貨幣とは何か
岩井克人「貨幣論」を読みなおしてみました。 残念ながら岩井氏は貨幣の本質に辿りつけずに終わったように思えます。 それでは貨幣史から、本当の貨幣の機能と貨幣の価値の源泉について考えてみましょう。
岩井克人氏は著書の大半でマルクスの労働価値論を振り返りながら貨幣とは何かを掘り下げようと論を進めていきます。
金貨については妥当な答え(貨幣商品説)にたどり着いたに見えましたが、磨り減った金貨や、兌換紙幣(兌換といいながら、実は全額兌換し得るか国民には見えず)に論を進めると、それは完全に妥当性を失います。そして、紆余曲折しながら、岩井氏は貨幣の価値とは、歴史過程での奇跡(つまり謎のまま)としてしまっています。貨幣は貨幣だから貨幣としての価値を持つ、といったところでしょうか。
これに対しシェイブテイルは貨幣の機能と価値の源泉について次のように考えます。
1.貨幣の機能:物々交換の加速
下のコラムの貨幣史の「秤量貨幣の発明」をご覧いただければ分かるように、紀元前3300年までには秤量貨幣が発明されました。具体的にはそれまでの物々交換されていた麦を一定容量に規格化して秤量容易とした途端、物々交換が3倍にも加速され、都市人口を支えられるほどモノの流通速度が増大しました。つまり貨幣の機能の本質は、物々交換の加速と言えます。*1
2.貨幣の価値の源泉:国の生産力
貨幣はかつては金貨もありましたが、現代では紙切れ・卑金属片あるいは電子信号などそれ自身では価値を持つとは言いがたいものに置き換わっています。
金貨からそれ自身では本質的には価値がないものに置き換わっても貨幣が価値を持つのは、貨幣が加速する物々交換の相手がある場合に限られます。
つまり貨幣の価値の源泉は、貨幣の流通する国の生産力です。 不換紙幣は中央銀行にそれと兌換されるものがありません。*2
何らかの原因で、貨幣が流通する国の生産力が落ちると貨幣はあっても物々交換の相手が減少します。 すると多くの貨幣で同一物が購われる状態、つまりインフレとなります。 デフレでは、生産力があっても、物々交換の媒体・マネーがないので物々交換の速度が低下します。 *3
コラム 貨幣発明史
【交換の媒体:物々交換の発明】
サルはモノを交換しないという。それに対しヒトが太古の時代におそらく世界中で物々交換を発明している。物々交換では仲介に金、銀、銅、鉄、黒曜石、石の円盤、ガラス玉、陶片、塩、矢、木材、樹皮、トウモロコシ、タバコ、毛布、子安貝法螺貝、そして人間の奴隷に至るまで自然発生的に多種多様の商品が用いられたが、これはまだ物々交換そのものだった。 そして紀元前3300年よりも前には、明示的な貨幣もなければ、都市もなかった。【交換尺度:秤量貨幣の発明】
紀元前3300年頃のメソポタミアの世界最古の都市テル・ブラクの遺跡からは同じ大きさの鉢が大量に発掘されている。
この中に入れた一定量の麦がお金の役割を果たしたとされている。同じ大きさの鉢により、麦が「規格化」されて、油1鉢=麦30鉢 といったように交換の価値尺度となった。 これにより物々交換の頻度は大幅に増大し、初めてテル・ブラクという都市の人口を支えるだけの食糧が供給されるようになった。貨幣が生まれたその時、都市も生まれることとなった。【価値の貯蔵:貴金属コインの発明】
貴金属コインの発明は紀元前7世紀のリディア王国(現トルコ)のエレクトロン貨とされている。
金銀といった貴金属は永遠に変質しない。労働などによって得た対価を、金銀などのコインとして貯蔵することにより莫大な富を集めることが可能となる。 紀元前5世紀頃のギリシャでは唯一の銀山がアテナイのラウリウムにあった。 アテナイは、ラウリウム銀山由来の銀コインによりギリシャ有数の都市国家となった。こうした経済的基礎を背景として日本が弥生時代のこの時代にギリシャでは哲学・文学・数学などの文明が花開いた。【モノと信用の分離の発明(低品位コイン)】
アテナイの銀コインには、ほぼ100%純度の銀であることを保証する、フクロウの刻印があった。 イタリアの都市国家ローマでは、アテナイ純銀コインが純銀であることを保障するためにフクロウの刻印を押したことを逆用し、銀の品位を落としたコインに当時の皇帝の姿を刻印して流通させた。 ここに実物の銀と、コインが保障する価値とが分離され、実体経済の活動量に応じた量のコイン供給が可能となった。【正貨コインと信用の分離の発明(紙幣)】
貴金属による貨幣は貨幣経済が活発になるにつれ、量が増えると重く運搬に不便で、摩耗による減価の問題もあったため、次第に貴金属との交換を保証する債務証書(手形)に置き換わった。世界初の紙幣は宋代に鉄銭の預り証として発行された交子と言われている。ヨーロッパでも、民間の銀行が発行した金銀の預り証である金匠手形が通貨として流通しはじめた。【紙幣と信用の分離の発明(不換紙幣・管理通貨制度)】
近代先進国では、紙幣は正貨(金)との交換を保障する兌換紙幣をもつことが一種のステータスであった時代があり、各国とも政府が紙幣と成果の交換を保証する金本位制を確立した。 ただこの制度はちょうどギリシャの都市国家が純銀コインを経済の基礎としたのと同じで、その当時の経済活動量とは直接関係がない金や銀の量に信用総量が規定されてしまっており、デフレになりやすい性質があった。
1929年の世界恐慌を機にデフレの害が顕在化すると、1931年まず日本で犬養内閣の高橋是清が主導して金輸出を禁止した。これにより紙幣は正貨との交換は保証されなくなったが、日本はさらに国債を日銀に引受けさせて通貨を実体経済界に供給することで世界に先駆けてデフレから脱出することができた。
この不換紙幣の発明は、純銀コインで経済活動量を規制してしまい没落したアテナイに対し、コインの銀品位を下げて経済活動量の増大に合わせてコイン量を増大させ、当時の世界を支配するに至ったイタリア半島中部の小都市国家ローマの低品位コインの発明と同じ発想だったというわけですね。
貨幣史からは、ギリシャや兌換紙幣のように、金銀の量に経済(商品流通速度)が制限された時代と、ローマ帝国や現代の管理通貨制度のように、貨幣の量を調節することで自由に経済が発展できた時代が交互に訪れています。
兌換紙幣でもないのに、中央銀行のバランスシートにこだわり、日本に必要な貨幣量を制限したがる日銀が、不換紙幣を再発明する日はいつのことでしょうか。
【関連記事】
お金の成り立ちとその背景 -NHKスペシャル「ヒューマンなぜ人間になれたのか第4集」より
【参考】
◇永井俊哉氏の貨幣とは何かは正しい方向で整理されていると思います。
ただ、価値の源泉を貨幣そのものに求めようとすると、インフレ・デフレの説明も困難かと。 貨幣を商品交換の媒体と捉えられているのだから、価値をその交換される相手の商品、それを生産する生産力に求めるなら、シェイブテイルの貨幣論と同じになります。
*1: 私がこの考えに実感を持ったのは、世界最古の都市遺跡で、世界最初の秤量貨幣が発見される、という二重の奇跡が起こったのはヘンだという疑問からです。これは二重の奇跡などではなく、貨幣が発明されれば本来潜在的に商品交換需要があればその商品交換が加速(実現)されるということ、また都市人口を支えるのは村落規模の経済ではダメということだったんですね。
*2:日銀は負債である不換紙幣の価値の裏付けは国債、と主張しますが、中央銀行に行っても日銀券を国債と交換することはありません。また国債の価値は当然ながら日銀券が無価値なら消失します
*3:デフレは、ラウリウム銀山を掘り尽くしたアテナイ、徳川吉宗の施政前半での緊縮財政、産業革命による生産力拡大に対し、金本位制・賠償金支払いなどの要因からマネー不足が続いた19世紀後半欧米での「大不況」、1930年前後の世界的大恐慌、そして1997年以降現在まで続く、日銀によるCPI=0%のデフレターゲティングと消費税増税による世界金融史上最長の日銀デフレと、生産力が向上しているのにマネーが供給されない条件が揃えば、いつでも起こりうると言えます。