シェイブテイルのデフレ脱却実践記

シェイブテイル日記ではデフレ経済研究を行ってきました。今後はこれをデフレ脱却実践につなげます。

Fobes発デフレトンデモ説をありがたがる日経

昨日の日経新聞(電子版)に『語られ始めた「日本の失われた20年はウソ」という真実』という記事が載っていました。ただ、Fobesの筆者はそもそもデフレとは何かをご存知ないようです。 

日本の「失われた20年」というのは、単なる作り話どころではない。英語メディアがこれまで広めてきた中でも、とびきり不合理で、あからさまなでっちあげの一つである。私の話が信じられないのであれば、『インターナショナル・エコノミー』誌最新号に掲載されたウィリアム・R・クライン氏の記事を読んでいただきたい。今年に入ってポール・クルーグマンプリンストン大教授も同じような主張をしているが、一見低迷しているような日本経済は、それは経済的根拠とは無縁の、人口の変化に基づく幻影であるとクライン氏は指摘している。
   語られ始めた「日本の失われた20年はウソ」という真実  日経電子版 2013/8/29 7:00

この記事では、”日本のデフレは1880年から1900年にかけて建国間もない米国で見られた「良いデフレ」と似ている。”としています。

では、この当時の米国とは一体どのような時代だったのでしょう。

米国では、大不況は1873年のパニックを引き金として発生した。全米経済研究所では、パニックにひき続いて発生した不況は1873年の10月から始まり、1879年の3月まで続いたとしている。全米経済研究所の定義に拠れば、65ヶ月間というのは史上最長の不況であり、世界大恐慌の時の43ヶ月間を上回っている。ミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツの図が示すように、国民純生産は1869年から1879年にかけて年平均3%増加し、実質国民総生産は同じ時期に年平均6.8%増加した。しかし、1869年から1879年の間、米国の人口は17.5%以上も増加しており、一人当たりの国民純生産の増加はは人口増加率よりも低かった。1879年の出来事の後、米国経済は依然として不安定なままであり、1901年1月までの253ヶ月のうち114ヶ月間は不況であった。

物価の劇的な変化が、名目賃金を押し下げた。米国では、名目賃金は1870年代に四分の一減少し、ペンシルベニア州などの一部の地域では半分まで落ち込んだ。実質賃金は米国南北戦争の後も力強く伸びており、1865年から1873年にかけて25%増加したものの、1880年代までに実質賃金の増加は伸び悩み、実質成長はなくなった。再び実質賃金が増加するのは1880年代末のことである。綿花の価格崩壊は、既に戦争によって疲弊した米国南部の経済を更に壊滅させた。農産物価格は劇的に下がったものの、米国の農業生産高は増大し続けた。

米国企業の多くが倒産し、10億ドル以上の負債が債務不履行に陥った。ニューヨークの労働者4人に一人が、1873年から1873年の冬の間失業しており、国全体では100万人が新たに失業した。
             Wikipedia「大不況(米国)」より

当時の米国では第二次産業革命で一人あたり生産性が伸びているのに、通貨の方は金本位制に復帰しようとして、産金量に制限された通貨しか供給していませんでした。
その後、1890年に青化法と呼ばれる、シアン化物を用いた金の精錬法が発明されると、産金量が急増して米国大不況は収束に向かいます。

Fobesの筆者は、デフレの問題が生産力が伸びないことではなく、通貨供給量不足からくる需要不足であるという基本を知らないのではないでしょうか。

またFobes記事では、あたかもデフレと人口減少が関係しているかのような記述もあります。
実際、世界には20カ国以上の人口減少国がありますが、それらの中で経済統計が整備されている17カ国の中では、日本(図中)以外は全てインフレ国です(図1)。

人口減少国中、デフレは日本だけ

図1 人口増加率と物価上昇率の関係
出所:人口増加率=国連報告 *1物価上昇率=IMF WEO GDPデフレータ
数値は2005-2010年の変化率(%)。
赤い丸が日本、紫丸は日本以外の人口減少国。

デフレ人口原因説は、日本では日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介氏が「デフレの正体」という著書で持ち出し、その後散々批判を浴びました。
先進国唯一のデフレ国、日本の経済メディアが、いままた海外発のこうしたトンデモ説を垂れ流すのはいかがなものでしょうか。