不換紙幣の信用維持は政策として意味があるのか
貨幣とは何かと言うのは永遠の課題のようで、何世紀にもわたっていろいろな答えが出てきました。
ただ、通貨の本来の性質を考えると、不換紙幣日銀券の信用を発行体日銀や保有する国債の信用に結びつける議論はかなり的外れと思えます。
◯ウィキペディアでの貨幣
貨幣をウィキペディアで調べてみると次のようになっています。
商品交換の際の媒介物で、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3機能を持つもののこと。
商品の価値尺度、交換手段として社会に流通しているもので、またそれ自体が価値あるもの、富として蓄蔵を図られるもの。
一方、貨幣とほぼ同義の「通貨」をウィキペディアで調べてみると次のようになっています。
通貨(つうか)とは、流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された、決済のための価値交換媒体。政府は租税の算定にあたって通貨を利用する。現金通貨は、一般に「お金(おかね)・金(かね)」と呼ばれる(但し、「お金持ち」などのように資産全体を指す用法も存在する)。しばしば「貨幣」と同義で用いられる。
ウィキペディアでは貨幣(通貨)の性質として、商品交換媒体(=流通手段)・価値尺度・価値貯蔵の機能があり、また国家により価値を保証されたもの、としていることになります。
◯多様な貨幣に共通する性質
では、実際の貨幣がこれらの属性をすべて備えているのでしょうか(図表1)。
すべての貨幣に共通する性質は、商品の交換媒体であることだけ
図表1 多様な貨幣の性質
日銀券をはじめとする不換紙幣はここに掲げた4つの性質を全て兼ね備える。
1780年銘マリア・テレジア銀貨は発行体の信用とは何の関係もなく通用した。
電子通貨ビットコインは保有者の思惑で価値が変動し、価値尺度が不完全。
昔使われていた麦などの秤量貨幣は保存性の悪さから価値保存が不完全。
図表1の1780年銘マリア・テレジア銀貨とは、エチオピアの西部とイエメンでコーヒーの商取引に、専ら使われていた貨幣で、他のどんな貨幣でも受け入れられず、1780年から1977年頃まで200年もの間使われ続けていました。 オーストリア政府がこの通貨を発行していましたが、1935年には貨幣鋳造権をイタリア政府に引き渡しましたが、イギリス、フランス、ベルギーもこの「1780年銘のマリア・テレジア銀貨」を発行しました。 フランスは「オーストリアが貨幣鋳造権を手放した以上、もはやこれは貨幣ではなく、単なるメダルである。どの国が発行しようと構わない」とうそぶいたとか。*1
「発行体」が単なるメダル、と位置づけているものが、流通地域では安定的な価値を持ったままその後も数十年流通し続けたわけですから、発行体の信用と貨幣の価値は必ずしもリンクしていません。
またビットコインにしても、国家発生以前から使われていた古代の秤量貨幣にしても、国家が価値を保証して流通しているわけではありません。
ビットコインには安定した価値がなく、価値の尺度としての機能は不完全です。 また古代の麦などの秤量貨幣は、保存性に問題があり、価値保存機能が不完全です。
こうしてみると、貨幣の必要最小限の性質は商品との交換媒体であることだけです。
◯商品券と貨幣の違い
貨幣について全く別のアプローチからその性質を考えてみます。
商品券と貨幣。この両者は何が違うでしょうか。
通用地域の広い狭いも違いのひとつかも知れませんが、ある地域だけで通用する地域通貨を考えると本質的な違いとは言えません。
決定的な違いは商品券が1度だけ通用するのに、貨幣は繰り返し使えることでしょう。
商品券に「本源的な価値」があるでしょうか。商品券は何らかの商品と引き換えられた後は、ただの印刷した紙以上のものではありません。
ということは引換え前の商品券の価値とは、引き換えられる商品の価値ということですね。当たり前といえば当たり前です。
一方、貨幣の方には「本源的な価値」があるようにも思えますが、商品券と貨幣の違い、繰り返し使える点を考慮すると、貨幣とは連続的に額面の表す価値の商品と引き換えられる商品券と考えられますから、貨幣の価値とは、引き換え得る世の中の商品の価値と考えられます。 *2
◯不換紙幣の信用とは何か
昔の兌換紙幣や、金貨などの金属貨幣を使っていた時代には、貨幣の価値の裏付けとは、貴金属の価値と信じられていました。
つまり兌換紙幣の信用とは、裏付けとなる正貨の量にリンクしていて、金貨などでは金貨の品位著しく不足して額面では通用しない事例も多々ありました。
一方、不換紙幣の場合はどうでしょうか。
不換紙幣の場合、もはや金などの正貨は担保されていません。従って、その不換紙幣が通用しない地域ではただの紙切れに近い存在です。
例えば日本で両替できない外国紙幣は、日本国内では額面分の価値を発揮することはできず、日本国内での価値はほぼゼロです。
逆に言えば、不換紙幣が通用する地域では、不換紙幣は常に額面として通用します。 その意味では不換紙幣は通用さえすれば、額面通りで通用するという意味での信用は常に担保されているということになります。
また、その不換紙幣が交換される商品・サービスの量・質は、インフレ率が一定水準以下にコントロールされている限り担保されています。
以上の議論では、どこにも発行体(政府・中央銀行)自身の信用、というものは出てきません。高インフレ国でなければ、発行体の信用など誰も意識しません。 高インフレ国での通貨の信用低下は、通用地域で引き渡し可能な商品・サービスの量・質が不十分なのに紙幣を過剰に発行することによって、インフレ期待が必要以上に高まった時に生じるのであって、デフレ国で通貨の信認低下が生じることは原理的にあり得ないといえるでしょう。
黒田日銀は日銀券ルールを事実上撤廃するなど、白川日銀に比べれば、無意味に通貨の信認を維持しようとしていない点は結構なことかと思います。 ただ、その黒田日銀もデフレ脱却の他に日本国債の信用維持という、デフレ国での金融政策として目標に掲げても意味のないことにこだわって、肝心のデフレ脱却への金融政策がゆっくりとしか進められていないように見えるのは残念なことです。
*2:もちろん額面分に限られます。また既にある商品以外にこれから創造される商品・サービスも引き換えられることが期待されるならば貨幣の価値の裏付けとなっているでしょう。