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デフレ脱却には財政ファイナンスは常道

財政ファイナンス。 
マスコミでは決してやってはならない経済政策上のタブーとして語られることが殆どです。 しかし過去のデフレ事例を見てみると、財政ファイナンスのまるで違った姿が見えてきます。

 今朝の日経新聞でも日銀の審議委員の中に財政ファイナンス(通貨発行権を財源にした財政政策)に許容的な発言があることに対し、「財政ファイナンスが容認されるなら、日銀の信認どころか日本の信認が揺らぐことになる。」と、財政ファイナンスに手を出せば、日本経済どころか日本自身が信用を失うといった極めて強い調子で財政ファイナンスを否定する記事が載っています。*1

 では古今東西古代ギリシャから現代日欧に至るまで、経済がデフレ化した事例は多数知られていますが、これらはどのような方法でデフレ脱却したのでしょうか。

図表1は過去のデフレ事例とその脱却方法です。

古来よりデフレ脱却は戦争と財政ファイナンスが主な手段だった

図表1 過去のデフレ事例とその脱却方法
デフレ化した原因では緊縮財政を淡墨色で示した。
デフレ脱却方法では、戦争を青、財政ファイナンスを煉瓦色で示した。

古来よりデフレになった原因は、貨幣量が減ってしまった(ギリシャアテナイや、元禄初期)、あるいは緊縮財政により敢えて世の中の貨幣量を減らしてしまった場合と、逆に技術進歩で米や物品の生産量が飛躍的に増えた場合があります。

またデフレ脱却が可能になった原因は、金本位制の下産金量が急増した(英米での19世紀大不況)といった事例もありますが、多くは戦争により国家が大量の需要を発生させたか、あるいは通貨発行権を持つ主体が意図的に貨幣量を増やして民間に流通させたといった事例が普通です。 そして今最後に書いた通貨発行権を持つ主体が意図的に通貨量を増やして民間に流通させることこそ財政ファイナンスそのものです。

これらの財政ファイナンスによるデフレ脱却により、その国の通貨が通用しなくなったり国の信用がなくなったりしたか、といえばそんなことはありません。 例えば元禄時代の元禄の改鋳で、小判の品位を落とした結果もたらされたものは、江戸幕府の衰退ではなく、元禄景気・元禄文化の開花でした。


アベノミクスでの黒田日銀も、既に財政ファイナンスの領域に手を染めているという記事も散見されますが、黒田日銀での金融政策の主力政策は、あくまでも国債を市中から買い入れ、それを銀行の日銀当座預金口座に積み上げているだけです。 *2

アベノミクスが始まって2年。 その間最初の1年は異次元緩和と緩やかな財政政策の結果、物価上昇も起こりデフレ脱却も間近に見えました。ところが今年4月に消費税を8%に上げるや、東大日次物価指数は直ちにデフレ方向に反転しました。

現在のアベノミクスは、金融政策と、消費税つまり負の財政政策の組合せです。
過去にこうしたアクセルとブレーキを同時に踏むような政策でデフレ脱却した事例は、シェイブテイルが知る限り、ありません。 

また、今の世の中でデフレ脱却のために日中戦争を始めたいという奇人もいないでしょうし、金本位制が廃止されて久しい今、貨幣は政府・中央銀行が発行したいだけ発行可能です。

過去のデフレ脱却事例を冷静に見れば、この平成デフレでも脱却方法の最有力候補は財政ファイナンスでしょう。

日経新聞にかぎらず、マスコミや学者は財政ファイナンスをやると直ちにハイパーインフレーションが起きたり、日本の信用が全くなくなったりとお題目のように書き立てますが、それは需要と供給がバランスしているマイルドインフレ経済での話です。

戦中・戦後すぐの高インフレの原因が、当時の大蔵大臣・馬場硏一が既にインフレが発生しているにも関わらず軍部の言いなりとなって実行した財政ファイナンスだったことから、マスコミや学者が財政ファイナンスを忌避する理由は解らないでもありませんが、既に熱かった湯をさらに沸かして沸騰した事例だけを引き合いに出して、冷たい湯を温めるのに有効な方法に封印をしたがるというのは、思考停止以外の何物でもないでしょう。

*1:日経新聞2014年12月3日 大機小機欄

*2:主力の手段ではありませんが、株式のETFや、不動産のREITの買い入れは、間接的ながら株価やREIT価格上昇を介して非金融機関である民間に資金を供給していると考えられ、広義の財政ファイナンスとみなすことは可能でしょう。