シェイブテイル日記2

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これより下に家を建てるな 2つの石碑

昨日の岩手日報次のような記事が載っています。

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ここより下に家を建てるな 宮古、集落守った石碑 
【写真=「此処より下に家を建てるな」と先人の津波被害の教訓を伝える石碑=宮古市重茂】
 「此処(ここ)より下に家を建てるな」。明治、昭和の三陸津波によって2度の壊滅的な被害を受けた宮古市重茂の姉吉地区に教訓を伝える石碑がある。今回の大震災で予想を超える波が各地に襲来する中、先人の教えが本州最東端の※ケ崎(とどがさき)に最も近い11世帯約30人の集落を守った。
 石碑は姉吉漁港から数百メートル坂を上った場所で、集落の最も海側の住宅から約100メートル下にある。建ったのは昭和三陸津波があった1933(昭和8)年以降とみられる。
 姉吉地区は津波によって、これまで全滅に近い被害を受けてきた。住家が漁港周辺にあった1896(明治29)年には数十人が犠牲となり、生存者は2人。1933年は生存者4人だった。以来、住宅が石碑より海側に建ったことはない。
 今回の大震災では住民は集落周辺より、さらに高台に逃げた。岩が崩れたような音が響いたためだ。
 自治会長の木村民茂さん(64)は「集落が2度も全滅したことが、みんなの心にある」と危機意識の高さを証言する。津波は先人の教え通り、石碑より海側でとどまった。
 ただ住民の心は晴れない。津波襲来当時、たまたま他の集落にいた同地区の4人が行方不明だからだ。木村さんは「いくら家が助かっても、人がいなくなっては意味がない」と無念の表情を浮かべる。
 漁業被害が大きかったことも心を暗くする。倉庫10棟とともにほとんどの漁具が流失した。「職場がそのまま持っていかれた」と不安を抱える。
 今回の教訓について、木村さんは「地震の大小に関係なく津波を甘く見てはいけない。ずっと言い続けなければならない」と後世に伝える考えだ。
※は、魚へんに「毛」。

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先人の教えによって、被害は最小限に留まった、とあります。ただ、この辺りには同様の石碑は少なくないようです。

この2つの石碑は畑村洋太郎という先生による「失敗学のすすめ」という本に載っている写真で、どうやら右の石碑は上記の宮古市の石碑と同一のもののようです。
畑村先生が失敗学で指摘したかった石碑は左。 なんと石碑のすぐ下に家の屋根が見えます。
(同書からの引用)---------------------------------------------
…失敗事例が減衰することを示す典型例をもうひとつあげましょう。昔から何度となく大規模な津波被害を受けてきた岩手県三陸海岸を歩いたときに実際に見聞きした話です。
 津波というのは、海底地震や海面への氷河や岩石の崩落によって発生した海面が伝わり、高い波となって海岸におしよせるもので、天候に起因する高潮とは区別されます。入り組んだ海岸線を持つリアス式海岸では、先に来た波が後ろから来る波に追いつかれて徐々に波高を上げていくという現象が起こりやすく、Y字型湾ないしU字型湾の湾奥にある集落に大きな被害をもたらします。
 三陸海岸は、津波被害を受けやすいリアス式海岸であるばかりか、沖には地震の巣である日本海溝があるため、世界一の津波常襲地帯として知られ、何度となく津波被害を受けてきました。津波は学術用語として「Tsunami」で世界に通用します。 
 その三陸海岸の町々を注意しながら歩いてみると、あちらこちらに津波の石碑を見つけることができます。大規模な津波が押し寄せるたびにつくられたもので、犠牲者も多かった古い時代の石碑は慰霊を目的にしていました。その中には、教訓的な意味合いがこめられたものもあり、波がやってきた高さの場所に建てられ、「ここより下には家を建てるな」という類の言葉が記された石碑も少なくありません。上の写真を見てください。この石碑にはここより下に家を建てるなと書いてあるのに、そのすぐ下に家が建っているのです。日々の便利さの前にはどんな貴重な教訓も役に立たないことを物語っています。

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三陸地方ではおそらく100年か200年に一回ほどの頻度で、家が流されるような津波を経験しているかと思われます。 ところが明治以前なら人の寿命は50年程度。個人の経験では持ち得ない教訓を石碑に刻んであるのですが、山の上より下が便利、などといったことから次第に海岸近くの危険地帯に家が建っていくのでしょう。
 以前からこのブログで指摘しているように、日本は1/2社会主義国です。 つまり経済的に見ると活動の1/2には官僚が箸の上げ下ろしにも規制を入れています。
それだけ規制を入れられる権限があるのであれば、もしもこうした危険地帯には家を建てさせないような規制をしていたなら、どれほど多くの人命が助かったでしょうか。 それなのに現実には先の原発のいい加減なリスク管理といい、全国の空港整備や公共事業の需要予測といい、官僚がくちばしを入れてくると多くの場合ろくなことになっていません。 

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