「生産力本位説」の経済史的解釈
【要約】
昨日書きました「生産力本位制」*1自身は、シェイブテイルオリジナル(?)なのか、”生産力本位制”でググッても殆ど出てきません。*2
それでは荒唐無稽か、といえば、近い概念は経済学の揺籃期からあるのでした。
それは労働価値説です。
労働価値説と筆者の言う「生産力本位説」の差は何か。
労働価値説:人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論。
生産力本位説:労働力あるいは設備投資・資源によってパワーアップされた生産力が潜在的価値の源泉である。ただ、これが顕在化するためには潜在的価値を多少上回るビークル(Vehicle;価値の乗り物)としての紙幣が必要となる。 このビークルが不足すればデフレとなり、ビークルが多すぎればインフレとなる。紙幣と「引き換えに(=本位)」、商品・サービスの提供が必ず受けられる。商品・サービスは生産力の塊と見る。
紙幣には価値がないかといえば、乗り物自身としては印刷物としての価値しかなく、政府が強制通用力を担保したものとみれば価値はその額面の商品・サービスに相当する潜在的生産力との兌換が担保されているわけです。
「生産力本位制」の目から見れば、白川デフレだけでなく、生産力が増した世界での金本位制がデフレを呼ぶことも理解できます。そして不可解な管理通貨制度での紙幣の価値の源泉も。