日銀はなぜデフレ政策を堅持するのか
(1)デフレ脱却への処方箋は明確
昨日のエントリー「デフレ金融史の解剖」で見たように、過去のデフレでは、市中への通貨供給量が十分増えるとデフレ脱却できています。
( デフレ金融史の解剖は過去4回の著名なデフレについてその原因と脱却方法について事実立脚でそれらの共通項をまとめたもので、このエントリーを読む際には併せてぜひ一読ください. )
「現代日本だけ特殊なもの」の存在を前提として仮定しない限り、日本がデフレ脱却できないのは市中への通貨供給が十分でないから、と結論できます。
そうすると「なぜ日銀はデフレ政策を堅持するのか」という謎だけが残ります。
いろいとろ仮説検証していくと、筆者は日銀が不換紙幣の意味を曲解しているからでは、という仮説に行き当たりました。
(2)兌換紙幣の価値の源泉とデフレ
まず金本位制下の兌換紙幣の価値の源泉に戻って考察しましょう。兌換紙幣は正貨(金)との交換を保障していました。兌換紙幣の価値の源泉は中央銀行が保有する正貨、つまり金でした。
中央銀行が保有する金の価値は、その金採掘に要した過去の時代の生産力には直接関係する量ではあるかもしれませんが、現在のその国の生産力とは直接関係がありません。そこで何らかの理由、たとえば産業革命、あるいは技術革新などにより潜在生産力が増しているのに正貨量が増えない状態となれば、国全体ではカネがないためモノが買えない状態になります。 需要が供給を下回り(需給ギャップ)、これがいわゆる金本位制下のデフレです。
(3)日銀の不換紙幣の定義
ところが日銀は「日銀見解:兌換券はもとより、不換紙幣も日銀債務でありこれが日銀券信用の源泉 」更には「このような扱いは英米も同じ」としています。*1
日銀の採るこの「不換紙幣も債務」という考え方には、建部正義、三宅義夫、浜田宏一などの経済学者が反論しています。*2
端的に言えば、誰かが日銀に不換紙幣の日銀券の交換に訪れたとしても、日銀券の代わりに日銀券を渡す、というトートロジー以外には何も残りません。だからこそ文字通り不換紙幣と言えるのです。
日銀の採る「不換紙幣は中央銀行の実質債務説」には少し考えてもつぎのような疑問が生じます。
もし日銀が火事にあったとして、日銀の資産全てが滅失したら、その瞬間から、日銀券は一切の価値を滅失するのでしょうか?
不換紙幣が中央銀行のBSの右側に債務として記載されるのは、昔兌換紙幣が正貨(金)の借用証だった時代の名残に過ぎないものと思われます。 中央銀行の不換紙幣というものは、通常の会計上の意味では資産・負債・資本のどれにも当たらない性質ですが、ただ中央銀行の不換紙幣のためだけに、会計学ではバランスシートに「不換紙幣」という項目を作らなかったということに過ぎないのではないでしょうか。 (中央銀行が何らかの資産を買い入れて中央銀行券を発券している限り負債の項に書いておけば見かけ上バランスはしますが)
*3
(4)不換紙幣の価値の源泉は何か
不換紙幣について英語のWikipediaにはつぎのようにいくつかの定義が記載されています。
- 兌換されない紙幣
- 法定通貨
- 内在的には価値を持たない紙幣
これらのうち、「兌換されない紙幣」、「内在的には価値がない紙幣」というのは不換紙幣の一側面は表していても、価値の源泉を示した定義とは言えないでしょう。
筆者は不換紙幣の価値の源泉は、不換紙幣が法定通貨であることだと考えます。法定通貨とは国が「強制通用力」を持たせた通貨・貨幣を指します。 供給者側がある商品・サービスにある価格を提示していればその価格に応じた法定通貨と引き換えにその商品・サービスを引き渡すことが強制されています。つまり価格に応じた商品・サービスの提供が担保されているのが法定通貨ということです。
そうすると、モノ・サービスをつくりだす生産力こそが法定通貨の価値の源泉ではないかと考えられます。
つまり不換紙幣による管理通貨制度とは、敢えて言えば「生産力本位制」といえるのではないでしょうか。 通貨の価値の裏付けは本当は引き換えられるモノ・サービスであり、その財が何かはまだ決っていない段階でもその財を生み出す生産力が担保されていることこそが不換紙幣の価値の源泉といえるのではないでしょうか。
蛇足ながら、考えてみるとこの「紙幣の価値の源泉は生産力」、というのは、兌換紙幣を中央銀行に持ち込むことがそう頻繁にあったわけではないでしょうから、実は兌換紙幣でも実際は「紙幣の価値の源泉は生産力」であったと思えます。そうであるのに、紙幣量が正貨量で制限されるからこそ、潜在生産力量>通貨量となり、金本位制下でのデフレが生じていたと言えるでしょう。
(5)理想的な「管理通貨制度下での中央銀行」
筆者が見るところ、理想的な「管理通貨制度下での中央銀行」は、変化するその国の生産力に見合う少過剰の通貨を供給することで通貨の信頼を保障しているように思います。 ここで言う「少過剰」とは潜在生産力の発現を阻害しないように「過剰」ではあるものの、貨幣の価値の減損が大きくならないよう過剰過ぎない状態です。
「少過剰」の通貨の指標としてはCPIなどの物価指標を用いて、需給ギャップがわずかに需要が生産を上回る状態を目指し、CPIで言えば2%程度がその状態に対応していると考えられます。通貨が緩慢に減価することで、名目経済の成長を牽引します。*4 スイスのようにCPI= 1%狙いでは需給が全くバランスしてしまう。 日銀が狙い続けている、CPI=0%ではCPIの上方バイアスを勘案すると完全にデフレ指向となってしまっています。
「日銀は自ら作った不換紙幣の定義のワナに嵌り込んでいるから日銀はデフレ政策を堅持している。」
これが筆者の現段階での結論です。
世界でも物価が安定した国々と日本の物価(GDPデフレータ)推移
世界で最も物価が安定している国々(シンガポール〜フランス)では、GDPデフレータベースで
年間2%程度物価が騰がり、30年も経てば物価は80%騰がる(1.02^30≒1.8)。
世界の先進国中央銀行は中長期でこの辺を狙っているが、唯一日本は物価マイナスを狙う
「不思議の国」となっている。*5 日銀は「銀行券は、(兌換紙幣と同じく)日本銀行が
信認を確保しなければならない『債務証書』のようなものであるという性格に変わりがな」い
としているが、正貨不足でデフレに振れ易く放棄された兌換紙幣の欠陥は見事に無視している。
なお、ジンバブエなどの後進国では単年でGDPデフレータマイナスが時々観察されるが、
安定的にマイナスは世界中で日本だけである。 また、リーマン・ショック期には各国ともデフレ
懸念が発生したようにCPIはマイナス方向に振れ気味だったが、日銀を擁する日本は安定的な
マイナスだった。日銀の、外的要因によらず物価変化を一定(マイナス)に保つ能力は世界有数である。
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【関連記事】
デフレ金融史の解剖 …金融史にデフレ脱却の回答はあります。
日銀はもはや金融政策をやり尽くしたのか …総裁、日本は15年来デフレですが、デフレになりかかった発展途上国でもその翌年には簡単にCPIをプラスにしていますが。
*2:例えば、館龍一郎・浜田宏一(1972)『金融』岩波書店、建部正義(1997)『貨幣・金融論の現代的課題』大月書店p17など
*3:ついでに書けば、物理学などとは異なり、経済学には左右をバランスさせるためのこうした便宜的な扱いが時々見られて、たとえば、GDPの 三面等価の原理と呼ばれるものは生産、分配、支出の三面が等しくなるものとして定義されていますが、現実の経済において、生産主体と需要主体(家計・企業・政府)が異なる以上、生産された財・サービスが常に生産者の計画どおり販売されることはありません。実際の供給と需要の不一致を埋めるものは「在庫」です。例えば売れ残りがあれば在庫増として、生産よりも販売が多ければマイナスの在庫として計上され、在庫が需要サイド(支出面)に計上されることによって、三面等価が成立していることになっています。 言い換えれば、「在庫」というご都合項を入れない限り本当は三面等価の原理は成り立たないんですね。
*4:通貨がその身を削って、経済に貢献するイメージですね。日銀はその逆で日本経済を削って、通貨の価値を上げようとしています。 まさに「日銀は王より飛車をかわいがり」状態と言えましょう。