シェイブテイル日記2

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米国人の常識は欧州人の非常識

 去る24日のダボス会議ではドイツのメルケル首相が「為替操作への問題意識は高まっており、日本に対して懸念を持って見ている」と述べ、日本を名指しで批判しました。

 このメルケル首相の批判は、急な円安進展に対してとはいえ、1円の円売り介入もせずに単に2%のインフレ目標を導入しただけの日本に対して、不当なものであることは自明です。 ただ、メルケル首相がこのような批判を日本にするのは、長引く欧州危機から欧州人の目を外部に向けたい思惑があるのかも知れません。
 
 欧州連合の歴史は決して新しいわけではなく、第二次世界大戦の反省から1946年にウインストン・チャーチルが「欧州合衆国」の概念を提唱し、1951年には既に戦争に欠かせない鉄と石炭の産業を欧州各国で統合する、という欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC) *1 が発足しています。1953年に公開された映画「ローマの休日」でも、オードリーヘップバーン扮する某国王女が「ヨーロッパ諸国の同盟関係の緊密化を希望します。」という外交辞令を述べる場面があるほど、当時から世界中の注目を浴びていたようです。
そのECSCの流れを汲む欧州連合が、60年を経た現在は危機に直面しています。欧州連合の枠組みには何か根源的問題があるとみてよさそうです。

 欧州危機の原因は、片岡剛士氏らが指摘するように、「共通外貨」ユーロを導入した国に生じる国際金融のトリレンマ問題と見ることもできますし*2、1999年にノーベル賞を受賞したマンデル教授とスタンフォード大学のロナルドマッキノン教授の指摘する「最適通貨圏」つまり、同一通貨を使用する地域がどのような条件を満たせば最適な規模になれるかという観点からみると、現在の欧州圏が広すぎ、条件が似ている北部諸国と南部諸国という枠組みであるほうが望ましい、という見方もできるでしょう。

ただ、ロナルドマッキノン教授自身は、欧州危機の本質的解決策として、米国建国の父のひとり、アレキサンダー・ハミルトンのような人物の登場が必要である、と指摘しています。

この指摘は大変味わい深いものですので、全訳にトライしてみたいと思います。

アレキサンダー・ハミルトンのような人物が欧州を救う*3

ロナルドマッキノンによる欧州への18世紀アメリカからの教訓(2011年12月)

 ソブリン債務危機の進展を防ぎ、ユーロを防衛するために、欧州首脳は大して寄与ができていないようだ。 18世紀終盤を振り返ることで、ソブリン債務危機を解決するための洞察が得られるかも知れない。
アメリカ人から見た解決策ははっきりしてる。欧州には中央集権的財務省だけがあれば十分、というわけではない。 欧州人にはアレキサンダー・ハミルトン(米国建国の父のひとり)が必要なのである。

独立戦争後の1790年、設立間もない米国政府は巨額で、恐らく持続不可能と思われた債務による麻痺的行き詰まりに直面していた。

 戦争中、個々の州の大半の徴税能力は危機に瀕していたが、ジョージ・ワシントンの軍を支援し、また通常の政府支出をカバーするため、多くの州(特に北の)は約束手形発行により借入を行なっていた。 1790年までに、これらの債務はデフォルトの危機にあった。 投機家は元の所有者から大幅に割り引いた価格で債権を購入していた。 ほとんど消滅しかかっている国家の債権市場の信頼を回復するため、米国初代財務長官となったハミルトンは、一度に限っての新連邦政府による各州債務の引き受けを提案した。

 しかし、積立金が少ない北部州とは異なり、南部州、特にバージニアジョージア州は債務デフォルトに直面しておらず、連邦引き受けに反対した。ちょうど現代の北部欧州諸国のように。 
 ポピュリストたち*4もハミルトンが提案する1ドルあたり100セント満額での債権購入は、投機家に不当な利益をもたらすことを危惧した。従って1790年はじめの最初の議会では、国民と外国の信用を犠牲にしたハミルトンの引き受け債法案は可決されなかった。

 多少の偶然もあって、1790年6月20日トーマス・ジェファーソンは大変落胆しているハミルトンと出会い、翌日ディナーに誘った。この招待には後でジェームス・マディソンらの名士も加えられた。その結果、それは米国史上もっとも有名な夕食会となった。
 交渉の行き詰まりはハミルトンと反対派のジェファーソン、マディソン双方の歩み寄りと、支持者を満足させるための兼ねてからの主張を双方が取り下げることで奇跡的に解決した。
 ジェファーソンはマディソンと共に、諸州の債務を一度に限って、新連邦が投機家に対しても元本減免なしで債務を肩代わりすることに対する反対を取り下げて賛成した。ハミルトンは他の北部出身者と共に、首都をフィラデルフィアから10年以内にポトマック河畔に移すことに同意した。*5
 合意が明らかになると、双方の関係者が激怒した。 しかし、肩代わり債務法案は1790年の後半には議会を通過し、長引く不況にとって即効性のある気付け薬として作用した。

 ハミルトンのフォローアップ策として、肩代わりのためのフェデラルファンドを供給するため、米国債市場が開設された。 関税(収入関税)と主にウイスキーの消費税という新しい税収源により、新発米国債金利コストが賄われた。ハミルトンは、密輸によって関税が損なわれることを防ぐため、密輸監視隊(後の沿岸警備隊)を整備し、ウイスキー税の反乱(1794年)を鎮圧するため、兵隊を送った。
 
 欧州官僚は、最近の欧州首脳の欧州債発行に関する議論では、欧州全体の税を債務利子支払に充てることになっていないため、欧州債には信用がないことに注意せよ。

 もうひとつ、ハミルトンは、米国債保有者が払込資本金として米国債を使うために、第一合衆国銀行を1791年12月に創設し、主に商業銀行による預金受入れや短期借入れのために諸州に支店を作った。 この業績は、連邦を救うのみならず、金融制度と国家経済を活性化することとなった。

 今日、全ての財政的判断を正しく行ない、現在の欧州危機を強引にでも解決する、ワシントンを支えた軍人政治家ハミルトンのような人物はいない。
 そして、首都の場所を変えることは政治的切り札にはなりにくい。 その代わりに北部欧州人は欧州全体にわたる銀行破綻を止めうる既得権益を握っている。

 つまり、現代欧州に対する教訓は次の通り。

 ハミルトンは連邦肩代わり債の利子の財源となる新税を提案すると同時に、この税体系を信頼できるものとするために必要な施策を行った。
 また彼は、国全体にわたる商業貸付の基礎となる国民の預金を受け入れ、国家への貸付ができる銀行を創設している。


メルケル首相ら欧州首脳も、極東の国の再興にイチャモンをつけている暇があるならば、マッキノンの忠告を参考にして、欧州合衆国の設計図を考える方が有益ではないでしょうか。*6

*1:コメント欄参照

*2:片岡剛士「円のゆくえを問いなおす」での指摘

*3:Oh, for an Alexander Hamilton to save Europe! 

*4:文脈からすると、政治的ライバル、トーマス・ジェファーソン、ジェームス・マディソンらを指すのでは、と思うのですが、米国史に詳しい方がいらっしゃれば、正しい訳をお教えください。

*5:当時のアメリカは仮の首都がニューヨークからフィラデルフィアに移ったばかりのころでした。ポトマック河畔とは、もちろん現在の首都ワシントンDCの場所です。

*6:なお、ウィキペディアの「公的信用に関する第一報告書」には、アレキサンダー・ハミルトンという人物を知る上での秀逸な記載があります。