シェイブテイルのデフレ脱却実践記

シェイブテイル日記ではデフレ経済研究を行ってきました。今後はこれをデフレ脱却実践につなげます。

日銀の政策決定の本質

ここ数日、私は日銀を内外から見た数冊の本を読んでいました。それらの中でも特に印象が強かったのは、かつて日銀の審議委員を務めた中原伸之氏の「日銀は誰のものか」でした。
中原伸之氏は57年に東大経済学部を卒業、59年にハーバード大学大学院修士を経て、現・東燃ゼネラル石油に入社86年より代表取締役を勤められました。98年4月より02年3月まで日銀政策委員会審議委員に選ばれ、その間の日銀の動きを中心に書かれたのがこの「日銀は誰のものか」です。
98年4月当時は速水総裁の時代です。 中原委員の提案に対する日銀政策委員の「大勢」の対応(茶色)を中心に追ってみましょう。決議の年月も併せてよくみると面白いですよ。なお中原委員を含めた政策委員は9名で、中原委員の提案にご自身(1名)は必ず賛成してることを蛇足ながら付け加えておきます。

−−−−−−−−−−−−−−−(要約)
98年6月、中原審議委員は景気低迷に対し、無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導水準を具体的に0.4%程度で推移するように提案しましたが、否決されます(現状維持)。
98年8月、中原委員、無担保コールレートを0.25%引き下げ提案(1:8で否決)。
98年9月(提案者以外全員否決の翌月)、日銀は無担保コールレート0.25%への引き下げを全員一致で可決
98年11月、中原委員、無担保コールレートの0.15%への引き下げ提案(1:8で否決)。
98年12月、中原委員、無担保コールレートの0.1%への引き下げ提案(1:8で否決)。
99年2月、議長案としてコールレート0.15%目標が提案され全員一致で可決
99年3月、株価が1万5000円を台回復したのを受け、速水総裁マスコミに対し日銀の金利引き下げが奏功と自画自賛
99年3月、中原委員、5000億円の超過準備積み増し(量的緩和)を提案。日銀は否定的
99年9月、量的緩和案(中原委員)を否決、現状維持を決定。 円相場高騰。
00年1月、日銀(事務方)ゼロ金利解除への準備を開始
00年1月、自民党山本幸三氏、渡辺喜美氏(当時)らが日銀法改正(インフレターゲティング政策などを盛る)を検討される。 これに対応し、日銀内でインフレターゲティング政策の勉強会開始(組織防衛)。
00年2月田谷氏、持論の量的緩和論を放棄、中原委員の量的緩和論への票数が、反対7・棄権1から反対8へ
00年8月、速水議長のゼロ金利解除案に対し、賛成7反対2(中原・植田委員。うち植田委員は中立に近い)で可決
    この時、ゼロ金利解除での失敗の責任は日銀が取る、とされた(が、今日まで誰も責任はとっていない)。
00年9月にはゼロ金利解除案を8:1で支持(植田委員も支持に回る)。
01年3月回復しかけていた景気は再び悪化、日経平均は1万2000円を割る。
01年3月、日銀の政策決定会合の内容が不十分ならば政府代表による「ゼロ金利政策復帰提案」が準備されているとの情報が日銀に入る。
01年3月 量的緩和は不可能としていた委員を含め量的緩和政策案(しかもこの案に一貫して反対し続けていた速水議長案)に賛成量的緩和政策が開始される。その後、中原委員以外の複数の委員が、外部に対し「自分が量的緩和政策を主導した。」と胸を張る

これを読むと、その後日銀の金融緩和策として実施された施策の多くが中原氏の提案だったことが分かります。
01年11月、英フィナンシャルタイムス・記者のウルフさんが中原氏を訪ねこう聞きました。
「どうして日銀は海外の経済学者の説に耳を傾けないのか?」
中原氏は「寛政異学の禁」説と「尊皇攘夷」説(下記)を披露しました。
興味深そうに聞いていたウルフさんは「他の委員が中原案に賛成するように説得はしないのか?」と重ねて尋ねます。
中原氏「説得を試みたことはありません。なぜかと言うと、日本ではあらゆることが必然的に起こるのです。日本人は大勢、時勢、時節、空気によって動く。自由意思によって動かせられる余地は通常は限られています。大東亜戦争もしかり。私のこれまでの提案が受け入れられて来たのも同じ理由(必然的理由)によるのです。」
---------------------------------------(要約終り)

要するに、日銀政策決定会合では、議長(日銀総裁)を含む多数意見に他の委員は追従し、政府・マスコミらからの批判が高まると、ある時一転して前説を180度転換し、あたかも以前から新たな説を皆が支持していたかのように振舞っている、ということです。
日銀政策決定会合といえば、日本国内でも屈指の高い見識を持つ委員会審議委員が、国内外の景気動向、学説に気を配って意思決定しているものかと思っていましたが、現実には普段は議長の意見、日銀に逆風が吹くときは議長を含めて組織防衛にのみ気を使い、行った失策は気にもとめないなんて、余り信じたくはありませんが、元審議委員の目から見た「日銀」とはこうしたものだったようです。

(注)
「寛政異学の禁」説:日銀内でいわゆる日銀理論のみが正統と考える伝統のこと。
尊皇攘夷説:欧米のエコノミストの見解を排斥する風潮のこと。


( 日銀デフレの目次 へ)
このブログでデフレについて読者の方から好評価だった記事のランキングも作ってみました。
経済分析ランキングでの10位以内定着を目指しています。よろしく!⇒