シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

ヴェルグルの奇跡以前にも「老化するお金」は実験されていた

不勉強な私は、ゲゼル発案の老化するお金の最初の実践はチロル地方のヴェルグル町長によるもの、と思い込んでいました。

「みち」という雑誌の巻頭言を執筆されている天童竺丸氏によれば、ヴェルグル以前に、ドイツで実験されていたとのことです。

世界恐慌に喘いでいたヨーロッパでゲゼルの「老化するお金」の最初の実験となった自由通貨「ヴェーラ」(Wära)には紙幣の裏面に一二の小さな桝が印刷されていて、その空欄に月ごとに額面の一パーセントに相当する額のスタンプを貼るようになっていた。つまり、ヴェルグルの「労働証明書」と同じく、一月に一パーセントずつ価値が減るというお金だったのである。
 ヴェーラはゲゼル理論信奉者だったハンス・ティムとヘルムート・レーディガーによって準備が進められ、ニューヨーク証券取引所のブラック・マンデーによって世界大恐慌が勃発した一九二九年一〇月、まさにその月に誕生した。ヴェーラ交換組合がドイツのエルフルトで設立されたのである。
 ヴェーラ交換組合の組合員はまたたく間に増えて、二年間に一〇〇〇社以上になった。組合員は当時のドイツ帝国のすべての地域に分布していて、その職種は食料品店、パン屋、酪農場、飲食店、自然食品店、肉屋、花屋、床屋、手工業品店、家具店、電機店、自転車屋、各種の工房、印刷所、書店、石炭販売店などさまざまな分野に及んでいた。
●このヴェーラを最初に町ぐるみ採用したのは、実はヴェルグルではない。ドイツのバイエルン地方の石炭鉱山町シュヴァーネンキルヘンだった。恐慌のあおりを受け閉鎖された鉱山の石炭を担保に鉱山主ヘベッカーが一九三一年にヴェーラを発行して鉱山を再開したのである。そして、人口五〇〇人足らずの小さな町に奇跡が起こった。

●ドイツのシュヴァーネンキルヘンにおいても石炭鉱山の労働者に支払われた自由通貨のヴェーラを、当然のことだが地元の商店では受け入れなかった。そこで鉱山主ヘベッカーはみずから鉱山労働者専用の日用雑貨店を開き、品物をヴェーラで売ることにした。
 ここで奇跡が始まる。新しい店には鉱山の従業員だけでなく、それまで他の店で買い物をしていたお客までが殺到したのだ。老化するお金ヴェーラは「素早く回転する」というその本質から、すでに鉱山従業員の手から他の人々の手へとわたっていた。ヴェーラを受け入れてくれる店舗が他にないという事情から、新しい店で買い物をする。
 それまで自由通貨に冷淡だった商店主たちも新しい店の繁盛ぶりを見ると、エルフルトに本部を置くヴェーラ交換組合にドッと押しかけ「われわれにもヴェーラを扱わせてくれ」と申しこむ。多くの企業もヴェーラを受け入れるようになり、周辺の町や村も関心を示す。
当然ながらこの奇跡は、不況に喘ぐドイツで話題になってニュースが全国的に伝えられたのだった。
●その勢いが国境を越えてスイスに拡がり、ヴェルグルでも奇跡を起こしたことは本稿の最初に述べたとおり。
 その「いいことずくめ」のヴェーラがなぜ使用されなくなったのか。ヴェルグルと同様ここで登場するのが「国家による通貨発行権」なのである。ヴェーラの止まることを知らない流通ぶりを、ライヒスマルクに対する脅威と見なしたドイツ帝国銀行は一九三一年一一月、ヴェーラを禁止してしまう。奇跡はわずか数ヶ月しかつづかなかった。
●「国家の通貨発行権」が真に経世済民のためにあるなら、奇跡の経済復興を成し遂げつつある自由通貨というものを座視するはずはなく、まして禁止するはずもない。となれば、ドイツにおいてもスイスにおいても、通貨が経世済民のために発行されていたのではなく、「国家の通貨発行権」に寄生し、これを簒奪した一部の勢力の存在を疑わせるに足りる。
 もしも、敗戦処理の不平等と世界恐慌とに痛めつけられていたドイツ、そしてスイスで、国家通貨によって自由通貨を封殺するのではなく、両者が共存し、さらに進んで国家通貨そのものが自由通貨に倣ってその性格を変えていたとしたら……。
 経世済民のための通貨というものを徹底的に考えて自由通貨を提唱したゲゼルを、英国の経済学者ジョン・メイナード・ケインズも高く評価していた。ヴェーラ禁止の五年後に刊行した『雇用・利子および貨幣の一般理論』(一九三六)の中でケインズはこう述べている。

 こうした改革者たち(シルビオ・ゲゼルやアーヴィング・フィッシャーなど自由通貨の提唱者)は貨幣に持ち越し費用を課すことの中に問題の解決を見てきたのであるが、彼らは正しい途にいたのである。このような解決は法定の支払手段に決まった料金を負担するよう周期的に義務づけるものであろう。……スタンプ貨幣の背後にある理念は健全である。

 そのケインズは生涯最期の奮闘として戦後の国際通貨体制を策定する一九四四年七月に米国ブレトン・ウッズで開かれた国際会議で、「マイナス利子の観念に基づく国際精算同盟」を提案している。ゲゼルの「老化するお金」を国際通貨の決済基準にしようという大胆な提案だった。だが、この提案は葬り去られ、米国の獅子身中の虫たるハリー・デクスター・ホワイトの提案した「市場原理案」が採用され、今日にいたる虚妄のブレトン・ウッズ国際通貨体制が確定したのだった。
●本稿で紹介したように大きな起爆力を秘めていることが実証されている自由通貨を国家通貨と共存ないし合体させることができれば、実体経済からはるかに懸け離れてしまった今日の国際的なカジノ経済を正当な姿にもどすための決定的な秘策となりうるのではないか。「老化するお金」「マイナス利子」という考えは真の経世済民の思想に基づいている、と私には思えるのである。

引用元 :「みち」 (文明地政学協会) 

 みち144号(平成14年07月15日) 自由通貨と国家通貨を合体せよ  

 みち143号(平成14年07月01日) シルビオ・ゲゼル「老化するお金」   

 みち142号(平成14年06月15日) チロルの町ヴェルグルの奇跡

シルビオ・ゲゼルの理論を実行に移せばどの国でもデフレ脱却に向けて動き出すもののようですね。