シェイブテイル日記2

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貨幣の中立性なんて一体いつなりたつの?

ここ数日来、主流派経済学の「大学院生」さんという方とシェイブテイルら経済人−経済に関心を持つ人々位の意味ですが−との間でディスカッションしています。

大学院生さんと我々経済人との間では、貨幣とは何か話はどうしても咬み合わない面があるのですが、大学院生さんは、貨幣の中立性について、

貨幣の中立性原理の主張によると,貨幣量の変化は名目変数にのみ影響を与え,実質変数には影響を与えない.ほとんどの経済学者は,貨幣の中立性は長期における経済の動きをかなりよく描写していると考えている.
http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/20150712#c1437640668

というコメントを書いてくれています。

そこで、マンキュー入門経済学で貨幣の中立性の部分を見てみますと…。

 貨幣の中立性という概念の意味を理解するために、つぎのようなアナロジーを考えてみよう。貨幣は計算単位であり、経済的取引を測る尺度であることを思い出そう。中央銀行が貨幣供給を2倍にすると、すべての価格が2倍になり、計算単位の価値は半分低下する。同じことは、政府が1ヤードを36インチから18インチに変更したときにも生じる。新しい尺度の下で、すべての測定された距離(名目変数)は2倍になるが、現実の距離(実質変数)は変化しない。ドル(円)は、ヤードと同じで測定単位でしかない。したがって、その価値が変化しても、実物面には重要な影響を与えないのである。

 貨幣の中立性の結論は、われわれの住んでいる世界をどの程度現実的に描写しているだろうか。その答えは、完ぺきな描写ではない、ということになる。1ヤードが36インチから18インチに変更されても、長期的には大した問題にはならないだろう。しかし、短期的に混乱やさまざまな失敗が生じるのは確実である。同様に、今日の多くの経済学者は、(約1〜2年の)短期においては、貨幣量の変化は実質変数に重要な変化をもたらすと考えるに足る理由があると信じている。またヒューム自身も、貨幣の中立性が短期にあてはまるということについては、疑いを抱いていた(短期における非中立性は次章で扱う。非中立性を学ぶことは、中央銀行が貨幣供給を変化させる理由を理解するのに役立つ)。

(マンキュー入門経済学 第11章 補論2 古典派の二分法と貨幣の中立性)より

マンキューは、この短い文章の中でも、「貨幣の中立性の結論は、われわれの住んでいる世界をどの程度現実的に描写しているだろうか。」と指摘しており、マンキューは貨幣の中立性自身、先に現実があるのではなく、先に思想があることを自覚していることが分かります。

また、経済学でいう「長期」とはいろいろな現実的な要素を捨て去った「モデル」のことで、そのモデルとは合わない現実を「短期」と呼び習わしていることにも注意が必要です。

それはさておき、”1ヤードが36インチから18インチに変更”されることと同等な経済的変更といえば、デノミネーションではないでしょうか。

デノミネーションの場合、単に36円のモノを18(新)円と読み替えるだけですから、確かに経済に実質的な影響があるとは言えないでしょう。

ところが、中央銀行が「貨幣」を増やすあるいは減らすときにはその効果はデノミと同じとはいえません。
しかもその貨幣とは何を指すのかで、その効果も違ってきます。 
場合分けして考えてみましょう。

ケース1. 中央銀行が量を操作する「貨幣」がマネタリーベースである時
これはちょうど今のアベノミクス第一の矢の主成分と言える操作です。
中央銀行が、商業銀行の国債を買い入れて、当座預金に変換する場合が典型例です。

こうしたマネタリーベースの増加は、金融部門では実質金利低下など様々な効果をもたらしますが、非金融部門(家計・企業)での名目面での効果は、デノミでは瞬時に名目価格が変化していることと対比すれば極めて限定的です。

ケース2. 中央銀行が量を操作する「貨幣」がマネーサプライである時
 これは、中央銀行が非伝統的な政策として、ETFREIT(日銀の場合)、あるいはMBS(モーゲージ担保証券、FRBの場合)のように市中の債券・証券を買い入れる場合が相当するでしょう。

これらの場合には、民間のマネーサプライが中央銀行の資産買い入れにより直接操作されていています。 ただ、この場合でさえ、マネーサプライの増加と名目面での変化(物価上昇)はデノミのように直接的な関係があるとは言えないでしょう。

ケース3. 中央銀行が量を操作する「貨幣」が名目GDPである時
ケース1,2での「貨幣」がストックとしての貨幣だったのに対し、中央銀行が直接フローとしての貨幣を動かすケースです。 
これは、例えば中央銀行が新発国債を直接引き受けして、政府が財政支出するケースがこれに相当するでしょう。 また中銀は市中から国債を買い入れ、政府は同額の国債を市中発行して財政支出した場合にもほぼ同様の効果が期待できるでしょう。

このケース3で、政府・中央銀行の貨幣の供給が瞬時であれば、生産量は貨幣の供給増、つまり需要増に全く追従できず、マンキューが描写したような、”中央銀行が貨幣供給を2倍にすると、すべての価格が2倍になり…”に似た状態が実現するかも知れません。*1

ただ、現在の日本のように、デフレで供給力に余裕がある状態では、短期間でもその供給力が潜在供給力となるまでは、価格だけでなく、供給量も増大するでしょう。 しかもマネーの増大が安定的であると市場が期待するならば、老朽化設備更新、あるいは現在より高価格製品販売企業での生産増大など、潜在供給力自身も短期間で増大し、価格の変化だけでなく、実質GDP増加に効果をもたらすことも期待できます。

マンキューの経済学は標準的な経済学の教科書とみられているとのことですが、そこで記述されている貨幣が、マネタリーベースなのか、マネーサプライなのか、はたまた名目GDPを指すのか不明であるうえ、そこで記述されているデノミまがいの現象は、現実世界では、起きる状況が想定しにくく、議論の余地が大いにある「貨幣の中立性」があたかも自明のことであるかのように語られています。

ここで触れた貨幣中立説はひとつの事例に過ぎませんが、「経済学」とは我々経済人の暮らす現実世界の経済とは次元が異なる、机上の世界にあるものだということを改めて再認識させられました。

*1:マンキューの想定する状態との大きな違いは、中銀以外が負っている負債の名目値は以前のままということです。
政府財政に関する健全性指標、政府債務÷名目GDPも分母が大きくなることで改善されますし、家計・企業も経済規模が大きくなることで負債の負担は軽減されます。