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モノの値段の本質とお金の本質

【要約】
・モノの値段とは究極には「海外人件費+国内人件費」です。
・お金の価値の裏付けは今も昔も「生産力」です。

今日は筆者が考えるモノの値段とお金の本質について書いてみたいと思います。
ご批判があればコメントよろしくお願いします。

【1】モノの値段の本質
モノの値段=海外人件費+国内人件費…(1) 以上。
って、説明が要りますね^^;
モノの値段、あるいはそれに数量をかけたある企業の売上は、経済の教科書では
輸入中間財+人件費+固定資本損耗+営業余剰…(2)
とされています。 この(2)式のうち、
・人件費は当然国内人件費ですね。
・固定資本損耗は1年当たりで考えるためこうなっていますが、もとは設備投資などでこれらも元の機械についてモノの値段を考えれば、(2)の入れ子となっていることがわかります。
・営業余剰は配当なら資本家の元へ、支払利子なら銀行とその向こうの家計へ、租税は一旦政府に入った後、公務員人件費や補助金の形を経てどこかの会社の誰かに支払われます。 「法人」が自然人ではない以上、最終的には誰かの財布に入って使われるのは当然ともいえます。 で、輸入中間財でも同様に(2)式以降考えれば全て海外人件費となります。
原材料費はどこにいった?とお叱りを受けそうですが、その原材料も人件費を取り除いていくと、しまいにはタダの土くれや太陽光などに行き着いて、人件費とはならない原材料費=0と考えてよさそうですが如何でしょう。

そうすると、例えば
(例1) 原油価格が騰がってCPIが高くなった場合
 (1)式から原油価格を介してまず海外人件費の取り分が増えます。 CPIには固定資本損耗は入りませんがこれはこの例では余り影響はなく、仮に日銀がCPIの変化率を0%に抑えようとすると、国内人件費を抑制することになります。
(例2) 消費税が上がった場合
 (1)式の海外人件費の部分には影響なし。 ところが国内人件費の部分は日銀がCPI=0%を目指すのであれば、消費税分増えてしかるべき全体のパイが増えていませんので、これまで書いた消費税の欠陥のために、中小零細企業とその従業員給与から政府と大企業、特に輸出企業に再配分が起きます。まるで椅子取りゲームですね。で中小零細企業主がクビを吊ったり、非正規化を促進して更には少子化も促進します。
モノの値段は(1)式だと考えれば「モノの値段が下がって奥さま大喜び」っていうのは、旦那の給料が下がるのを喜んでいるってことですね。 ただし、人事院勧告で恣意的に、もとい、CPIをもとに給料が決まる750万人とも称される方たちは、民間給与減少>GDPデフレータ減少>CPI減少ですから、実質給与が実際に増えますが。

モノの値段 マトリョーシカみたいに本質的には全て誰かの人件費?


【2】お金の本質
お金の裏付けはなにか、というお話です。
私は「生産力」なのではないかと。これは現在の管理通貨制度以前の金本位制の時代でも、更にはお金が生まれた瞬間からそうだったのでは、と思っています。
(例1)お金が生まれた直後の山の人と海の人の取引
 山の人がとった鳥2羽が貝のお金1個で売れる。
 海の人がとった魚10匹が貝のお金1個で売れる。 
この場合鳥2羽と魚10匹を取る労働がどちらも「貝1個分」ということで合意して売買が成立。
(例2)金(gold)の価値
 金鉱山の希少性(発見するための労働)、採掘の労働が金価格の基本。
ただし新たな金山が見つかったり、青化法などの効率的金精錬法が発見されると、将来の単位量の金を得るための労働力が減少すると予想されて、金価格が下がる。
(例3)紙幣の裏付け
 紙幣を出せば何らかの生産力(サービス)かそれによって付加価値をつけられたもの(最終財)が提供されることが信じられること。従って紙幣の量は、最低限、生産力を発揮するのに見合う量が必要で数値的にはGDPデフレータが負にならないように紙幣を供給する必要があります。 
 一方日銀は日銀券の裏付けは、日銀B/S上の資産、例えば国債などと主張しています。このように金の量あるいは国債の量など、その時の生産力とは直接関係の無い量に紙幣量をリンクさせると、生産力が高い場合にはデフレに陥る(昭和恐慌では金の量にリンク、現代日本国債量にリンク)ということです。
日銀がどうしてもB/Sの紙幣(右側)の反対に何か書きたければ、「徴税権」くらいに書いといたらどんなもんでしょう?

【関連記事】
お金の成り立ちとその背景 -NHKスペシャル「ヒューマンなぜ人間になれたのか第4集」より-
企業の売上は必ず誰かの所得


【追記】
紙幣と富の関係がうまく説明されている解説を見つけました。*1
この質問でベストアンサーに選ばれた方も、貨幣の裏付けは生産力と暗に考えているようですね。

【追記2】
 紙幣の価値の方は「紙幣の価値は絶対的」と思い込んでいる方々が多いだけにここに記した意味が不明、という方も多いかもしれません。
 ではちょっと見方を変えて。 例えば1971年8月15日、米大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました(ニクソン・ショック)。これにより、ブレトンウッズ体制は崩壊しました。そこから米ドルは暴落しました。 しかし暴落はしたものの米ドルの価値がゼロにはなりませんでした。 この時、米ドルに残った価値って一体何なのでしょうか。

【追記3】
allezvousさまからの反論
『>投入労働量に還元できない部分とは具体的には何などが考えられますか?
>投入労働量と実際の価格の差です。具体的に何か見合いの要素があるわけではないと思います。

以下筆者の見解です。
 確かにある企業A社が、たとえばBという最終財を生産する場合、A社だけに着目すれば、労働投入量以外はA社の労働投入とは関係有りませんね。 ただ、購入した中間財はそれが国内からであれ、海外からであれ、買われた側の労働投入を含んでいます。 また、中間財のコストと、A社の労働投入とを除いた部分、つまり固定資本損耗と営業余剰ですが、これらも固定資本損耗は固定資本財を作った会社の購入した中間財と人件費と営業余剰に還元されます。 営業余剰はこれをもたらした投資家、銀行家の取り分(これらも投資家とその使用人、銀行家とその使用人の人件費)及び政府の取り分(政府の雇用者人件費と、補助金・年金など政府を通じた民間の取り分)などに還元され、結局ある製品Bの価格・売上は、地球上の誰かの所得とならない部分はない、と言っている訳です。 
つまり例えば製品Bの価格を下げた場合それが、トータルで売上増につながる(急成長期のIT関連製品などはこれですね)という例外を除けば、それが生産性アップによるのであっても、リストラによるのであっても、中間財購入先をより安い国内・海外企業に変えた場合であっても国内の人件費抑制に寄与するという見方です。

【追記4】
allezvousさま
紙幣の成り立ちは、元々両替商の金などの実物資産の預り証からスタートしたとされていますよね。
生まれた当時は両替商が発行した紙に過ぎない「紙幣」の価値の裏付けとは両替商が預かっている金だったということです。
ただ、現在の不換紙幣はこのような価値の裏付けはもはやない訳です。なのに子供銀行券とは異なり、世間で通用しています。 この子供銀行券の違いを担保しているのは「強制通用力」と言う国家権力なわけですね。この「強制通用力」とはこの券を持ってきた人と売買契約が成立すれば、必ずその券を受け取って、代わりに商品(サービスでもOK)を出さなければならないという話です。 ということは、「強制通用力」の実体とは昔の両替商の金を渡すわけではないが、法が及ぶ範囲では売買契約成立後はどの財でも任意にこの券(日銀券)と交換に提供しなければならない、と同義ですから、現在の不換紙幣は「生産力本位制」だと思うのです。 日銀自身もそうですし、経済学者にも日銀のバランスシートの右(負債)側に日銀券があり、左(資産)側に国債などがあって、この国債などが日銀券の価値の源泉と主張しています。 こうした主張を換言すれば、「イタリアで16世紀初め頃にルカ・パチョリによってバランスシートが発明されなければ、不換紙幣には価値はない」、という主張をしているようにも思えます。
さて、なぜこのような分かりにくい主張を私がするかと言えば、金本位制にしても、日銀のいう国債本位制にしても、現実に紙幣と交換されるのは労働の結果の財であるのに対し、金本位制国債本位制では、生産力と直接は関係のない財の量によって紙幣量が限定されてしまっている点で実際の経済に悪影響(デフレ)が生じていることが原因です。 供給される財の量を限定してしまう(=GDPギャップの発生)とならないようにするためには、日銀券の適切な両の供給が必要であり、その手段として国債を買い入れるなどを行なう結果としては、当然にバランスシートは左右が合いますけどね。

*1:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1165573141  自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になる?