シェイブテイル日記2

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リーマン・ショックとは何だったのか

 先週、ドイツ最大のドイツ銀行のCoCo債とよばれる銀行債の急落(利回り上昇)が報じられ、昨年後半からの米国利上げ、中国資源国経済減速とともに新たなリスクオフの流れにつながっています。

ただドイツ銀行以前にも、20世紀終盤あたりから現在にかけては、2001-2006年の欧米バブル期を除けば、数年ごとに金融危機が発生しています。

その中でもインパクトが強烈だったのが例のリーマン・ショックでした。
リーマン危機はあまりにも進展が速く、我々外部にいる人間には全体像が把握できないうちに世界経済を奈落の底に引きずり込んでしまいました。

現在もまた経済危機の初期局面にある可能性は小さくありませんので、今あらためてリーマン危機とは何だったのかを考えてみるのも悪くないでしょう。

1.危機発生以前
 アジア通貨危機(97)、ロシア危機(98)は米国財務省のルービン長官、ラリー・サマーズ(当時、国際問題担当財務次官から副長官)、省内でラリー・サマーズから異例に目をかけられたガイトナー(ラリーをアシスト)らにより、FRBグリーンスパン議長と連携し、彼らがIMFも実質コントロールすることにより、解決することができました。

 その後は大きい経済危機に見舞われることもなく、グリーンスパン議長による低金利政策もあり、2001年から2006年は、サブプライムローンというこれまで住宅融資を受けられなかった所得層まで低金利融資を受けられる環境も作られて、住宅市場も大きく伸び活況を呈していました。
 サブプライムローンが巨大化するにあたっては、ローンのリスクを証券化し再組成する金融手法がリスクを過小に見せていたことも寄与しました。
 
 2003年にはルービン、ラリーらの推薦によりガイトナーはNY連銀総裁となります。
また2006年にはゴールドマン・サックスの会長兼CEOだったハンク・ポールソンが財務長官に就任しました。

2.危機の初期
 2007年夏になると、サブプライムローン過剰債務を抱えた金融機関、例えばPNBパリバやドイツのIKBで流動性に問題が発生するようになりました。*1

 この年にはカントリーワイド(8月18日)、ノーザン・ロック(英国、9月14日)、シティグループ(11月1日)と次々と金融危機が発生しますが、まだコントロール可能でした。

 これらの一連の危機の下地を作ったグリーンスパンは、最も偉大なFRB議長と讃えられ、9月には「波乱の時代」という回顧録を出版しますが、皮肉なことに、本当に波乱の時代と呼ぶべきなのは出版以降すぐのことでした。*2

3.ベア・スターンズ危機
 2008年3月10日、大手投資銀行ベア・スターンズが資金繰りに窮しているという噂が浮上しました。
 これに対しバーナンキFRB議長(当時)らはベア・スターンズ救済の意志があったJPモルガンと共同してメイデンレーン有限会社という受け皿会社を設立し、JPモルガンが10億ドル、FRBが290億ドル拠出、同3月16日にはJPモルガンは最大でも10億ドルの損失までという条件でベア・スターンズを買収、危機を収束することができました。*3

さて、ここまででリーマン・ショックに対処したバーナンキFRB議長、ガイトナーNY連銀総裁、そしてポールソン財務長官らは精力的に個別の金融危機に対処し経験を蓄積し、ベア・スターンズに至って、受け皿会社を使った、救済民間企業のリスク限定手段も手に入れたのでした。

4.リーマン・ブラザーズ危機
 2008年6月、ベア・スターンズより更に巨大な投資銀行リーマン・ブラザーズが窮地にあることが顕在化しました。

 この時ほぼ同時並行で、ファニーメイフレディマックという2つの住宅公社でも金融危機が顕在化し、ポールソンはその解決に奔走し同年9月4日には2社を公的管理下に置き、危機は収束に向かうかに見えました。

 この9月、ポールソンは「リーマン危機に対しては公的資金を使う可能性はない」とリーマンの経営層、同社買収を検討する金融会社、そしてガイトナーなど危機対応チームにも繰り返し公言します。*4

その内幕をガイトナーNY連銀総裁はこう回想します。*5

…。しかし、公的資金を使わないという立場での交渉に、どういう利点があるにせよ、現実の公的政策としては理に合わないと思った。ベアー・スターンズへの干渉は、重大な難問に対してきちんと立案された解決策だった。ベアー・スターンズに対するJPモルガンとおなじ役割を演じて、リーマンを買収する会社を見つけたら、そのディールを成立させるために、私たちはある程度のリスクは引き受けなければならない。好き嫌いとは関係なく、そうするのが国にとって最善の利益になる。正常な時期なら、個々の会社の運命をあまり気にしてもしかたがない。しかし、巨大な危機のときには、システムの中核を保護する防御円陣や、火事を封じ込める防火帯を設けない限り、被害がひろがりやすい大手金融機関の清算を見過ごすべきではないだろう。そして、FRBにはそういう必要不可欠な防備を提供するだけのカがない。リーマンが破綻し、アメリカ政府が救済策はこれにて終了だと公表したら、まともな投資家は他の金融機関からも逃げ出すだろう。
救済はしないという交渉の姿勢はかまわないと思うが、そのためには、最後には民間の資金だけではパニックを鎮めることはできないということを理解していなければならない。
9月11日木曜日の夜、ベンとクリス・コックスSEC委員との電話会議で、公的資金は使わないという立場をハンクが強くくりかえしたとき、ハンクは本気でそういっているのではないかと、私は心配になりはじめた。「ミスター救済」と呼ばれるようになるのはごめんだし、ベアー・スターンズ式の解決策は二度と支持できないと、ハンクは宣言した。

ガイトナーは相当頻繁にポールソンと連携を取ってきた立場なのに、このありさま。
それまで、「ポールソンとは本心を打ち明ける仲」と語っていたバーナンキ議長に至っては、ポールソンからリーマンを見限るという意見がブラフなのか本心を明かしてもらうことなく、財務省公的資金をリーマン救済に使う可能性はないという財務省からのリークを9月12日までの新聞記事で知ることになります。*6

 ベア・スターンズとは異なり、政府が支援に乗り出さないと公表されてしまったリーマン・ブラザーズの株価は数日で暴落、いくつもの金融機関がリーマン救済を検討し、断念した後、最後までリーマン救済の意志があったメリル・リンチも、ハンクに公的資金投入はありえないと繰り返されて救済を断念、9月15日にリーマン・ブラザーズは破綻してしまいました。

5.リーマン破綻後
 リーマン破綻後も、というよりリーマン破綻後こそ、ショック・激震が金融界のみならず世界経済全体を襲いました。
ところが、リーマンは破綻させたのに、巨大保険会社AIGワコビアなど後続の主だった金融機関はすべて財務省FRBが救済に動いたのでした。

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 こうしてみてきますと、危機に陥った数ある金融機関の中でリーマン・ブラザーズに対する当局の対応の異様さが際立っていることがわかります。
しかも一枚岩とも考えられた、バーナンキガイトナーFRBチームとポールソンの財務省とがリーマン・ブラザーズ対応に限って、全く逆の判断をしていたことも注目に値します。

 この謎を考えるとき、ポールソンがリーマン・ブラザーズのライバル会社ゴールドマン・サックスの元経営者だったことを除けば、謎を解く鍵は見当たらないように思います。

その後、リーマン・ショックGM破綻など一連の実体経済危機、失業率増加などウォール街以外の世界中に波及していくと、救済されたAIGなど金融機関のトップが1億ドルを超す退職金をもらってやめることなどが米国議会・国民の糾弾の対象となり、財務省だけでなくFRBも批判されて行きます。

 ただ、改めて人材・ノウハウから見ればベア・スターンズ危機時点でリーマン・ショックは引き起こさずに済む条件がそろっていたと考えられますから、ポールソン独断によるリーマン・ブラザーズ強制破綻の異様性が際立ちます。

 米国政権は、IMF世界銀行といった「国際機関」や大学などのアカデミアだけでなく、ウォール街とも深い人的つながりをもち、スーパーエリートたちは「回転ドア」といわれるようにそれらの組織を行き来し、交流を深めます。 

こうしたことについては、日本では似た例といっても、竹中平蔵氏が大学人から大臣となり、現在は事業会社の会長をしている程度であり、実際上、米国の回転ドアのようなものはなく、これが官僚の閉鎖性、大学人の現実に対する無知を助長し、経済人の政策関与を阻んでいるという考え方もできます。

ただ、リーマン・ショックの病理を考えると、この仕組みがもたらすプラスとマイナス、どちらが大きいのか、考えざるを得ません。
少なくとも四半期利益で巨額のボーナスが決定され後先を見ずにレバレッジを掛けた投機に成功したものが金融機関のトップにたち、更に米国ひいては世界経済を牛耳る、という現在の米国の政治制度が完全無欠でないことだけは確かでしょう。

現在の大統領予備選で民主党サンダース候補が大変善戦していることは、米国民特に若い人たちは、ウォール街のギャンブラーが自分たちの将来を決定できるような現在の米国の仕組みに否定的であるということなのではないでしょうか。

【参考書籍】

ポールソン回顧録

ポールソン回顧録

危機と決断 (上) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録
危機と決断 (下) 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録
ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相

*1:バーナンキ「危機と決断」上p185,188

*2:バーナンキ「危機と決断」上p218

*3:バーナンキ「危機と決断」上p271-290

*4:ポールソン回顧録p230-

*5:ガイトナー回顧録p228

*6:バーナンキ「危機と決断」上p336