シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

「国民1人当たり830万円詐欺」には気をつけよう

報道によれば、財務省から6月末時点での「国の借金」について昨日新たな発表があったようです。

 財務省は10日、国債と借入金などの残高を合計した「国の借金」が6月末時点で1053兆4676億円になったと発表した。

 3月末時点から4兆1015億円の増加で、不足する税収分を賄う国債の発行額が増えた。7月1日時点の人口推計(1億2699万人)を基に単純計算すると、国民1人当たりの借金は約830万円になる。

国の借金1053兆円=1人当たり830万円―6月末 
     時事通信 8月10日(水)17時58分配信


ほぼ同様の報道は同日、日経新聞朝日新聞産経新聞からも報じられています。

改めていうまでもないことですが、日本の国自身は対外資産が340兆円と世界一であることはこれらの報道機関自身が報じていますので、「国の借金」1053兆円という報道は誤りであり、正しくは「政府の家計などに対する負債が1053兆円」であり、報道とは逆に「国民1人当たり830万円の借金を政府が抱えている」という表現が正しいことになりますね。

その根本的間違いを一旦おくとしても、政府の債務1053兆円を「国民1人当たり830万円」と報じられていることを世界的企業トヨタに置き換えてみましょう。

直近の決算では、トヨタ自動車は売上28兆円、従業員35万人で、有利子負債よりも利益剰余金・現金同等物・株主資本を合わせた金額が多い、実質無借金経営をしています。

ただ、負債はないわけではなく、ないどころか、負債総額は29兆円もあります。
ということは、実質無借金の優良企業トヨタ自動車でも、従業員1人当たりにすれば85百万円もの借金を抱えていることになります。

もしある日、トヨタ自動車の社長が従業員に「あなた達従業員は現在85百万円もの借金を抱えているので、将来の従業員にツケを残さないために、給料から8%、2年後からは10%を天引きして借金を返済します。」と発表したら、従業員は全員、社長が気が触れたと思うことでしょう。

財務省時事通信日経新聞朝日新聞産経新聞など報道各社は、これと同様に、世界一おカネを海外に貸している無借金経営の日本について、気が触れたとしか思えない内容の報道を毎度毎度繰り返し、消費税増税が必要と唱えています。

本当にこれらの人々が気が触れていて日本は破綻寸前と信じているのならお気の毒なことで、としかいいようがないのですが、気が触れて財政破綻を信じている人たちが、ちゃっかり3年連続の公務員人件費増額を決めたり、消費増税時には新聞への軽減税率を求めたりもしないと思うんですが。

皆さんも、横行する国民1人当たり830万円詐欺には騙されないよう、十分気をつけましょう。

英国の経済格差は日本よりどれだけ酷いか調べてみた

先週末のイギリスのEU離脱決定は今も世界経済に影を落としたままです。

イギリスでは、エリート社会と低所得者社会がもともと分断されているところに、この投票結果はさらに分断を強める結果になるだろうと報じられています。

そうすると、近年移民流入が続く英国の格差社会はかつての格差を超えて、さぞ酷いことになっているのだろうと思い、ピケティの所得データベースを使って実際のところを調べてみました。(図表1)


  英国の所得下位者の所得は伸びているし、格差拡大もしていない
  日本の所得下位者の所得は著しく減り、格差は英国以上に拡大


 図表1 英国・日本の所得上位10%と下位90%の所得推移
 出所:The World Top Incomes Database Thomas Piketty他
 それぞれの所得水準は、2010年通貨で実質化されている。
 英国の所得格差は5.5倍程度で変化がないが、日本の所得格差は
 4.4倍から6.1倍と階級社会英国を超えている

 英国の下位90%の平均所得は、実質ベースでも1993年から2010年にかけて伸びていますし、絶対値では5倍以上開いている上位10%の平均所得との比も、予想に反して開いていません。

 一方、比較対象とした日本の下位90%の平均所得は実質ベースで1993年の225万円から149万円へと、実質34%もの減少となっています。
その結果、英国の所得格差は5.5倍程度で変化はありませんでしたが、日本の所得格差は4.4倍から6.1倍と階級社会英国を超えるまでになっています。 また日本の場合、英国とは異なり上位、下位とも実質所得が減少していることも特筆に値します。

 英国では日本同様の緊縮財政を続けている一方で、ロンドンのシティを世界の金融センターとして維持したり、住宅取得ローンに政府保証をつけたりと、民間の活力維持にはそれなりの努力をしている結果、民間の所得維持が可能になってるのでしょうか。

 かたや日本。 鳴り物入りで始まり、今も安倍首相は成果を強調するアベノミクスでしたが、総務省のデータなどによれば、国民の実質所得の低下はアベノミクスの間に更に強まっています。

 政府日銀は、イギリスのEU離脱ショックに備えるため、潤沢な流動性供給などで協力すると報じられていますが、政府の経済失政をいつまでもこうした海外環境や天変地異のせいにせず、あり得ない国債暴落を防ぐという無意味な緊縮政策が過去や将来の日本で必要だったのかを内省する必要があるのではないでしょうか。

途上国に始まり、EUに終わる?

今日も英国EU離脱報道がまだ続いています。 英国はもちろんですが、英国での離脱派勝利から、ドイツ以外のEU主要国内でもEU離脱派が勢いづいているようです。
各国内でも、ドイツに牛耳られて一挙手一投足に規制を入れてくるEUに対する不満が大きくなっているのでしょう。

ただ、EUは英国を準加盟国扱いにするという情報もあり、ノルウェー、あるいはカナダに準じて処遇するとすれば、英国に対して常識的な幅の中でオプションを提示して、離脱させるという流れになるとすれば、英国の離脱問題自身は不透明性が高い今が問題のピークなのかもしれません。

それに対して主要加盟国から離脱運動が盛んになっているEUのあり方こそ、今後の焦点となっていくのではないでしょうか。

ところで、2011年秋ごろ、リーマン・ショックで個人は多額の負債を抱えたまま放置されているのに、サブプライムローンを売った側の大手金融機関の多くが救済されたという不公平などの理由から、ウォールストリートが占拠されたことがありました。 

あのウォール・ストリート占拠運動もまた、直接的には欧州内に渦巻いていたEUに対する不満が米国に飛び火して発生したものでした。
その占拠運動の主導者のひとりは、デビッド・グレーバーという人物で、活動家でもありますが、本職はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学教授です。*1

彼は人類学調査で赴いたマダガスカルで、経済危機によりIMFから多額の債務を受けざるを得なくなりその代償として厳しい緊縮財政を強いられ、マラリア駆除の予算さえ削減されて、人々の命が緊縮政策の犠牲になる状況を目の当たりにしました。

この経験により、本職の人類学の研究から負債と貨幣の関連、およびマダガスカルの状況から負債と緊縮政策との関連について深く関心を持った結果、前者からは現在の経済学に対する強い疑問をいだき、後者から活動家にも進んだようです。 

シェイブテイルとしては、グレーバーはこう考えたのではないかと思います。 
「現在の経済学の基本的な誤りから、世界中に間違った緊縮政策がはびこり、人々を苦しめている」と。

さて、グレーバーの活動家面についてはおくとして、人類学の研究からは2011年に重要な一冊の本が書かれました。 Debt: The First 5000 Yearsという本です。
とても興味深い本なのに500ページほどの原書で、買って読めずにいましたが、この本の骨子について解説した文献を文化人類学者の松村圭一郎氏が現代思想に書いてくれていました。*2
この文献もとても短いという訳ではありませんが、更に骨子に当たる部分を引用します。

(以下引用)
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貨幣と負債の起源
貨幣の起源を語る経済学者にとって、負債はつねに貨幣のあとに発達したものだった。ずっと人類学がその誤りを指摘してきたにもかかわらず、経済学的には、信用貸しと負債は純粋に経済的な動機から生じるとされた。だから、負債が貨幣以前に存在するとは認められなかったのだ。経済学者は、交換の媒体としての貨幣が登場するまで、人びとは物々交換をしていたと考えた。社会が複雑になるにつれ、直接的な物々交換は煩雑になる。貨幣が媒体となってはじめて、市場が生まれ、取引がうまく機能するようになった。グレーバーは、この神話が想像の産物にすぎないという。

 未開の物々交換を貨幣が代替していくという神話の基礎をつくつたのが、アダム・スミスだった。スミスは、貨幣が政治体制によってつくられたという考えを否定し、それ以前に貨幣と市場が存在していただけでなく、貨幣と市場こそが人間社会の基礎であると主張した。人間だけが、ある物を他の物と交換し、そこから最大の利益を得ようとする。その人間の性質が労働の分業につながり、人類の繁栄と文明をもたらした。政治の役割は、貨幣の供給を保証するなど限定的なものにすぎない。このスミスの観点が、経済が道徳や政治からは切り離され、それ自身のルールに則って作用するという考え方をつくりあげた。
 グレーバーは、その説明には何ら根拠がないと指摘する。 人類学は、物々交換が異邦人や敵どうしのあいだで祝祭的、儀礼的に行われてきたことを示してきた。二度と会わない相手、継続的な関係を結ぶことのない相手との交換では、相互の責任や信頼を必要としない一回きりの物々交換が適切だった。

 経済学のテキストでは、交換する人びとが親しくなることも、地位の差もないという現実離れした想定がなされている。じつさいに社会関係をもつ人びとのあいだでは、物々交換ではなく、贈与交換になる。それが、人類学があきらかにしてきたことだ。

 洗練された物々交換は、むしろ国家経済の崩壊にともなって生じ。最近では、1990年代のロシア、そして2002年前後のアルゼンチンで、貨幣が使われなくなった。かって、ローマ帝国フランク王国カロリング朝が滅んで物々交換への転換が起きたときにも、硬貨を使わない信用取引が行われた。

 古代エジプトメソポタミア時代の紀元前3500年の記録も、硬貨の発明に先立って信用取引が行われていたことを記している。シュメール文明の時代に発明された硬貨の使われ方からは、貨幣が商業的な取引の産物ではなく、物資を管理するために官僚機構によってつくられたことがわかる。負債や市場での価格が銀貨で算定されても、それを銀貨で払う必要はなく、ほとんどが信用取引だった。グレーバーはさまざまな時代の資料を示しながら、物々交換の神話が虚構だと論じる。いわゆる「バーチャル・マネー(仮想通貨)」が最初にでき、硬貨はずいぶんあとにつくられた。さらに長い間、貨幣は一般的には使われず、信用取引を代替することはなかった。物々交換は、貨幣の一時的な副産物だったのだ。

 では、なぜ経済学において、この神話が保持されてきたのか。グレーバーは、その理由は、物々交換の神話が経済学の言説全体にとって中心的だったからだと指摘する。 経済学には、物々交換のシステムが「経済」の基礎にあることが重要だった。個人と国家にとって何より大切なのは、物を交換することである。その視点から排除されてきたのが、国家の政策の役割だった。グレーバーは、貨幣をめぐるふたつの理論を参照しながら、国家と貨幣の関わりを考察する。

貨幣の信用理論と国家理論
 貨幣の信用理論といわれる立場がある。この理論では、貨幣は商品ではなく、勘定のための道具だとされた。つまり、貨幣は物ではない。貨幣単位は、たんに計算の抽象的な単位にすぎない。では、物差しとしての貨幣は何を測っているのか。
 その答えが負債である。信用理論家たちは、銀行券は1オンスの金と同じ価値の何かが支払われるという約束だと論じた。その意味では、貨幣が銀であろうと、金のようにみえる鋼ニッケル合金であろうと、銀行のコンピューター上のデジタルの点滅であろうと、関係ない。それらは「借用書」にすぎないのだから。

 もうひとつの立場が、ドイツ歴史学派として知られる歴史家によって唱えられた貨幣の国家理論である。貨幣が計量単位だからこそ、皇帝や国王にとっての関心事となる。彼らはつねに国内で度量衡を統一することを目指していた。じつさいの通貨の循環は重要ではない。それが何であれ、国家が税の支払いなどで認めさえすれば、通貨となる。つまり通貨は政府への債務の印として取引されてきた。

 近代の銀行券も同じだ。最初に成功した世代的な中央銀行であるイングランド銀行が設立されたとき、イギリスの銀行家連合は、王に30万ポンドのローンを提供した。その代りに、彼らは銀行券の発行についての王室の独占権を受けとった。今日に至るまで、このローンは返済されていない。最初のローンが返済されてしまえば、イギリス全体の貨幣システムが存在しなくなるからだ。

 この観点から、国家がなぜ貨幣を用いて課税をするのかがあきらかになる。スミスが想定したように、政府から完全に独立した市場の自然な作用によって金や銀が貨幣になったわけではない。グレーバーは、むしろ貨幣と市場は国家によってつくられたと強調する。国家と市場が対立するというスミスに由来するリベラルの考え方は誤りで、歴史的な記録にもとづけば、国家なき社会には市場も存在しないのだ。マダガスカルでは1901年のフランスの占領によって、人頭税が課された。この税は、あらたに発行されたマダガスカル・フランでのみ支払いが可能だった。納税は収穫直後に行われ、農民は収穫した米を中国人かインド人の商人に売って紙幣を手に入れた。収穫期はもっとも米の価格が低い時期だった。
 多くの米を売らざるをえなかった世帯は、家族を養えなくなると価格が高い時期に、同じ商人からツケで米を買い戻すことを強いられた。借金から抜け出すには、換金作物をつくるか、子どもを都市やフランス人植民者の農園に働きに出すしかなかった。それはまさに安い労働力を農民から搾り取るための仕組みだった。農民の手元に残ったお金は、中国人の店に並ぶ傘や口紅といった商品の消費に使われた。この消費者の需要は、植民者がいなくなったあともマダガスカルをフランスに永遠に結びつけた。1990年に革命政府によって人頭税が廃止されたとき、市場の論理はすでに浸透していた。

同じことがヨーロッパの軍隊によって征服された世界各地で起きた。 それまでなかった「市場」が、まさに主流派経済学が否定した「国家」によってつくりだされたのである。
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いかがでしょう。 現代経済学が人類学調査の結果が否定する物々交換という神話を手放さないのは、経済学者にとっては現在の仕事の基礎を失うため、政治家にとっては、政府は小さいほうがいいという自分たちの主張の誤りを覆い隠してくれるから、というのは言い過ぎでしょうか。

シェイブテイルとしては、世界を変えるようなノーベル経済学賞が経済学者の世界からではなく、ちょっと会計をかじった人類学者から出るのではと半分冗談ながら思っています。

Debt - Updated and Expanded: The First 5,000 Years

Debt - Updated and Expanded: The First 5,000 Years

現代思想2012年2月号 特集=債務危機 破産する国家

現代思想2012年2月号 特集=債務危機 破産する国家

*1:生まれはニューヨーク

*2:現代思想 2012 vol.40-2 pp218「負債とモラリティ」

やはり、大昔物々交換などなかった

経済学の教科書のはじめの方に登場する物々交換ですが、フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」には物々交換が人類学などから疑問を呈されているという話を以前書きました。

大昔、物々交換などなかった - シェイブテイル日記 大昔、物々交換などなかった - シェイブテイル日記

今年4月に出版されたカビールセガール著「貨幣の新世界史」でも、少し違う切り口から大昔には物々交換などなく、貨幣の起源は債務にある、という説を紹介しています。

以下は貨幣の新世界史から引用します。*1

(引用開始)

                                            • -

お金のもうひとつの起源

経済入門のクラスでは、お金の歴史をつぎのように教えるケースがほとんどだろう。

昔々、世界の果ての地で、人びとは物々交換を行なっていました。しかし、常に満足できる形で成立するわけではなく、やがてお金が発明されました。

アリストテレスの思想はこの考え方の延長線上にあるし、さらに時代を下れば、アダム・スミスなど古典派経済学者にも行き着く。アダム・スミスによれば、分業によって道の専門化が進んだが、そのおかげで取引は複雑さを増した。それをスムーズに運ぶため、お金の役割がクローズアップされるようになった。彼は『国富論』で以下のように書いている。

たとえば肉屋が、自分が必要とする以上の肉を店に持っており、酒屋とパン屋がその一部を手に入れたがっているとする。肉屋もパン屋もそれぞれの仕事で生産したものしか持っておらず……このような状態から生まれる不便を避けるために、分業が確立した後、どの時代にも賢明な人はみな……他人が各自の生産物と交換するのを断わらないと思える商品をある程度持っておく方法をとったはずである。
〔「国富論 上」(2007年 山岡洋一訳)より引用〕

さらにスミスは、スコットランド高地では釘などの商品が交換手段として使われ、初期貨幣の役目を果たしていたと述べている。やがてこれらの商品に代わり、貴金属の小片が使われるようになった。
すでに本書ではお金の起源に進化生物学的な立場から取り組んできたが、食べものや手斧といった商品の物々交換がお金の誕生につながったという発想は、進化生物学的に見ても説得力がある。相互依存的な物々交換が貨幣による交換の先駆けだったという考え方は、ロマンチックであるし、わかりやすい。スミスには銀貨三枚を褒美としてあげて、この間題は解決ということにしたい。

ところがそう簡単にはいかない。あるイギリス人経済学者が一九二二年、「バンキングロー・ジャーナル」のなかでこの理論に疑問を寄せた。その経済学者、アルフレッドミッチェル・イネスは、スミスの説には歴史的な証拠がないどころか、実際のところ間違っていると主張した。さらに釘が交換手段として使われたという箇所は、ほかの人物からも誤りを指摘される。「ザ・ウエルス・オブ・ネーションズ」の編集者だったウイリアム・プレイフェアは、当時の釘職人が貧困層に属していたことを挙げ、釘の原材料を関連業者から提供してもらうしかなかったと説明している。おまけに業者は原材料だけでなく、作業中の職人がパンやチーズを買えるように融資までしていたという。つまり釘職人は債務を抱えていたのだ。作業が終了すると、職人は完成品の釘を業者に提供して債務を返済したのである。ミッチェル・イネスはこう書いている。「アダム・スミスは実体のある貨幣を発見したと信じたが、実際には信用取引の仕組みを発見しただけにすぎない」。

ミッチェル・イネスの論文はまずまずの注目を集め、特にジョン・メイナード・ケインズからは絶賛される。しかし一世紀近くのあいだ忘れられたままで、二一世紀になって再び脚光を浴びた。L・ランダル・レイなど著名な経済学者やデイヴイッド・グレーバーなど著名な人類学者が、この説の長所に注目したのだ。たとえばレイは、貨幣と債務はまったく同じものだと主張して、貨幣は債務の一手段にすぎないと指摘した。 一方、グレーバーは著書『Debt: The First 5,000 Years (債務‥最初の五〇〇〇年)のなかで、物々交換について研究した数人の人類学者の成果を紹介している。そのひとり、ケンブリッジ大学のキャロライン・ハンフリーは、つぎのような意見だ。
「純粋でシンプルな形の物々交換経済の事例はどこにもないし、まして、そこから貨幣が誕生したなどとは考えられない。入手できる記録文書の内容から判断するかぎり、そんなものが存在していたとは想像できない。」
著書のなかでグレーバーはいくつもの点を結びつけたうえで、これほど証拠が不足しているのであれば、貨幣の起源に関する従来の説の正しさは疑うべきだと語っている。そしてさらに、貨幣の発達に関する基本理論は神話にすぎなかったとまで推測している。

そもそもミッチェル・イネスと同じくグレーバーも、貨幣が誕生する以前から債務は存在していたと考えている。利子つきの融資は古代メソポタミアで最初に登場したが、それはリディア王国で硬貨が発明されるより何千年も古い。メソポタミアでは、神殿や宮殿や有力者の家で働く人たちは、銀や大麦などの商品価格に基づいて融資の金額を計算した。ちなみにビールのつけ払いも古い習慣で、古代メソポタミアではすでに普及していたという。 最終的にグレーバーは、債務が貨幣よりも先行していたか、少なくとも同時に発達したという結論に達している。このように債務は歴史的に重要な意味を持っているのだから、様々な角度から理解を試みるべきだろう。

                                            • -

(引用終わり)

貨幣の起源はアダム・スミスらの想像上の産物、物々交換などではなく「債務」であったという話に加え、アダム・スミスが物々交換の好例と考えた釘職人の釘さえ、債務の一形態だったというのは面白い話ですね。

ほぼ百年前にミッチェル・イネスが唱え、ケインズに絶賛されたという、上に引用した論拠をを踏まえ、書き換えられた経済学の教科書があるのなら、是非それを読んでみたいものですが、21世紀になった今もまだ国富論の間違いはそのまま堂々と事実であるかのように教科書に載り、その間違いを基礎に現在の経済学が組み立てられているのは、学問とは誤りを正していくのが本質と信じている私にはかなりの違和感があります。

 話は飛ぶようですが、安倍首相は最近の記者会見で、アベノミクスとともに財政再建の旗を降ろさず、プライマリーバランス均衡達成を目指すとしていますが、もし安倍さんが、政府債務というものは貨幣経済を毀損するどころか、その一部をなしていることを知ったとすると、それでもやはり財政再建を急ぐということになるのでしょうか。


18世紀スコットランドの釘もまた、流動性を持つ債務としてのおカネだった?


貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで

貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで

*1:p109

貨幣と財政からみた経済学派分類

安倍首相は昨晩(5月28日)、現在はリーマン・ショック級の経済危機という認識から、10%への消費税増税を2019年10月まで2年半先送りする方針を麻生副総理らに伝えたとのことです。 会合後の報道ではその方針に異論も出たとのことで最終的な落とし所はまだわかりません。

ただ、コンセンサスが得られてきたことは、どうやら金融政策中心のアベノミクスでは限界があり、デフレ脱却・景気好転のためには財政出動も必要だろうということです。

このブログを読んでいただいている方々からみれば、なるべくしてなった結果ということかも知れません。

それにしても、デフレ脱却・景気好転を願う目的は同じでもこれほどのアプローチに対する選好がことなるのでしょう。 今日はこの点を改めて考えてみたいと思います。

下の図は、貨幣(細かく言えば民間を巡るマネーストック)の生まれ方に対する認識(横軸)と財政政策の役割に対する認識(縦軸)の二軸で、マクロ経済に対する認識をグルーピングしたものです。*1


現代の主流派とよばれる経済学派は、全て貨幣外生説側、つまり図の左側にグルーピングされます。 左側のグループには新古典派系の経済学、ヒックス以後の新古典派総合、あるいはアメリカンケインジアンとよばれる新古典派の土台にケインズのトッピングを載せたような経済学もこちらに入るでしょう。

中央銀行がマネタリーベースを増やせば、民間のインフレ期待が高まり、民間を巡るおカネ、マネーストックも増えるという考え方は、中央銀行がコントロールするおカネマネタリーベースにより民間のおカネマネーストックが操作可能と考えていることになりますから、これまでの金融政策中心のアベノミクスを理論的に支えた岩田規久男日銀副総裁らのいわゆるリフレ派もこのグループになります。

ただこれらの主流派に属する経済観でも財政政策の重要性についてはかなりの幅があるようです。
財政破綻不可避であり、増税をすべきで財政出動はあり得ないという左下のグループ(財政破綻派としましょう)も現在の日本の学者では相当数いるでしょう。

一方、20年ほど前のアメリカンケインジアンは金融政策が主体であるべき(それに倣ったのが現在のリフレ派本体)ですが、クルーグマンなど現代のアメリカンケインジアンは、財金併用に大きく居場所を変えています。*2

さて、今後の安倍政権の経済政策と関わりが深いのは図の右側です。
こちらは主流派ではないので、画一的なグループ名は思いつかないのですが、仮に「貨幣非中立系」としましょう。

民間を巡る貨幣(≒マネーストック)は、民間銀行で負債と同時に生成し、中央銀行が生み出すマネタリーベースではコントロールはできないという貨幣観が共通しています。

ここには、例えば、旧日銀派例えば白川前総裁以前の日銀)、あるいはポストケインジアン系、現代金融理論(MMT: Modern Monetary Theorists)、そして日銀の実務を知った上で昭和初期にデフレ脱却を果たした高橋是清など、幅広い考え方がありますが、全て「貨幣非中立系」グループに一緒くたに属しています。

とはいえ、財政政策に対する選好性は大差があり、旧日銀派は財政政策にはネガティブもしくは無関心であり、今も欧州にいる現代のポストケインジアンは貨幣の内生性には関心が強そうですが、財政政策について統一的な見解は私が知る限りはありません。

さて、ケインズ経済学に名を残しているケインズですが、著書は難解で比較的早世したこともあり、位置づけが明確ではありません。
ただ、ケインズ経済学をモデル化したとされるヒックスは、新古典派の考え方をベースにモデル化したため、ケインズ自身の考えとはかなり距離がある「ヒックス経済学」とでもよぶべきものになっており、貨幣に対する考え方はいわゆる主流派のそれと考えて良さそうです。

ケインズ自身は貨幣の内生性にも気がついていたようですが、それをモデル化するには至らずこの世を去りました。ということでケインズは財政政策重視の、左右にまたがる広い帯で示しました。

前フリ?が非常に長かったのですが、シェイブテイルとしましては、デフレ脱却を目指し財政政策を打ち出そうという安倍政権が最も参考にすべきなのは右上に赤い◯で示した高橋是清の経済政策ではないだろうかと考えています。

以前も示しましたように、高橋是清は財金併用、特に単年で財政規模を急増させて、わずか1年以内にデフレ脱却を果たし、その翌年には早くも財政規模の縮小に舵を切っています。

アベノミクスと高橋財政を比較してみた - シェイブテイル日記 アベノミクスと高橋財政を比較してみた - シェイブテイル日記

高橋是清がいち早くデフレを脱却できたのも、是清が貨幣とは流動性をもった負債だということを実務経験から知っていたからでは、とシェイブテイルは思っています。 そういう私は、自称高橋是清派ということですね。

*1:もちろん経済学派の分類がこの二軸に限るなどということは全くなく、便宜的な分類です。

*2:経済学が専門ではない筆者は、主流派経済学には殆ど関心がないので記載が間違っている部分があるかもしれません。 その点はご指摘いただければありがたいです。

G7で安倍首相がピエロにならないためには

今日から明日までの日程でG7 伊勢志摩サミットが開催されています。

安倍首相はその地ならしとして、G7諸国が一致して財政出動するように求め、各国を回りましたが、調整としては不調に終わったようです。

それも当然で、カナダのようにすでに積極財政に転じて成果が出始めている国もあれば、英国・ドイツのように緊縮財政政権の国々もあり、一致して積極財政、となるはずもありません。

安倍首相自身、第2次安倍内閣をスタートし、「3本の矢」を発表した2013年こそ多少の財政出動をしたものの、2014年には消費税増税、昨年も緊縮と、金融政策頼みの経済運営が目立ちました。

その後、家計消費がマイナスなど経済減速がはっきりした昨年9月に、「新3本の矢」を打ち出し、2020年に名目GDP600兆円を打ち出したところは目を引きましたが、後は小粒な目標だけで、肝心の達成手段は何も公表されませんでした。

では、2020年、つまりあと3,4年で名目GDP600兆円を達成するにはどうすれば良いのでしょうか。

現在の名目GDPはちょうど500兆円ですから、今年以降、毎年4%成長を達成する必要があります。
一見非現実的な目標のようですが、そうとも言えません。

図は、安倍政権発足後の3年間での、先進国での政府支出の伸び率と名目GDPの伸び率の相関図です。

図 政府支出-名目GDP伸び率
出所 IMF 期間2013−2015年 データから筆者作図

図の左側、政府支出の伸びを抑制している国々は財政破綻が現実視されているギリシャキプロスなど欧州諸国です。  図の右側は財政破綻したものの、借金棒引きを叶えられたアイスランドなどで、世界一海外にカネを貸している日本は、財政破綻が現実のギリシャキプロスに近い緊縮を実施し、名目GDPの伸びも低い、という形になっています。

この相関関係はなかなか堅固で、幾通りかの国々、期間を選択しても同様の関係があります。
ですから、現在開催中のサミットで、安倍首相が年率4%程度の拡張財政を宣言すれば、おそらく予定通りに2020年頃には名目GDPが600兆円で世界も羨む状況となっているでしょう。

ただ、「アベノミクスを成功させる会」会長の山本幸三議員が最近首相に進言したように、わずかな財政出動とともに2%消費税増税をすれば、これが恒久的な負の財政出動ですから2020年に500兆円のGDP維持さえ困難で、はっきりとしたデフレに逆戻りしていることでしょう。

安倍首相が拡張財政を訴えて回ったことは大変結構なことでした。 ただ財政政策は各国の政府債務が裏付けで実施可能なものですから、日本は日本独自の大型財政政策、もしくは消費税大幅減税・廃止を打ち出せばいい話です。

もしも、折角招聘したスティグリッツクルーグマン両氏らの示唆も無視して、山本幸三の進言通りにすれば、世界から失笑を買うだけでなく、日本はさらなる失われた数十年を強いられることになるのではないでしょうか。

少子化対策は国債で

昨日厚生労働省から発表された2015年の人口動態統計によれば、昨年の出生率は1.46と、1994年の1.50並のレベルになっています。(図1)


図1 日本の出生率推移
出所: 厚生労働省 特殊出生率(H27)

とはいうものの、若い女性の絶対数が減り続けていることもあって、出生数自身は過去二番目の低さに留まっており、少子化にはまったく歯止めはかかっていません。

今朝の日経新聞社説では少子化対策について次のように論じています。

 大事なのは、若い世代の将来への不安を和らげることだ。政府が先週まとめた「ニッポン一億総活躍プラン」は、非正規で働く人たちの待遇改善を柱に据えた。安定した雇用と収入は、若い世代が結婚や出産の希望をかなえるのを後押しする。「同一労働同一賃金」の議論を進めるとともに、個人が自らの力を伸ばせるよう支援することが必要だ。

 男女ともに働きながら子育てができるよう環境を整えることも欠かせない。硬直的な長時間労働を見直すことや、保育サービスの拡充が柱になる。今は保育所の待機児童問題にばかり目が向きがちだが、小学校に入ってからの学童保育など、充実すべき点は多い。

確かに、若い世代の将来への不安を和らげることは必要でしょう。 消費税がどんどん上がるようでは子供を増やすという「贅沢」はその後の人生で大きなリスクを伴いかねません。

ただ、「ニッポン一億総活躍プラン」のような小粒な施策で、政府が目指す特殊出生率1.8や、人口減が止まる2以上などの目標に届くものなのでしょうか。


シェイブテイル個人としては、恒常的に若い人たちの生活が明らかに楽になる施策を取る必要性があると思っています。 
つまりは、子育て支援だろうが、婚活支援だろうが、いずれの施策を考えるにしても結局おカネの問題に帰着するのではないでしょうか。

例を上げれば、消費税撤廃、定額のベーシックインカムでも良いですが、恒常的に生活が楽になると分れば、恋愛・結婚・子育てすべて増えるでしょう。

財源は国債です。

消費税など税金の場合、民間からおカネを吸い上げて、同額財政出動してチャラですが、どの政権も同額財政出動するなど決してせず、法人税減税など福祉とは無関係な「浪費」が多すぎました。

世界一海外におカネを貸すほど金持ちの日本で財源を国債にしたからといって何の問題もありませんが、アレな格付け会社は日本国債の格付けをどんどん下げるかもしれません。 A+がA-に…、という具合に下がっていくかも知れません。しまいにはジャンク債レベルになるかも知れません。

でも、そここそ目指すところです。 ジャンク債になった日本国債はもう下げる余地もありませんから、誰も緊縮しようとは思わないでしょう。

格付けが下がるとカネが借りられなくなる? 今は銀行にも企業にもカネはあふれていますよ。 

ないのは若い人たちなど家計だけです。
だから国債でカネを若い人に撒けば全て解決するんですよね。