シェイブテイル日記2

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首相には経済感覚が必要と断言できるわけ

(以下別件ですがブログの仕様で別エントリーに分けられない点ご容赦を)
民主党増税への急傾斜が進行しています。これを受けて小沢氏は新党設立に動き出しました。
自民党からの政権奪取時の期待とは裏腹に、民主党の崩壊が始まったようです。
野田首相社会保障問題を切り捨てて増税三党合意に走ったことからヒール役となっていますが、筆者は今回の混迷の原因は野田氏ではなく、菅直人氏の経済学の知識のなさにあったと思っています。

少し過去の経緯を眺めてみましょう。

1.デフレ宣言期

2009年9月 経済評論家の勝間和代氏が菅直人副総理(当時)に面談し、デフレ脱却の必要性を訴えました。
2009年11月 デフレの害に気づいた菅副総理がデフレ宣言を行ないます。
2009年12月 菅副総理のデフレ宣言で日銀の無策ぶりが浮き彫りになったため、日銀は臨時に金融政策決定会合を開催し10兆円の金融緩和策発表しました。これを受けて日経平均は、1ヶ月で9,000円から10,500円まで上昇しました。

2.政策転換期

2010年1月 藤井財務大臣の体調不良を受けて、菅副首相が財務大臣を兼務します。
財務大臣着任早々の1月26日、参議院予算委員会で、自民党林芳正氏(元経済財政担当相)が、参院予算委員会で「乗数効果」について質問したところ、菅財務大臣はシドロモドロとなってしまいました。 
2010年1月 菅財務大臣突然、消費税論を議開始すると宣言します。
2010年2月 小野善康阪大教授を内閣府参与に抜擢します。 小野教授は増税による景気回復という奇説を唱えることで知られていますが、当時は菅氏と小野氏が共に東工大出身(小野氏は工学部出身の経済学者)であるから、と説明されていました。

3.増税路線爆進期 (以下単に経緯だけ)
2010年6月 菅直人氏が内閣総理大臣に就任し、野田氏を財務大臣に任命
2010年7月 消費税増税を掲げて参議院選挙敗退
2011年1月 与謝野氏、菅内閣社会保障・税一体改革大臣に就任
2011年9月 野田内閣発足
2012年6月 社会保障と税の一体改革から社会保障の棚上げを決定、増税三党合意

シェイブテイルとしましては、菅財務大臣乗数効果を知らなかったことは責める気はしません。大学で習うマクロ経済学の内容であれば、専門家からの聞きかじりでも構わないかもしれません。

ただ、その後「増税で景気回復」の小野善康氏を知恵袋に招く等、高校生でも分かる誤った学説に心酔していった点は、それまでの菅氏が生きた経済を全く知らなかったことの反映であり、財務大臣や首相の器ではなかったと断じることができると思います。
2010年1月から2月のの菅財務大臣増税転換を境に、マスコミも堰を切ったように、増税擁護論をぶち上げ始め、世論誘導を始めました。 *1

真偽は不明ですが、2010年1月26日の「乗数効果」事件に懲りた菅財務相はすっかりおとなしくなり、それまで遠ざけていた財務官僚のご進講をよく聞くようになったという話もあります。*2 特に勝栄二郎次官については、「痒いところに手が届くように配慮してくれるし、難解なことを分かりやすく説明してもらえる」と心酔し、2010年の参議院選マニフェストにない消費税増税を打ち出したと自ら語っているとのことです。 *3

ここまでの一連の流れは財務省の思う壺だったという面もありますが、菅直人氏に最低限の経済知識があれば、ここまでひどい流れにはなり得なかったとも思えます。 

 考えてみれば、政治家の仕事の大半は歳入・歳出といった経済とは切っても切れない話と直結しています。そうであれば、経済には全くオンチといった人物は決して首相にはなれないような何らかの仕組みがないことには、今回の民主党による茶番劇のような事態が今後も発生するのではないでしょうか。


2010.1.26 参議院予算委員会
財務大臣(当時)は自民党林芳正議員の質問に立ち往生。
これが民主党増税路線への転換点?

【関連記事】 消費税論議にみる大新聞の節操のなさ

*1:財務相発言―消費税封印の呪縛を解け(2010年2月17日 朝日新聞)◆消費税論議 菅財務相がやっと腰を上げた(2月16日付・読売社説)◆民主党政権は野党との税・年金協議を(2/16 日経新聞)◆【主張】消費税発言 参院選前に工程表を示せ(2/17 産経新聞)◆早期の議論開始を歓迎 消費税増税で岡村・日商会頭 等。 以前は消費税増税反対だったはずの各マスコミとも、増税賛成意見表明の日付が2月16日頃に固まっているのも不気味です。

*2:消費税増税までの財務省の布石」(EJ第3187号)

*3:文藝春秋2012年6月号 石井妙子「現代の家系――勝栄二郎――『勝海舟の子孫説』を追う」