大恐慌最中の1932年、オーストリア・チロル地方のヴェルグル町の町長は、実業家・経済理論家のシルビオ・ゲゼルが発表していた「減価する紙幣」理論を実践しました。
当時の人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。
町長は、自らの財産を担保にして原資を作り、減価紙幣「労働証明書」を発行して周辺地域が失業率20%を超える中、多くの雇用を創出した実績は、当時のマスコミから「ヴェルグルの奇跡」として驚きを持って世界に紹介されました。
ヴェルグルの「労働証明書」
デフレで紙幣の実質価値が重くなる中、それ以上の速さで紙幣価値を劣化させるべく、月初に額面の1%のスタンプを貼らなければ
通用しないこととした。単純計算で、年利△12%の減価紙幣となっている。
そしてヴェルグル町では、わずか3.2万オーストリア・シリングが、254.7万シリングの売買につながり、通常のオーストリアシリングの14倍もの貨幣流通速度を記録しました。
(以下はこちらのブログで御覧ください)