シェイブテイルのデフレ脱却実践記

シェイブテイル日記ではデフレ経済研究を行ってきました。今後はこれをデフレ脱却実践につなげます。

日銀もそろそろ2%以上のインフレ目標政策を掲げ、「増歩」でもいいからインフレ転換を図れ

昨日のメディアは大きなニュースを伝えています。

【ワシントン=岡田章裕】米連邦準備制度理事会FRB)は25日、連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、事実上のゼロ金利政策を少なくとも2014年終盤まで継続する方針を決めた。
 政策運営の透明性を向上させる一環として、長期的なインフレ率の目安を2%とすることも決めた。

ニュージーランドイスラエル、韓国、タイといった中小国だけでなく、EUに続き、米国もインフレ目標政策を採ることで、先進国の大半が2%程度のインフレ目標を設定しそれに責任を持つようになってきた訳です。

ところで、かつて日本でインフレ目標政策の導入の是非が論じられていた時、「デフレ日本ではデフレを脱却する方法がないため、インフレ目標政策を実施しようとしても無意味」とする人たちがいました。


しかし、国の収入の源といえば何時の時代でも
税金+借金+通貨発行益です。
通貨発行益のことを完全に失念した政治家が多いのが現代デフレ日本の国民の不幸かもしれません。今の野田首相や、自民・谷垣総裁もそうかもしれません。
 
 税金は民間の通貨量を減らし、借金は現在の民間通貨量を増やす代わりに償還時には民間の通貨量を減らすのに対し、唯一通貨発行益だけが直接政府の通貨量を増やします。

ただ、通貨発行益については、たとえば日銀周辺では例えば本石町日記氏がこう書いておられます。

通貨発行益(シニョリッジ)をめぐる勘違い  しばらく前、ある本の書評を頼まれた。かなり興味深い内容だったが、「一万円の原価は約20円。従って通貨発行益は原価を差し引いた9980円である」との部分があった。多分、勘違いだとは思うが、一万円の発行益が9980円と思っている人は意外に多い。私もその一人であったからだ。先日もある著名なエコノミストと通貨発行益の話をしていたら、「エーッ!、9980円じゃないの?、てっきりそうだと思っていた」と驚いていた。
 日銀のバランスシート(B/S)を大雑把にみると、負債側に銀行券、資産側に国債がある。日銀は銀行券の見合いで国債を保有しており、国債買いきりオペが銀行券見合いと位置付けられているのもそのため。銀行券は金利コストのない負債であり、見合った国債の利子収入が通貨発行益となる。一万円だと一万円相当の国債がある格好で、この国債が10年物だとした場合、長期金利1.2%で、単純計算すると年120円が発行益となる。
 20円の一万円とは、世の中に出回る前に日銀の金庫に眠っている20円のコストがかかった「紙切れ」を指す。これが世に出た瞬間、日銀は1万円の負債としてB/S上に計上するわけだ。なお細かい経理処理は私も良く知らない。
 以上の説明を行ったら、エコノミストの方も「確かにちゃんと70兆円規模の銀行券が負債にあるねえ。通貨発行益との関係でB/Sを見たことなかったから、うっかりしていた」と納得。私も日銀の知り合いに教えてもらったときは、目からうろこ、の状態であったが。
 ところで、カタカナ表記は、シニョリッジ、シニョレッジ、シーニョリッジのどれがしっくりくるだろうか。ちなみに最後のは日銀が使ったもの。セニョリッジもありかなあ、ちょっと変か、やっぱり。

 本石町日記氏は、BSに載る実質的資産がない限り、シニョリッジは発生しない、という立場のようですね。
では、政府紙幣を発行した場合のシニョリッジについては同じ解釈ができるのでしょうか。 
更に言えば、徳川吉宗が実施した増歩(ましぶ)と呼ばれる、1両を1.65両に両替したケース(後記)ではどうでしょうか。 
徳川幕府のBSの資産側に日本国債があったから増歩が実施できたのでしょうか。 はなはだ疑問です。

政府日銀も世界標準通り2%程度のインフレ目標政策を実施したらいいのです。
その際にはシニョリッジにより通貨量を増やせばいいだけです。 
具体的には政府の発行する政府紙幣を日銀が両替するでもよし、日銀の国際直接引受けでもよし。吉宗の「増歩」だっていいじゃないですか。
CPI=1%という自分たちで設定した数値さえ達成しようとせず、漫然と続ける
CPI=0%のデフレ政策という世界唯一日本独自の有害なガラパゴス政策はそろそろ止めにするころではないでしょうか。
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(参考再掲)
■貨幣を増やすと何が起きるかの実例(2010-09-30)

このブログでは、結果として日銀批判をすることが多いのですが、その日銀のお膝元、日銀金融研究所のHPに興味深い記事が載っていました。 ちょっと長いですが全文引用します。

貨幣の散歩道
第27話 米将軍吉宗と元文の改鋳
 テレビや時代劇でお馴染みの八代将軍吉宗は、徳川幕府中興の祖として名高い。吉宗は、享保の改革を通じて、五代将軍綱吉の放漫財政や災害の発生などにより危機的状況に瀕していた幕府財政を見事に立て直したのであった。とくに享保7年(1722)、町人請負方式による新田開発を解禁のうえ年貢米の増収を図ったり、米価の調整に腐心したことにちなんで、吉宗は米将軍とも呼ばれる。しかし、財政立て直しに最も寄与したのは、国内産業の振興策ではなく、実は元文元年(1736)に実施された貨幣の改鋳という金融面からのリフレ政策であった。
 吉宗は当初、倹約による財政緊縮を重視したため、幕府はもとより諸大名も財政支出の削減という強力なデフレ政策を実行した。その結果、江戸の経済は深刻な打撃を受け、街は火が消えたようになったといわれている。物価も下落傾向をたどったが、「諸色高の米価安」と称されるように、とりわけ米価の下落が著しかった。年貢米の売却で生計を立てていた武士階級の場合、米価安は直ちに所得の低下を意味したため、米価の独歩安は彼らの生活を圧迫した。
 これに対し将軍吉宗は、米価の引き上げを狙いとして商人に米の買い上げを強制するなど、各種の米価対策を講じた。しかし、米の増産率が人口増加率を上回るという需給状況もあって、期待した効果はもたらされなかった。幕臣たちは、金銀貨の改鋳による通貨量の拡大を幾度となく進言したが、元禄の改鋳が一般庶民を苦しめたことを熟知していた吉宗は、なかなか首を縦に振らなかった。そして、元文元年(1736)に至り漸く、改鋳が決断された。
 元文の改鋳に当たって徳川幕府では、改鋳差益の獲得を狙いとした元禄・宝永の改鋳とは異なり、改鋳差益の収得を犠牲にする一方で、新貨の流通促進に重点を置いた。すなわち、元文小判1枚の金含有量は享保小判の半分程度に引き下げられたが、新旧貨幣の交換に際しては旧小判1両=新小判1.65両というかたちで増歩(ましぶ)交換を行う一方、新古金銀は1対1の等価通用とした。この結果、旧金貨保有者にとっては、旧貨をそのまま交換手段として利用するよりも、増歩のえられる新金貨に交換のうえ利用するほうがはるかに有利となった。 こうした増歩交換政策の実施が功を奏し、徳川幕府が期待したとおり新金貨との交換が急速に進み、貨幣流通量は改鋳前との比較において約40%増大した。この貨幣供給量の増加は物価の急上昇をもたらし、深刻なデフレ下にあった日本経済に「干天の慈雨」のような恵みを与えた。例えば大坂の米価は、改鋳直後の元文元年から同5年までの5年間で2倍にまで騰貴するなど、徳川幕府の企図したとおりの物価上昇がみられた。こうしたなかで経済情勢も好転し、元文期に制定された金銀貨は、その後80年もの間、安定的に流通した。
 一方、幕府財政は、相対米価の上昇、年貢の増徴のほか、貨幣流通量増加の一部が改鋳差益として流入したこともあって大きく改善した。この傾向は宝暦期後半(1760年代はじめ)まで続いた。このように元文の改鋳は、日本経済に好影響をもたらしたと積極的に評価される数少ない改鋳であった。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_27.htm  (引用終わり)

デフレ政策を堅持する日銀の中で、史実に基づき、デフレ政策を維持するべきか、リフレ政策に転換すべきかの解が載っているじゃないですか。
1. 景気が悪い時に緊縮財政をやれば、デフレは悪化する。
2. 同じ改鋳差益が発生しても、それを政府が浪費してしまった元禄・宝永の改鋳では景気は良くならなかったが、改鋳差益を直接民間に放出した元文の改鋳では、デフレは収まり、インフレに転換し、期待通りに景気がよくなった。

300年近く前の史実を、同じ日銀の人がちゃんとそう分析しているんですから。
ねぇ、白川総裁。