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やはり、大昔物々交換などなかった

経済学の教科書のはじめの方に登場する物々交換ですが、フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」には物々交換が人類学などから疑問を呈されているという話を以前書きました。

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今年4月に出版されたカビールセガール著「貨幣の新世界史」でも、少し違う切り口から大昔には物々交換などなく、貨幣の起源は債務にある、という説を紹介しています。

以下は貨幣の新世界史から引用します。*1

(引用開始)

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お金のもうひとつの起源

経済入門のクラスでは、お金の歴史をつぎのように教えるケースがほとんどだろう。

昔々、世界の果ての地で、人びとは物々交換を行なっていました。しかし、常に満足できる形で成立するわけではなく、やがてお金が発明されました。

アリストテレスの思想はこの考え方の延長線上にあるし、さらに時代を下れば、アダム・スミスなど古典派経済学者にも行き着く。アダム・スミスによれば、分業によって道の専門化が進んだが、そのおかげで取引は複雑さを増した。それをスムーズに運ぶため、お金の役割がクローズアップされるようになった。彼は『国富論』で以下のように書いている。

たとえば肉屋が、自分が必要とする以上の肉を店に持っており、酒屋とパン屋がその一部を手に入れたがっているとする。肉屋もパン屋もそれぞれの仕事で生産したものしか持っておらず……このような状態から生まれる不便を避けるために、分業が確立した後、どの時代にも賢明な人はみな……他人が各自の生産物と交換するのを断わらないと思える商品をある程度持っておく方法をとったはずである。
〔「国富論 上」(2007年 山岡洋一訳)より引用〕

さらにスミスは、スコットランド高地では釘などの商品が交換手段として使われ、初期貨幣の役目を果たしていたと述べている。やがてこれらの商品に代わり、貴金属の小片が使われるようになった。
すでに本書ではお金の起源に進化生物学的な立場から取り組んできたが、食べものや手斧といった商品の物々交換がお金の誕生につながったという発想は、進化生物学的に見ても説得力がある。相互依存的な物々交換が貨幣による交換の先駆けだったという考え方は、ロマンチックであるし、わかりやすい。スミスには銀貨三枚を褒美としてあげて、この間題は解決ということにしたい。

ところがそう簡単にはいかない。あるイギリス人経済学者が一九二二年、「バンキングロー・ジャーナル」のなかでこの理論に疑問を寄せた。その経済学者、アルフレッドミッチェル・イネスは、スミスの説には歴史的な証拠がないどころか、実際のところ間違っていると主張した。さらに釘が交換手段として使われたという箇所は、ほかの人物からも誤りを指摘される。「ザ・ウエルス・オブ・ネーションズ」の編集者だったウイリアム・プレイフェアは、当時の釘職人が貧困層に属していたことを挙げ、釘の原材料を関連業者から提供してもらうしかなかったと説明している。おまけに業者は原材料だけでなく、作業中の職人がパンやチーズを買えるように融資までしていたという。つまり釘職人は債務を抱えていたのだ。作業が終了すると、職人は完成品の釘を業者に提供して債務を返済したのである。ミッチェル・イネスはこう書いている。「アダム・スミスは実体のある貨幣を発見したと信じたが、実際には信用取引の仕組みを発見しただけにすぎない」。

ミッチェル・イネスの論文はまずまずの注目を集め、特にジョン・メイナード・ケインズからは絶賛される。しかし一世紀近くのあいだ忘れられたままで、二一世紀になって再び脚光を浴びた。L・ランダル・レイなど著名な経済学者やデイヴイッド・グレーバーなど著名な人類学者が、この説の長所に注目したのだ。たとえばレイは、貨幣と債務はまったく同じものだと主張して、貨幣は債務の一手段にすぎないと指摘した。 一方、グレーバーは著書『Debt: The First 5,000 Years (債務‥最初の五〇〇〇年)のなかで、物々交換について研究した数人の人類学者の成果を紹介している。そのひとり、ケンブリッジ大学のキャロライン・ハンフリーは、つぎのような意見だ。
「純粋でシンプルな形の物々交換経済の事例はどこにもないし、まして、そこから貨幣が誕生したなどとは考えられない。入手できる記録文書の内容から判断するかぎり、そんなものが存在していたとは想像できない。」
著書のなかでグレーバーはいくつもの点を結びつけたうえで、これほど証拠が不足しているのであれば、貨幣の起源に関する従来の説の正しさは疑うべきだと語っている。そしてさらに、貨幣の発達に関する基本理論は神話にすぎなかったとまで推測している。

そもそもミッチェル・イネスと同じくグレーバーも、貨幣が誕生する以前から債務は存在していたと考えている。利子つきの融資は古代メソポタミアで最初に登場したが、それはリディア王国で硬貨が発明されるより何千年も古い。メソポタミアでは、神殿や宮殿や有力者の家で働く人たちは、銀や大麦などの商品価格に基づいて融資の金額を計算した。ちなみにビールのつけ払いも古い習慣で、古代メソポタミアではすでに普及していたという。 最終的にグレーバーは、債務が貨幣よりも先行していたか、少なくとも同時に発達したという結論に達している。このように債務は歴史的に重要な意味を持っているのだから、様々な角度から理解を試みるべきだろう。

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(引用終わり)

貨幣の起源はアダム・スミスらの想像上の産物、物々交換などではなく「債務」であったという話に加え、アダム・スミスが物々交換の好例と考えた釘職人の釘さえ、債務の一形態だったというのは面白い話ですね。

ほぼ百年前にミッチェル・イネスが唱え、ケインズに絶賛されたという、上に引用した論拠をを踏まえ、書き換えられた経済学の教科書があるのなら、是非それを読んでみたいものですが、21世紀になった今もまだ国富論の間違いはそのまま堂々と事実であるかのように教科書に載り、その間違いを基礎に現在の経済学が組み立てられているのは、学問とは誤りを正していくのが本質と信じている私にはかなりの違和感があります。

 話は飛ぶようですが、安倍首相は最近の記者会見で、アベノミクスとともに財政再建の旗を降ろさず、プライマリーバランス均衡達成を目指すとしていますが、もし安倍さんが、政府債務というものは貨幣経済を毀損するどころか、その一部をなしていることを知ったとすると、それでもやはり財政再建を急ぐということになるのでしょうか。


18世紀スコットランドの釘もまた、流動性を持つ債務としてのおカネだった?


貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで

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*1:p109