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お金の成り立ちとその背景 -NHKスペシャル「ヒューマンなぜ人間になれたのか第4集」より-

 先日、NHKスペシャルで「ヒューマンなぜ人間になれたのか」という番組をやっていました。 シリーズ全体としても面白いのですが、「第4集そしてお金が生まれた」が圧巻でした*1
今回はこの番組をベースに、お金の成り立ちとその背景についてレビューしてみたいと思います。
 

最近の研究では、人間によく似た霊長類はいろいろとあったようで、例えばネアンデルタール人は個々の個体としては人類よりも優れた面も持った霊長類だったようです。 この人間を人間たらしめ繁栄させ、更にお金をお金たらしめるにはいくつかの重要な発明がありました。

1.共有の発明(モノの共有)
 狩猟生活だった我々の祖先は、獲物が得られなければ空腹に耐えるか餓死するしかありませんでした。遠い過去のある時、人類は共有することを発明しました。マルクス・エンゲルス風に言えば「原始共産制」の発明です。
 共有をしないヒト以外の霊長類は、ヒトより個々の能力が勝ることはありましたが、獲物を共有して食糧の平準化を図ることがないため、集団として生き残るようなムラを作ることができませんでした。
 ところが、この「原始共産制」型社会の維持には完全なる平等が必要だったようで、富を蓄積したり、リーダーとなったり、分業などは許さないシステムだったようです。 このことは現代でも貨幣を持たないカメルーンのバカ族の生活調査などから推定されています。このバカ族は現代でも1万年前と同様の狩猟生活を送っていますが、交通の便が比較的良い地域に住む一部のバカ族集団ではカメルーン政府発行の貨幣が使われ始めています。 そして貨幣経済が入り始めると、狩猟生活だった人々が荒地を切り開いてカカオ畑にしようとするなどの行動変化が観察されています。経済学では珍しい実証的比較対照試験になっていて興味深いところです。

2.流通の発明(物々交換)
 チンパンジーは交換の基礎となる信用を知らないと言います。 チンパンジーは一般にリンゴよりブドウを好み、リンゴ1/4個とブドウ一粒を見せられると8割のチンパンジーはブドウを取るほどだそうです。 ところが、オリの中でリンゴを食べているチンパンジーに、今食べているリンゴと、ブドウを交換するように仕向けても、殆どのチンパンジーは交換に応じようとはしません。 人間は言葉を持つため、リンゴを渡したのに代わりのブドウが貰えなかった場合、相手に文句が言えるが、チンパンジーは交換に応じず、相手を疑うに留まるためだとか。
 社会の教科書にはお金の発明以前は物々交換がなされていた、と書かれていたと思いますが、物々交換は、実は人間しか出来ず、また物々交換こそがお金の3つの機能(流通・価値尺度・価値の貯蔵)のうちのひとつ、流通の発明だったと言えるかも知れません。

3.価値尺度の発明(秤量貨幣)
 紀元前3300年頃のメソポタミアの世界最古の都市テル・ブラク(現代のシリア・ハッサケ地方)の遺跡からは同じ大きさの鉢が大量に発掘されています。この中に入れた一定量の麦がお金の役割を果たしたとされています。同じ大きさの鉢により、麦が「規格化」されて、油1鉢=麦30鉢 といったように交換の価値尺度となりました。 これにより物々交換の頻度は大幅に増大し、初めて都市人口を支えるだけの食糧が供給されるようになりました。 この時以来、世界の人口は急速に増加していきました。

4.価値貯蔵の発明(貴金属製コイン)
 麦のほかに塩なども秤量貨幣として使われたようですが、こうしたモノは経時的に変質してしまいます。
これに対し、金銀といった貴金属は永遠に変質しません。そこで労働などによって得た対価を、金銀などのコインとして貯蔵することにより莫大な富を集めることが可能となりました。 紀元前5世紀頃のギリシャでは唯一の銀山がアテナイのラウリウムにありました。*2 アテナイはラウリウム銀山由来の銀コインによりギリシャ有数の都市国家となりました。この銀コインには、ほぼ100%純度の銀であることを保証する、フクロウの刻印がありました。こうした経済的基礎を背景として日本が弥生時代のこの時代にギリシャでは哲学・文学・数学などの文明が花開いていました。 ただ、ラウリウム銀山は約100年で掘り尽くされ、これとともにアテナイは衰退していきました。 末期のアテナイは、それ以上増えない一定量の銀コインに対し、実態経済の生産性が向上することでデフレ状態になって衰退していったのでしょう。*3

5.モノと信用の分離の発明(低品位コイン)
 イタリアの都市国家ローマでは、アテナイ純銀コインが純銀であることを保障するためにフクロウの刻印を押したことを逆用し、銀の品位を落としたコインに当時の皇帝の姿を刻印して流通させました。 ここに実物の銀と、コインが保障する価値とが分離され、実体経済の活動量に応じた量のコイン供給が可能となり、小さな都市国家だったローマが世界帝国に上り詰める礎となったのです。*4 

左から紀元1年(銀品位98%)、紀元250年(同50%)、紀元260年(同40%)、紀元270年(同2%)のローマコイン 高品位コインの時代にローマは繁栄したのではなく、低品位コインが発明されることでローマは世界帝国となった。 ただし、生産能力を大幅に超えるコインの流通は高インフレを招き経済活動を圧迫することは論をまたない。 過ぎたるは及ばざるが如し。

(NHKの番組ではお金の進化の追跡はここまででした。)

【筆者注】ローマ帝国の版図拡大時期を見ると、高品位貨幣が流通していた紀元1年ころには既にローマは一小都市国家ではなく世界帝国化し始めています。 低品位コインにより世界帝国化というNHKによるキレイなシナリオ通りには世界史は動かなかったようですが、低品位コインが世界帝国拡大の必要条件ではあったのでしょう。*5

ローマ帝国の版図拡大時期 紀元前133年() 紀元前44年(オレンジ) 14年() 117年(

6.正貨コインと信用の分離の発明(紙幣)
貴金属による貨幣は貨幣経済が活発になるにつれ、量が増えると重く運搬に不便で、摩耗による減価の問題もあったため、次第に貴金属との交換を保証する債務証書(手形)に置き換わりました。世界初の紙幣は宋代に鉄銭の預り証として発行された交子と言われています。ヨーロッパでも、民間の銀行が発行した金銀の預り証である金匠手形が通貨として流通しはじめました。

7.紙幣と信用の分離の発明(不換紙幣・管理通貨制度)
 近代先進国では、紙幣は正貨(金)との交換を保障する兌換紙幣をもつことが一種のステータスであった時代があり、各国とも政府が紙幣と成果の交換を保証する金本位制を確立しました。 ただこの制度はちょうどギリシャ都市国家が純銀コインを経済の基礎としたのと同じで、その当時の経済活動量とは直接関係がない金や銀の量に信用総量が規定されてしまっており、デフレになりやすい性質がありました。 1929年の世界恐慌を機にデフレの害が顕在化すると、1931年まず日本で犬養内閣の高橋是清が主導して金輸出を禁止しました。これにより紙幣は正貨との交換は保証されなくなりましたが、日本はさらに国債を日銀に引受けさせて通貨を実体経済界に供給することで世界に先駆けてデフレから脱出することができました。
この不換紙幣の発明は、純銀コインで経済活動量を規制してしまい没落したアテナイに対し、コインの銀品位を下げて経済活動量の増大に合わせてコイン量を増大させ、当時の世界を支配するに至ったイタリア半島中部の小都市国家ローマの低品位コインの発明と同じ発想だったという訳です。

8.番外:日本経済の現状(なぜ日本はデフレか)
 貴金属の総量と経済活動の総量には何の関係もありません。従って貴金属を経済活動の裏付けとしてしまうと一見立派に見えますが、見た目とは裏腹に経済活動には見えない天井が生じます。 現代日本の日銀は日銀券の裏付けは日銀の保有する国債などの、バランスシート上の資産だとか。 確かに会計上はそれは事実でしょう。ただ、兌換紙幣時代に紙幣の裏付けが正貨(金)の量であったのとは異なり、管理通貨制度では、本来は紙幣の量はお金過剰のインフレやお金不足のデフレにならないよう、物価水準や景気動向から政府が注意深く管理し、その流通も政府が「強制通用力」という形で保障しているからこそ安定した価値を持っています。 少し考えれば分かることですが、日銀が紙幣の価値の裏付けという国債は、もし日銀券に価値がなければ自らもまた価値を持ち得ず、循環論法になっています。 日銀のBS上、資産の国債と負債の日銀券が釣り合っているように見えるのは、一般の金融機関のBSを模した便宜的な会計上の決め事に過ぎず、不換紙幣の本当の価値の源泉は、あくまでも通貨発行国家の徴税権・強制通用力を介してその国の経済活動の一部と交換可能であることでしょう。
 以上のことから、物々交換の昔から不換紙幣の現代まで、相手の持つ経済活動の成果の交換の媒介(保障)こそがお金の価値であって、量が限定される貴金属や中央銀行購入国債といった実体経済活動量とは直接つながりがないものを貨幣の裏付けに求める社会では、経済活動が活発になればなるほどお金不足、デフレが顕在化するということでしょう。

*1:NHKオンラインに記事があります。

*2:ラテン名。現代ギリシャ名はラブリオ

*3:デフレ日本に一脈通ずるものがありますね。

*4:我が日銀なら、純銀コインのアテナイ>>くすんだコインのローマ帝国、ですよねw

*5:http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/yasaimei/1y-gakumei.htm