シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

国の債務は返済の必要がないという本質

個人の債務は返済すべきだが、国の債務は返済の必要がない。

ちょっと禅問答のようですが、この一文の意味がよく分からない人はしばしばいるようです。というか大多数かもしれません。
日経新聞でさえそうですから。

国の借金1000兆円 6月末 国民1人792万円に

 財務省は9日、国債や借入金、政府短期証券をあわせた「国の借金」の残高が、2013年6月末時点で1000兆円を突破したと発表した。前年同月末に比べて32兆円超増えた。7月1日時点の総務省の人口推計(1億2735万人)をもとに単純計算すると、国民1人あたり約792万円の借金を抱えていることになる。

 国の借金の残高は1008兆6281億円。一国の公的債務の大きさを国際比較する際には、国と地方の分を合算した指標を使うが、今回の発表は国の分だけだ。

 国の借金は1981年度に100兆円を超えた。00年に19年近くかかって500兆円を突破した。1000兆円を超えたのは、その13年後で借金増加のペースは年々上がっている。クレディ・スイス証券白川浩道氏は「歳出削減や増税だけでなく、経済成長しない限り借金は今後も増え続ける」と指摘する。

 残高の内訳は、国債が830兆4527億円、借入金が54兆8071億円、一時的な資金不足を補うための政府短期証券が123兆3683億円だった。国の借金は13年度末には、1107兆円になる見通しだ。

 政府が計画通りに財政健全化を進めても債務膨張に歯止めがかからない。国の借金もふくらみそうだ。

        日経新聞 2013年8月10日朝刊

 よく知られているように、ここでいう国、つまり政府の債務は、国債などの形で発行されています。その国債などを買っているのは市中の銀行など金融機関で、その原資は家計や企業からの預貯金です。 国の借金を”国民1人あたり”、というのはそもそも失礼な話で、国民は国にカネを貸している立場です。

もっとも、1000兆円の返済を政府から国民が必ず迫られるというのであれば、日経記事もそれなりの意味があります。
しかし、国の債務は個人債務とは異なり、完済する必要がないのです。もっと言えば完済してはならないのが現代金融システムとも言えます。

この少々わかりにくい現代の金融システムについて説明された文章を、元の英文のハイライト部分だけ、拙訳でご紹介します。
内容は、米国債Fed(連邦準備制度)との関係ですが、日本政府の債務と日銀に置き換えても話の本質は何ら変わりません。

米国債は定期的に市場で売買されます。 近年では中国や日本などのメガバンクによってその大半が購入されているといっても過言ではありません。 市場では銀行が米国債を購入すると、代金は財務省の国庫に送金され、そしてそこから政府財源として民間に再配賦されます。

 マネーが本源的にどこから来るのかを説明すると言ってまだ約束を果たしていませんでした。
 先ほどの米国債は既に存在していたお金で購入されました。 マネーは、Fed(連邦準備制度)が米国債市中銀行から購入する際に創造されるのです。

その際Fedはこのようにします。彼らは国債と同額のマネーを市中銀行に振り込み、代わりに国債の所有権を受け取ります。 これで国債はマネーと交換されました。

さて、ではこのマネーはどこから来たのでしょう? よくぞそれを尋ねてくれました。それは無から生じるのです。Fedがマネーを創造する時、Fedは債務を「購入」するのです。新しいFedのマネーは常に債務と交換されます。 
このページのタイトルは「全てのマネーは借金から創造される」としましょう。

信じられませんか? 連邦準備制度からの “Putting it Simply:” という冊子から引用します。「あなたや私が小切手を振り出す場合、小切手の額をカバーする十分な預金が口座には必要です。 ところがFedが小切手を切る場合、Fedはマネーを創造します。小切手が引き落とされる口座、などは存在しません。 Fedが小切手を振り出せば、それでマネーは創造されるのです。」

(中略)
もしここに書かれた概念をあなたが理解できれば、自分を褒めてあげましょう。 なぜなら、それは簡単ではないからです。

ここまでの通貨への理解から、我々は次の二つの大変重要なキーコンセプトにたどり着きます。

その第一は、全てのマネーは債務で裏付けされている、ということです。地方銀行のレベルでは、全てのマネーは債務から創造されます。Fedのレベルでは、マネーは単に無から創造され、利子付きの政府債務と交換されます。 どちらの場合も、マネーは債務で裏打ちされているのです。 それは利子付きの債務です。 このキーコンセプトから、極めて重大な結論が導かれます。 つまり、最低でも過去の利子付き債務を賄うだけのマネーが創造され、貸し出される必要がある、ということです。

少し言い換えるならば、巨額の債務は毎年、債務の利子分だけは増大せねばならないのです。毎年、債務は数%増加せざるを得ません。我々の債務をベースとした通貨システムは毎年数%拡大するシステムであるため、現代の通貨制度はその設計からして指数的に増大するシステムなのです。 その当然の帰結として、債務の総量は通貨の総量を常に上回ります。

 私はこの制度の良し悪しを断じるつもりはありません。 ただ単に、実際こうなっている、ということを述べているだけです。 通貨制度の設計を理解すると、我々の経済の将来像が思いもよらないということはなくなります。そうではなく、通貨制度のルールによって制限されます。

以上により、我々は次のキーコンセプト、近代金融システムでは際限のない拡大が要求されていることが分かります。
     Chris Martenson's peak prosperity  
    Crash Course Chapter 8: The Fed - Money Creation  

 現代の金融システムでは、あなたや私が持っている全てのマネーの背景として、必ず同額の債務が存在し、また債務があるからマネーが存在するといった関係があるわけです。
ここさえ押さえれば現代金融システムの根本は分かったことになります。

それにも関わらず、政府がその債務を故意に縮小する、ということは取りも直さず民間に出回るマネーの規模を故意に縮小させることでもあります。その結果はマネーがもとの「無」に戻るだけです。 

一方、デフレ日本では、インフレ転換することで経済が成長すれば、これまで利用されていなかった労働力や設備が稼働して大きな自然税収増が生み出されます。そうすることで、政府債務のGDP比は減らすことができます。

実際、1997年の橋本増税財政再建を目指したものでしたが、現実にはデフレ経済を強化し、政府債務の増加を加速したに過ぎませんでした。
逆に、景気が良かった2006、7年頃は自然増収と名目GDPの伸びにより政府債務対名目GDP比は下がっています。(図1)



図1 政府粗債務対GDP比の推移
出所:世界経済のネタ帳のデータから筆者作成
縦軸:パーセント。財政再建を狙った消費税増税、緊縮財政の1997年頃から債務指標の増加が加速し、
景気が良かった2006、7年頃には債務指標は減少に転じている。

さてみなさんなら、消費税増税で民間に回るマネーを減らし、政府債務を加速する政策と、インフレ転換により自然税収増で政府債務をコントロールする政策とでは、どちらを選びますか?


◇こちらもぜひご一読ください。