シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

日本では税収が歳出の半分にも満たない中、消費税増税議論が盛んになってきました。

 財務省HPにも消費税増税したら税収総額が減るというグラフが出ている *1など、消費税増税には疑問は尽きませんがこの点は今日は置いておき、財源はデフレ自身にあるのでは、という「奇説」を述べ、皆様のご批判を仰ぎたいと思います。

1.不換紙幣で、「紙幣負債説」は正しいのか
紙幣の価値とは何か、と考えてみたことはありますか。 

日銀券には価値があり、それを精巧に真似た贋札は無価値ですがそれはなぜでしょう。
また真券の場合でも、日銀が国立印刷局に日銀券を発注するのですが、まだその段階では1万円の日銀券もその価値はなく、印刷コストである国立印刷局への代金は日銀の利益(保有資産の利子収入)から支払わなくてはなりません。 

日銀券が価値をもつのは、日本政府が通用を保証しているからですね。 
紙幣が額面で表示された価値で決済の最終手段として認められる効力は強制通用力と呼ばれています。
では紙幣が強制通用力を持って通用する価値の源泉は一体何でしょうか。

 ひとつの説明(日銀のとる解釈)では、日銀券は借用証であり、その借用証の担保は、国債などの日銀資産、という考え方です。
 では日銀券の担保資産となる国債の価値は、日銀券に価値がなくても根源的に存在するものでしょうか。
日銀券が無価値の場合、国債も無価値になるのであれば、これは循環論法です。

昔の兌換紙幣であれば、紙幣の裏付けは中央銀行保有する金(キン)ですから、必要に応じて、海外を含めて価値を認める金(キン)と交換可能でした。今の日銀に日銀券を持ち込んでも、国債自身はペーパーレス化されて、紙(証券)もないので、日銀にいって手持ちの日銀券と交換に渡してもらえるとしたら、日銀券のピン札位でしょうか。だからこそ文字通り不換紙幣と言えるのです。つまり、日銀が奉じる、「日銀券の価値の源泉は日銀資産」説には実際兌換を求められても不可能故に、資産は絵に描いた餅であり、相当無理がある理屈、といえるでしょう。 なお、この日銀券債務説を巡る議論は、本論から外れますので、最下段のコラムに続きは記載しました。

2.貨幣の根源価値とは何か
 不換紙幣の価値が、「日銀券は日銀にて日銀券と交換します」というトートロジーに支えられているものではない、というところまでは何となく同意いただけるのではないでしょうか。 
 さて次に考えてみたいのは不換紙幣も兌換紙幣も更には最初に発明された秤量貨幣も含めた、貨幣の価値とは何かを考えてみたいと思います。

そのために貨幣が最初に発明された時点に何が起きたかを見てみましょう。

紀元前3300年よりも前には、貨幣もなければ、都市もなかったようです。 
紀元前3300年頃のメソポタミアの世界最古の都市テル・ブラク(現代のシリア・ハッサケ地方)の遺跡からは同じ大きさの鉢が大量に発掘されています。この中に入れた一定量の麦がお金の役割を果たしたとされています。同じ大きさの鉢により、麦が「規格化」されて、油1鉢=麦30鉢 といったように交換の価値尺度となりました。 これにより物々交換の頻度は大幅に増大し、初めてテル・ブラクという都市の人口を支えるだけの食糧が供給されるようになりました。 この秤量貨幣発明以来、世界の人口は急速に増加していきました。

紀元前3300年のテル・ブラク以前の物々交換と、麦を用いた秤量貨幣の発明では何が変化したのでしょうか。

世の中でこの秤量貨幣に似た機能のものを探すとすれば「触媒」のように思います。
触媒とは、それ自身は変化せず、(本来は起きうるはずの極めて緩慢な)ある化学変化を加速するものです。 例えばエンジンの排ガス処理には白金触媒が使われ、ヒトの体内では数千種もの酵素が、触媒として様々な化学反応を生命を維持できるまでに加速しています。

つまり、テル・ブラクで麦秤量貨幣が発明される前にも物々交換は行われていたのが、貨幣発明により、物々交換速度が数倍に促進されたということができます。それによりムラしか支えられなかった経済が都市をも支えられるように拡大進化しました。

 その後貨幣が銀コイン、兌換紙幣、不換紙幣と改良発明されるにつれ、更に経済規模が拡大していきました。
 逆に言えば経済規模が拡大するにもかかわらず貨幣の量が不足すると必要な財の交換速度が維持できず、新たな貨幣の発明を促してきた、とも言えるかもしれません。

 筆者は、貨幣の根源価値は、財の交換触媒価値だと思います。 
ということは、一見貨幣の価値に見えているものは、その向うにある交換対象の財の価値、あるいはその財を生産する、生産力の価値だと考えられます。

3.デフレが財源論
 こうしてみますと、デフレ日本は不換紙幣という触媒が不足し、財の交換が不足している状態と言えるでしょう。
新たな生産力の源泉となる失業者や、休止している設備投資は豊富ですので、触媒となる不換紙幣量を増大させれば経済交流が増え、実質GDP増大が期待されます。
失業者が多く、遊休設備が稼働していき、デフレギャップが解消すれば、マイルドインフレ化し、名目GDPも増大し、税収は大幅に増えるでしょう。

 日銀をはじめ、金融緩和批判を繰り返す人々は不換紙幣自身に触媒としての価値以外の何かの価値があり、金融緩和などで不換紙幣量が増大すると、その価値の毀損が起こるという論陣を張ります。 
 確かにインフレ状態で失業者も自然失業率状態で、遊休設備もあまりなければ、触媒を増やしてもそれ以上財の交換速度は上がらず、触媒量増加は有害でしかないでしょう。 しかし、財の交換速度が落ちているデフレで不換紙幣という触媒を増やすことは何の害もなく財の交換速度、つまりGDPを増大させられるということを理解していないように思えます。


デフレは触媒不足?

【コラム1】不換紙幣債務論批判

日銀の採るこの「不換紙幣も債務」という考え方には、建部正義、三宅義夫、浜田幸一などの経済学者が反論しています。*2
 要するに不換紙幣が中央銀行のBSの右側に債務として記載されるのは、昔兌換紙幣が正貨(金)の借用証だった時代の名残に過ぎないものと思われます。 勿論中央銀行が何らかの資産を買い入れて中央銀行券を発券している限り負債の項に書いておけば見かけ上バランスはしますが、そもそも、中央銀行の不換紙幣というものは、通常の会計上の意味では資産・負債・資本のどれにも当たらない性質だと思えます。 つまり、会計学ではただ中央銀行の不換紙幣のためだけに、バランスシートに「不換紙幣」という項目を作らなかったということに過ぎないのではないでしょうか。 

【コラム2】 マルクス経済学でいう「交換価値」との関係

 筆者はマルクス経済学は殆ど学んだことはない者で、最近になって「交換価値」という言葉がマルクス経済学で使われているのを知りました。 このマルクス経済学でいう交換価値と、上述した貨幣の交換触媒価値とは全く別の概念です。
 マルクス経済学で論じられた「交換価値」とは、例えば米1キロと布1平米が物々交換で交換可能といった場合に、(交換当事者にとって)それら両財の便益が等しいという極めて当然な観察事実を述べているものです。ところが、マルクス経済学では、この交換価値について、交換当事者にとっての主観的価値、とすべきところを、普遍的に誰でも認める絶対価値と暗黙に仮定したため、逆に言えば、1日に米1キロしか手に入れられない貧しい労働者(日給500円)と米1キロなら1分で稼ぐ年収2.5億円の経営者の労働価値を等価とする誤りを経済理論に内包しているのではないかと思っています。

【関連記事】
デフレ金融史の解剖
お金の成り立ちとその背景
サルでもわかる水と金の価値の違い

*1:たとえば、以下のウェブサイトを見てみましょう。
http://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/011.htm
H8年、消費税+法人税所得税でみると、合計40兆円だったものが、消費税増税のH9年こそ、42兆円となりました。ただ、所得税法人税は既に1兆円減っています。それがH14年には合計34兆円、H23年には合計32兆円とトレンドは右肩下がりとなっています。税収を司る財務省・主税局長は、事務次官や主計局とは異なり、消費税では税収が減ると国会で答弁しています。

*2:例えば、館龍一郎・浜田宏一(1972)『金融』岩波書店、建部正義(1997)『貨幣・金融論の現代的課題』大月書店p17など。