるというところにあります。

ただ、その内容にまで踏み込むのはとてもこの簡単なブログの記述では間に合いそうもありません。

この本は、現在の経済や政治について、いろいろな見解を持つ人々に、ぜひ一度は手にとっていただきたい名著です。

*1:「富国と強兵」p061

*2:同書 p062

*3:同書 p063

*4:同書 p060

*5:Michel McLeay, Amar Randia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economiy' Quarterly Bulletin, 2014b, Q1, Bank of England, pp14-27

*6:「富国と強兵」p067

*7:同書 p069

*8:同書 p070

*9:同書 p074