財務省だって空気で動く
インナーサークル*1での消費税増税推進運動では、その中心に「悪の中枢」が鎮座している、っていうのは妄想かも知れない。
なんだか彼ら、次官以下、一人ひとりにはそれほど悪気が無さそうな気がする。全員が単に周りの空気に合わせているだけ、というのか。*2
少し話が古いが、1998年、手段のみならず大蔵省の不祥事のドサクサに目的までの独立を勝ち得て、はしゃいでいた速水日銀は日本経済のデフレ化がはっきりする中で、ゼロ金利政策解除を強行。大蔵・村田政務次官の、「ゼロ金利解除で市場に送るシグナルが(金融引き締めに)変わることを心配している」との警告さえ無視。
そして大方の予想通り、速水日銀のゼロ金利解除強行政策は大失敗。翌年3月には、世論の非難轟々の嵐の中、速水氏らが話にならないと反対していたはずの量的緩和へと追い込まれた。
そしてその後は、以前から量的緩和策を主張してきた中原伸之氏ではなく、速水総裁が量的緩和政策の主唱者だったかのようにうそぶいていた。
このように、一旦権力を得た官僚組織の、政策失敗後の右往左往ぶりを眺めると、「誰も責任を取りたくないこと」自身が最大の目的化し、日本経済も量的緩和もどうなろうと、多数決で多い方を見極めることが最大の関心事、との観さえある。
要するに財務省消費増税も、大きく見れば財務省支配下の政治家・財界・御用学者・マスコミのインナーサークルによる策謀という感じがないではないが、上の速水日銀での多数決内容の大逆転などから類推すると、個々人レベルにおいては、財務省内でさえ、「出る杭となって打たれたくない」の一心で増税に動いている、という意味では、日銀のみならず財務省も、その駆動力は「空気」ということになるのではなかろうか。
…
アミーゴ教 教義第1条
◇引っ込み思案だった私
小学校のころは担任の女の先生に、家庭訪問などでは親に「少しおとなし過ぎるかも…」、といわれていた。
この傾向は成人しても残った。
とりわけ嫌な思い出は、当時同級生だった吃り(どもり)の友人の真似をしていたら、自分まで吃るようになった小学校3,4年頃。吃りの友人の真似なんて馬鹿なことをしたと思ったし、また喋るのが嫌になった。
◇成人してからも誤解されたことも
その後、吃りは小学校卒業までに無事治り、高校・大学・大学院・会社員と、社会的経験が多少できると、挨拶は大きな声でしなきゃ、とかまぁ、若い人が思うような向上心はそれなりにあって、努力して同僚や上司に挨拶するものの、どこかぎこちなく、当時の本人の自己評価とは逆に「真面目すぎるのか、面白みがないヤツ」という評価が定着してしまった。
◇それから随分年月が経ち…今では
☆この1週間で、知り合うことができた人々
(Twitterなどネット上は除く)
◯消防自動車の設計者
たまたま電車で図面を広げていたので、専門外かもとは思いつつもプラグイン・ハイブリッドについて質問し、満足できる答えを得て、「またいつかお会いしましょうw」と言って笑顔で別れた。
◯散歩をしていたコワモテ顔のおじさん
雑木林のそばで出会ったので、雑木林の中にある祠について教えてもらった。この人は意外に親切で、ついでに聞いた「この辺りに旅館に見えない商人宿はあるか」という私の斜め上質問にもすぐに答えてくれた。
◯近所の空き家の所有者
名前は知っていたものの互いに無関心だった。その所有者が何ヶ月ぶりかで、たまたまその空き家を掃除しに来たところだったので、いろいろとヨモヤマ話を。すると私が聞いていない購入価格、元の所有者の氏名や、この人は自分で買った住んだことがなく(投資目的だった?)、何度か人に貸しているが書類面接しているのでおかしな人は住まわせていないので私の家に迷惑はかけないとのこと(別に聞いてないんだけどね)。一旦別れた挙句、私の家をピンポンして、その人が私に、紙を。「これ、私の住所と携帯番号です」「万一不審なことが自分の空き家であれば連絡をお願いできますか」と丁寧に頼まれる。(それほど私を信用して個人情報明かしていいのかな?)
◯某駅地下道を棲家とするホームレス氏
何日も、ずーっと寝っぱなしで気にはなっていたが人物が不明なため、こっちは無視していた。でも寝っぱなしで死なれるとなんか嫌と思い、ボロ毛布をひっかぶって寝ていたホームレス氏(以下H氏と略)の、寝るために脱いでいた靴の片方に千円を突っ込みだまって去ろうとした所、気配に気がついたのか、私がH氏の家財道具泥棒だと思ったのか、キッと私を睨んだ。「あ、ごめんね。これでなんかうまいものでも食べてよ」と突っ込んだ千円札を取り出したところ、H氏、急に態度を改めペコペコと。ちょっといいことした気分。ところが翌日、同じ場所で毛布をひっかぶったH氏の近くに昨日はなかったタバコの吸殻が。更に翌日には吸い殻が増えてるし。タバコはやらない私としては「Hさんよ。あんたがホームレスになった理由がわかった気がするよ。でももう千円はあげられない」と心のなかでH氏に向かって話しかけ、我々の関係はそれっきりとなった。
【追記H26.1.27】もしかすると、このホームレス氏、急に運が巡ってきたのかも。
kwskはこちら。 http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20140127
◯吃りの中野さん
自分が小学生の時吃りだったことを告げたことがきっかけで、吃りの中野さんという人と仲良くなり、自分の経験を話したら、中野さんの吃りを治してあげられているようで、「こんなに自分の吃りが良くなるとは思ってもいませんでした。シェイブテイルさん(仮名)って神様みたいですよ」ととても血色のいい顔で感謝された。そういわれるとさすがに嬉しいシェイブテイル(仮名)だった。
◯某駅内で酒盛りしていたカナダ人・フランス人の二人のオヤジ
ま当然だけどまず ”Hi, may I join your party?" てな感じで酒盛りの二人に入り込み,15分位、ツタなーい英語で話し(自分の電車が来る前に) ”So...Anyway, Nice talking to you 2 guys, so long." (バイバイ)てな感じで別れた。
◇てな具合で
今ではかなり周囲との人間関係をコントロールできるようになった私です。
あくまでも自分との間の、人間関係のコントロールであり、相手そのものをコントロールする気はないけれどね。
で、そのコツはといえば。
ある意味、大変簡単。
世界中の誰も自分の敵はいないと思うこと。
そして街ですれ違う人々は、全員自分の古くからの友人と思うこと。
日本語の「友人」ってのはちょっと意味が重いかな。
ラテン系のアミーゴの方がニュアンスとしては近いかも。
あるいは人種のるつぼ米国で、まず初対面時点で "Hi, Im John. Nice to meet you"で握手していきなりトモダチモード、と同じですかね。
でも話しかけられた相手の方は必ずしもそうは思っていないので、スモールトーク(どうでもいいような天気・現在時間・電車の乗換など)で話しかけ、答えないのは論外として、心から古くからの友人のようにしてニッコリ話しかけた私への答え方がめんどくさそうだったら、その人と話すのは互いの時間の無駄ということで、(例えば時間を訊いた場合)「現在12時半ですか。自分の時計が狂っていてねwでもありがとう」程度で退散することにしています。半数以上の人は面倒臭がらないけれどね。 これがアミーゴ教(そんな宗教あったか)の教義第1条です。