シェイブテイル日記2

シェイブテイル日記をこちらに引っ越しました。

アベノミクスの本質とは何か

無茶苦茶ご無沙汰しています。 個人的に色々と忙しいことと、アベノミクスへの期待が失望に変わっていったことからブログの更新を怠っておりました。

さて、久々にブログを更新しようと思ったのは、アベノミクスの現状を端的に示す2枚のグラフをお見せしたかったからです。

言うまでもなく、アベノミクスとは(1)大胆な金融政策 (金融緩和)、(2)機動的な財政政策 (財政出動)、(3)民間投資を喚起する成長戦略 の3本の矢であったはずです。

大胆な金融政策については、GDP比でみたとき、世界金融史上にも例をみないほどのマネタリーベース拡大などがいまも続いています。
また成長戦略についても、有効性はともかくとして、経済特区働き方改革などなど各種の施策が矢継ぎ早に打ち出されています。

しかし、財政政策についてはどうでしょうか。

図1のグラフは、財務省ウェブサイトに掲げられた一般会計の歳出状況のグラフを分かりやすく改変したものです。 *1

     図1 一般会計歳出の状況
      出所 財務省ウェブサイト
     歳入・歳出のグラフから歳出部分のみを示した。
     グラフ上部の西暦では、アベノミクス期('13年−)を強調表示している。

アベノミクス初年度の2013年こそ歳出規模で100.2兆円と、民主党政権時代の前年度比で増加となりましたが、その後は一進一退、今年度に至っては97.5兆円と、消費税を上げる前の民主党時代と同等あるいはそれ以下の緊縮財政となっています。
安倍政権になってから、消費税増税社会保障関係の事実上の大幅増税を断行したにもかかわらずです。

差し引きでいえば、アベノミクスとは、民主党時代よりも一層、緊縮財政指向の経済政策だということです。

85年ほど前の高橋財政ではわずか1年でデフレ脱却しました。
物価は、高橋財政前年にはGDPデフレータでマイナス10%近かったものが、翌年はゼロ%更に翌々年には3%と、それ以上上げる必要がないレベルとなりました。

その高橋財政初年には財政規模を前年比でなんと23%ほど拡大しました。*2
一方、アベノミクスでは初年こそ前年比で1.5%ほど拡大したものの、あとは一進一退です(図2)。

図2 アベノミクスと高橋財政 財政規模前年比推移
アベノミクス期の財政規模は対GDP比、高橋財政期は対GNP比それぞれの前年比。
アベノミクスは近年の経済統計から、高橋財政期については「昭和恐慌の研究」(p252)から算出した。
高橋財政では、4年目以後は過剰インフレ気味から財政抑制策に転じて軍拡を求める軍部の恨みを買い、
1936年の2・26事件につながった。

私としましては、金融政策が多少の為替への効果を通じての製造業支援になっていることなどは否定しませんが、円安は輸入業者から輸出業者への所得移転政策とも考えられます。
日本経済には再配分は更に必要とは思いますが、必要なのははごく一部の儲け過ぎの人から大多数の低所得者へであって、本質的には輸入業者から輸出業者への所得移転が求められている訳ではないでしょう。

また成長戦略はサプライサイドを拡大しようとするものですから、デフレを脱却してはじめて重要性を持つものではないでしょうか。

安倍首相をはじめとするアベノミクス推進者たちが、なぜ85年前の鮮やかなデフレ脱却の成功事例を省みることなく、人気絶頂の政権奪取後から支持率が無残に下がった今に至るまで、無為に時間を費やしているのか首をひねるばかりです。

【関連記事】 2014-08-15 アベノミクスと高橋財政を比較してみた

*1:引用先のp4グラフ

*2:対GNP比

すべては銀行の信用創造行動から始まる

皆さんは、おカネはどこで生まれるかを考えたことはおありでしょうか?
通貨の供給ルートとして、しばしば「信用創造」として、銀行に預けられたおカネが引き出しに備えた準備預金を除き、再び別の銀行に貸し出されるモデルが紹介されることがありますね。 
しかし、あの教科書に載っているモデルは間違いなんです。

おカネはどのようにしてうまれるか。
これについて、本日は、Twitterでのやりとりの延長で、横山昭雄氏の「真説 経済・金融の仕組み」を一部抜粋してご紹介します。

横山昭雄 「真説 経済・金融の仕組み」 p80-p84より

第3節 真の通貨供給メカニズム−モデルI

■すべては銀行の信用創造行動から始まる
いま歴史のコマを早回しして、現金・キャッシュが全く不必要なまでに信用化の進んだ金融・経済機構を想定してみよう。そこでは一切の取引・決済が預金通貨の振替、手形・小切手の授受を通してなされるため、銀行券・補助貨は全く不必要になる。また、政府の財政活動に伴う金融的諸取引、外国との貿易・資本取引に絡む諸金融現象についても、当分の間これを考慮の外に置くこととしよう。
この信用経済(これをモデルⅠと呼ぼう)の構成メンバーとしては、中央銀行とA、B二つの市中銀行信金・信組・農協等すべての預金受け入れ機関を含む概念)、資金を需要する甲、乙、丙、…等複数の企業とa、b、C、…等多数の家計があるとしよう。
この進んだ信用経済における、たとえば10000のマネーストック(全額預金通貨)は、どういうプロセスを経て供給されるのだろうか。
それは、銀行の(主として対企業)″貸出″行動を通して供給される(より広くは信用供与、つまり相手方への貸出のほかに、相手方からの有価証券買い取り・引受をも含む概念。以下便宜のため"貸出"なるタームをもって与信全体を意味することとするが、必要に応じて有価証券取得をも含む与信概念にも言及)のである。

今、一般企業と同様、利潤追求企業としての銀行Aが、企業甲の設備資金借り入れ需要(800)に対応する、とする。
(中略)
この時の取引関係の経理処理を、複式簿記の手法によって示せば図3-1の通り。つまり、銀行は貸出を行い、その反射行為として、自己の負債としての預金を創出するわけである。これを信用創造という。まさにM・フリードマンが言う通り、″銀行の書記のペンから預金が産まれる″のである。この後、企業甲が、機械メーカー乙から機械(700)を購入すれば、関係者の貸借対照表(B/S)は、図3-2の通り変化する。
この場合、便宜上、メーカー乙もA行の取引先と仮定する。
A行は、このような貸出活動を、甲以外の多数企業にも行い、トータルで7000の与信残高、したがって7000の預金残高を持っている、とする。同様にB行では3000の与信残と3000の預金残が見合っている、とする。
両行合計で10000の与信がなされ、経済全体として10000のマネーストックが供給されているのである。この時、経済全体のB/Sは図3-3の通り。
さて、以上の話の流れでは、預金とは、すべて銀行貸出・与信行動のはね返りとして創出された″派生預金″であると断じられ、既存の教科書によく見られるような、貸出と無関係な″純預金″あるいは″本源的預金″という概念が全く無視されている点、あまりにもこれまでの常識に反していることに触れておく義務があろう。


(中略)

 エコノミスト、つまりマクロの経済を考察している人達が、金融機構全体を論ずる場で、貸出のためには預金獲得が必要といった発言をしたとしたら、これは全くの誤りであると言わなければなるまい。それはたとえば、個人預金なるものをちょっと詳しく考えてみれば、すぐに理解できることなのである。

今ここにA行を取引先とする企業甲、そこに勤務し自宅からの利便を考えて給与振込口座をB行に開設しているサラリーマンaがいるとしよう。今月分のaに対する給与40万円が支払われて、B行におけるa名義個人預金口座に振込まれたとすると、この個人預金40万円は、B行にとって間違いなく、貸出の見返りでない本源的預金である。しかしながら、我々はすぐに、A行においてはその分だけ甲の企業預金が減少していることに気が付かねばなるまい。つまりB行にとっての本源的個人預金40万円の資金源泉は、実はA行における甲の企業預金であったわけである。そしてこの甲の企業預金は、恐らく甲が給与支払に先立って製品販売先丙から代金回収を受けたか、あるいは取引先A行から借入れをしたか、のいずれかによるものであろう。ここに気が付けば、さらに製品販売先丙の決済原資となった丙の企業預金もまた、その取引先B行からの借入れか、丙の販売先企業丁からの代金回収かである……と辿っていくことは極めて容易である。つまり、一行にとって本源的預金であるところの個人預金も、その資金源泉をたぐっていけば、結局銀行組織によってそれに先行して行われた、主として企業向けの与信行動にぶつかるのであり、それ以外ではあり得ないということが判明してくる。非債務者法人の純預金についても、理屈は全く同じことである。

このように見てくると、個別行の眼からは一見貸出に関係のない純預金に見えるものも、つきつめて信用体系全体で考えれば、何処かで行われた貸出の見返り(派生預金)に他ならないのであり、したがって(モデルⅠにあっては)「マクロ的に見るかぎり、貸出と無関係な、いわゆる本源的預金なるものはそもそも存在しない」ということがはっきりとしてくる。我々が、いま批判的に取り上げているフィリップス型信用拡張公式のミスリーディングな叙述ないし誤謬も、結局のところミクロの個別銀行の預金吸収行動と、全金融体系のマクロ的な預金創出メカニズムとを混同したことから起こったもの、と断ずることができよう。

恐らく、以上の話の流れがあまりに通説と異なるため、いぶかしさを禁じ得ないでおられるだろう読者のために、つまり、「それでは、そもそも本当の本源的預金なるものは、この世にないのか」と、戸惑っておられるかもしれない諸賢のために、話を少し先取りして言えば、モデルⅠにあっては、「中央銀行がオペレーションなどで供給する中央銀行預金のみが、全銀行システムにとって、つまりマクロ的に見て、唯一、(市中銀行貸出の見返り・派生ではない)という意味での、本源的預金と称び得るもの」なのである。さらにモデルの制約を取り払った後も、外貨流入などの特殊事例を除き、大筋この考え方が基本となることが判明する。

しかし、ここであわてて付け加えるべきは、「中央銀行信用による中央銀行預金のみがマクロ的本源的預金である」と述べたとしても、それは決して、「この本源的預金がベースとなって信用拡張メカニズムが展開される」などと、言おうとしているわけではない、ということ。むしろ、この〝誤解″こそが、筆者が、本書を通じて論駁したいと考えている最大のポイント。このあと順次、この点について、丁寧に論じていくこととしよう。(以下略)

いかがでしょうか。
>>まさに″銀行の書記のペンから預金が産まれる″

つまりおカネは銀行の貸し出しの際に生まれるという概念、ご理解いただけたでしょうか。

書評 「富国と強兵」

「現代の経済学者の大半は貨幣が何なのかを知りません。」
そう断言されたら、誰しも「そんな馬鹿な」と思うことでしょう。

ところが中野剛志氏の近著、「富国と強兵」の冒頭の数章を読めば、現代の経済学者の大半が貨幣を間違って理解していること、更にはその間違った貨幣観から、日本をはじめ多くの国々で間違った政策を提言している現状にも納得されるのではないでしょうか。

早速引用します。

貨幣の起源
主流派経済学の貨幣観はその開祖たるアダム・スミス以来、金属主義の立場に立ち、物々交換の困難から貨幣が発生する起源を説明してきた。 この金属主義に対立する学説が表券主義であるが、貨幣の起源に関心を寄せる歴史学者社会人類学者の多くは、表券主義の方に与した。それは、物々交換から貨幣が発生したという歴史的事実を発見することができなかったからである。 それどころか、歴史研究によれば、「計算貨幣」や「信用」といった社会制度は、商品交換や金属貨幣の登場よりもはるか昔の古代バビロニア時代以前の文明において、すでに存在していたことがあきらかとなっている。*1

金属主義によれば、貨幣の価値は、貴金属によって裏付けられているはずである。しかし、たとえばイギリスでは、17世紀後半、摩損によって重量を大きく減らした銀貨が流通していたが、物価・地金相場・為替相場にはまったく影響を与えなかった。また、イギリス政府は18世紀末から四半世紀の間、ポンドと金の兌換を停止していたが、ポンドが国際通貨としての地位を固めたのは、むしろこの時期であった。*2

経済とは、貨幣を中心とした社会現象である。経済というものは、貨幣の存在なくしては成り立たない。それにもかかわらず、主流派をなす新古典派の経済理論は貨幣の本質やその起源について、根本的に間違った理解をしている。*3

まず歴史的経緯から、大変簡潔に主流派経済学の貨幣観、「金属主義」の誤りが指摘されています。


それでは、中野氏は正しい貨幣の理解とは何と主張しているのでしょうか。

この金属主義と対立する学説は、通貨の価値の根拠は、その発行主体、とりわけ国家主権の権力にあるとみなす「表券主義(cartalism)」である。表券主義者は、貨幣の歴史的な進化や使用において中心的な役割を果たしてきたのは市場ではなく、国家であるとする。
(中略)
もっとも、主流派経済学も、不換紙幣の出現により、金属主義を見直さざるを得なくなってきており、今日では表券主義を支持するようになっている。 この場合、主流派経済学は、国家権力によって強制通用力を与えられた「法貨(fiat money)」として表券貨幣を理解するのが一般的である。
(中略)
これに対して、L・ランダル・レイは、同じく表券主義に立脚しながら、国家が貨幣を租税の支払い手段と定めている点が決定的に重要であるという説を唱えている。 彼の議論を要約すれば次のようになる。*4
(以下、大事な議論ですが、ここに書くには書評として重たすぎるので、中略。貨幣とは何かに興味がある方は、ぜひ「富国と強兵」を買って熟読ください)

レイは、貨幣とは負債であるという「信用貨幣論」と、貨幣の価値の源泉は国家権力にあるという「表券主義」を結合させたのである。 このような貨幣論を「国定信用貨幣論」(Credit and State Theories of Money)」と呼んでおこう。

「富国と強兵」では、中野氏は貨幣供給に関して巷間に流布している誤解にもきり込みます。

内生的貨幣供給理論
イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣:入門」に続いて、「現代経済における貨幣の創造」という解説を掲載し、その中で、貨幣供給に関する通俗的な誤りを二つ指摘している。*5
 一つは、銀行は、民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸出しを行っているという見方である。
 しかし、この見方は、銀行が行っている融資活動の実態に合っていない。 現実の銀行による貸出しは、預金を元手に行っているのではない。たとえば、銀行が、借り手のA社の銀行口座に1,000万円を振り込むのは、手元にある1,000万円の現金をA社に渡すのではなく、単に、A社の銀行口座に1,000万円と記帳するだけである。 つまり、この銀行は、何もないところから、新たに1,000万円という預金通貨をつくりだしているのである。
 銀行は、預金という貨幣を元手に貸出を行うのではない。その逆に、貸出しによって預金という貨幣が創造されるのである。貨幣が先で信用取引が後なのではなく、信用取引が先で貨幣が後なのである。このことを理解していたジョセフ・アイロス・シュンペーターは「実際的にも分析的にも、信用の貨幣理論(money theory of credit)よりも貨幣の信用理論(credit theory of money)の方が恐らく好ましいだろう」といったが、確かに的を射ている。
銀行による貸出しは本源的預金による制約を受けずに、借り手の需要に応じて行うことが可能である。銀行は、企業家に対して、理論的にはいくらでも資金を貸出すことができるので、企業家は大規模な事業活動を展開し、技術や事業の革新(innovation)を実現することができる。シュンペーターにとって、この信用制度こそが、資本主義の経済発展の中核に位置するものであった。
シュンペーターの指導を受けたミンスキーもまた、次のように述べている。

貨幣がユニークなのは、それが銀行による融資活動の中で創造され、銀行が保有する負債証明書の約定が履行されると破壊される点にある。貨幣はビジネスの通常の過程の中で創造され、破壊されるのだから、その発行額は金融需要に応じたものとなる。銀行が重要なのは貸し手の制約にとらわれずに活動するからにほかならない。 銀行は、資金を貸すのに、元手に資金をもっている必要がないのである。この銀行の弾力性は、長期間にわたって資金を必要とする事業が、そのような資金を必要なだけ入手できるということを意味する。*6

更に、もうひとつの通俗的な誤解についても。

さて、イングランド銀行の解説が貨幣供給を巡る通俗的な誤解として指摘するもう一つの例は、中央銀行が、ベースマネー(現金通貨と準備預金の合計)の量を操作し、経済における融資や預金の量を決定しているという見解である。
この見方によれば、中央銀行ベースマネーの供給が、ある銀行の本源的預金となり、それが貸し出されることよって、銀行システム全体で乗数倍の貸出・預金を形成することになる、いわゆる「貨幣乗数理論」である。この見方が正しければ、銀行による貸出し制約しているのはベースマネーであるから、中央銀行ベースマネーの量を操作することで、貨幣供給の量を操作することができるということになる。
 しかし既に述べたように、銀行は、ベースマネーを貸し出すわけではない。銀行による貸出しは、借り手の預金口座への記帳によって行われるに過ぎないのである。従って、銀行の貸出し(すなわち預金通貨の創出)は、ベースマネーの量に制約されてはいない。もちろん、銀行は貸出しを増やせばそれに応じた準備預金も増やさなければならないので、準備調達の価格(すなわち金利)を調節すれば、銀行の融資活動に影響を及ぼし、貨幣供給を調節することができる。それゆえ、今日の中央銀行は伝統的に、ベースマネーの量ではなく、金利操作を金融政策の主たる政策目標としてきたのである。*7

(中略)
驚くべきことに、経済学の標準的な教科書の中には、イングランド銀行が初学者向けの解説で説いている現実の貨幣供給のプロセスをまったく逆立ちさせたことが書かれており、それが一般に流布しているのである。いわば、現代の天文学の教科書が、天動説を教えているようなものであろう。*8

日本人の著書で、これほど貨幣の本質に踏み込んで、主流派経済学の誤り、およびベースマネー供給を手段とするリフレ政策の誤りをきちんと指摘した本を私は知りません。

そしてこの後も、

−タドリー・ディラードは新古典派経済学の想定(理論の中に、現実の貨幣が存在しない)を「物々交換幻想」とよんだ。
−「アダムの罪」を「ドグマ」にまで仕立てたのがジャン・パティスト・セイだとタドリーはいう。
−貨幣の中立性、セイの法則はともに、「物々交換幻想」から導かれているもの。
−これらが、リカードジョン・スチュワート・ミルら古典派、さらにジェヴォンズメンガーワルラス新古典派にも継承された。
−中でもワルラスは経済全体の需要が供給と均衡するという「一般均衡理論」の体系を確立し、新古典派経済学を主流派に押し上げる上で大きな貢献を果たした。
−主流派経済学は、いまなおワルラスが確立した一般均衡から出発して、分析を精緻化したり拡張させたりしているのである。*9 

と、現実の貨幣とは異なる、物々交換の幻想から出発した、古典派、新古典派、更には現代における主流派経済学が俎上にのぼり批判されています。

特に、現代の主流派経済学については、

主流派経済学は、日常的な意味における時間の概念や(シェイブテイル注:確率分布では表せないタイプの)「不確実性」を無視することによって、経済現象を数理モデルで表現することに成功した。主流派経済学は、分析手法を数学化したことによって、数学的な分析こそが厳密な科学という通俗的な科学観に強く訴えかけ、それによって、社会科学の中でも特に大きな影響力を持つに至ったのである。
しかし、不確実性を排除することは、貨幣の存在意義を排除することである。ワルラス一般均衡理論で不確実性を排除した時、そこから貨幣も蒸発した。
主流派経済学の経済モデルが大前提とする「一般均衡理論」が想定するのは、貨幣が存在しない世界なのである。

と、その理論の中に貨幣が存在せず、まったくもって現実の経済から乖離した代物として、厳しく批判されています。

これらの明晰な記述が、20章近くにも及ぶ「富国と強兵」の1章の中の一部に書かれているのですから、恐れ入ります。

 実は、本書の主題は、主流派経済学の根本的誤りを糺すことにはなく、これら正しい貨幣認識に基づく経済学と、厚みのある地政学とが交わるところに、新たな学問、「地政経済学」という視点があり、この視点から世界を俯瞰するとまったく新たなビジョンが生まれるというところにあります。

ただ、その内容にまで踏み込むのはとてもこの簡単なブログの記述では間に合いそうもありません。

この本は、現在の経済や政治について、いろいろな見解を持つ人々に、ぜひ一度は手にとっていただきたい名著です。

*1:「富国と強兵」p061

*2:同書 p062

*3:同書 p063

*4:同書 p060

*5:Michel McLeay, Amar Randia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economiy' Quarterly Bulletin, 2014b, Q1, Bank of England, pp14-27

*6:「富国と強兵」p067

*7:同書 p069

*8:同書 p070

*9:同書 p074

予想外の大統領


ま。これはともかく。

まさかトランプが大統領になるとは思いませんでした。
事前の予想でも、クリントン優勢が伝えられていました。 これによれば、クリントンが堅い地盤を前提にすれば、フロリダ、ノースカロライナネバダニューハンプシャーの全てでトランプが勝って初めて大逆転、ということでしたが(図1)、現実の選挙では、ライブでクリントンが優勢になった瞬間は一度もなく、トランプ大統領が決まりました。


図1 2016年大統領選 事前予想
[出所] FiveThirtyEight 
日本時間2016年11月09日昼時点。


選挙後にアメリカの選挙区を郡単位で眺めると、中西部どころか実は全米がトランプの赤に染まっていたことがわかります。(図2)
事後講釈的には全米に「隠れトランプ」が多数いたためとされています。*1


図2 大統領選 選挙結果 (郡レベル)
[出所]election 2016 live results

この郡レベルの選挙結果は、英国でのEU離脱時の離脱派の分布を彷彿とさせるものですね。(図3)


図3 英国でのEU離脱派の分布
EU残留派が多数派という事前予想を裏切り、反連邦主義のスコットランドを除けば、
残留派は殆どロンドン周辺部に限られた。


「次期大統領はドナルド・トランプ」と報じられた直後の本日の日経平均株価は1000円に迫る下げでした。

ただ現実の政治の世界を考えると、ウォール街などの支援を受けて1%のための政治を続けるであろうクリントンの従来型政治から大きく舵を切って、米国の中産階級から支持を受けたトランプは、意外と中産階級を厚くする「善政」をしく可能性もありそうです。*2

同時に日本との関係もまた大きく変わるのではないでしょうか。

駐留米軍は抑制される可能性が出てきましたし、日本がロシアと友好を深めることにも抵抗がないということも考えられます。
貿易でもTPP締結についてはトランプは公約通り拒絶するし、日中から貿易では被害を受けていると思っているトランプは保護貿易主義をとる可能性も高くなりました。

日本政府は従来通りに「米国の第51番目の州」として金魚のフンのように米国に盲従することにためらわれる局面も出てくるでしょう。

といったことで、筆者としては、冒頭の「格言」*3とは異なり、トランプが大統領に決まったことは米国内のみならず、日本にとっても好ましい結果になるのではと期待しています。

*1:某IT大企業ではトランプ支持と表明したらクビの雰囲気だったとか

*2:可能性といってもprobability(蓋然性)ではなく まだpossibilityの方ですが

*3:単にダダ滑りギャグです

日銀首脳と巷間リフレ派はドングリの(以下自粛)

一月ほど前ですが、週刊文春で日銀・岩田規久男副総裁の本音(?)を日銀関係者が語ったという記事が載っていました。

THIS WEEK週刊文春
量から金利へ回帰 リフレ派終焉で岩田副総裁の変節 2016.10.01 07:02

辞任も覚悟と公言していた岩田氏だが…
 日本銀行は9月21日の金融政策決定会合で、2013年4月から続く異次元緩和の戦略を修正した。市場に流すお金の量を年80兆円ずつ増やす目標をなくし、長期金利を「0%程度」とする目標に置き換えたのだ。

「そもそも日銀の異次元緩和は、デフレからの脱却をめざし、お金の『量』さえ増やせば物価が上がると唱えた『リフレ派』の考えを採り入れてスタートしたもの。今度の修正策はそうしたリフレ派の主張を否定して追いやり、伝統的な金利政策に回帰する色彩が強い」(経済部記者)

この文春経済部記者の見方は鋭いですね。 
「これからは、イールドカーブコントロール(YCC)だ」
と新金融政策を打ち出したかにみえましたが、内実は量から金利への回帰ということになります。

その上、日銀が直接コントロールできる短期金利以外に、市場が決めるはずの長期金利までもコントロールすると宣言したことにより、速水総裁時代の日銀内でリフレ政策を孤軍奮闘唱えた中原伸之からさえ、「イールドカーブを国家管理の下に置くのは戦時下と同じ発想」と斬って捨てられる始末です。*1

さて、先の文春記事に戻ってみましょう。

 長らく異端扱いだったリフレ派が台頭したのは、2012年12月。政権奪回を果たした安倍晋三首相が「大胆な金融緩和」を日銀に迫ったのが始まりだ。リフレ派に近い元財務官の黒田東彦氏が総裁、リフレ派の筆頭だった学習院大教授の岩田規久男氏が副総裁に送り込まれ、日銀はリフレ派の占領下におかれた。

 だが、リフレ派に従った金融緩和策の成果は出なかった。初期こそ円安誘導で輸入品は値上がりしたが、景気は回復せず、円安が一服すると物価も前年比で下落に転じる。金融緩和頼みの限界が見え、黒田総裁は豹変する。

「今年1月のマイナス金利導入でいち早く宗旨替えした黒田総裁はダメとわかれば固執しないタイプ。一方、岩田副総裁はこだわりが強いと見られていたが、最近は『巷のリフレ派は分かってない』などと言い始めて主張を転換。共通するのは自分の責任は認めないこと」(日銀関係者)

岩田副総裁のいう、『巷のリフレ派』とは、誰の、どのような言説を指すのかが不明ですが、リフレ派の理論的支柱であるはずの岩田規久男氏が自らの信者を切り捨てたのだとしたら、リフレ派もおしまいではないでしょうか。 

ちなみに、量的緩和は無意味と主張しているこの私も、「リフレ派」をデフレ脱却が必要だとする人々とする緩い定義ならば、いまもって私もまた岩田規久男氏にdisられている広義『巷リフレ派』()なのかもしれません。

それはともかく、文春記事ではさらに。

 かくしてリフレ派は敗北を喫し、日本経済を使った「壮大な実験」と呼ばれた異次元緩和は、「量」から「金利」重視へ回帰したのだ。しかし、安倍首相を後ろ盾とする前内閣官房参与本田悦朗・駐スイス大使ら日銀外のリフレ派は怒り心頭だ。

「日銀の政策修正には『緩和はもう十分。あとは政府の構造改革規制緩和の問題』とのメッセージも含まれる。『もっとお金の量を増やせ』『まだまだ増やせる』が持論のリフレ派にとっては面白いはずがなく、このまま引き下がるとは思えない」(前出・経済部記者)

 今後も政府と日銀は蜜月を続けられるのか。残り1年半の黒田総裁の任期はそこが焦点になる。

この文春記事は、リフレ派批判に終始し、結局実際にどうやったらデフレ脱却が可能かには触れられずに終わっています。

また、記事中登場する岩田規久男氏といい、本田悦朗氏といい、第一の矢・金融政策と第三の矢・構造改革には関心があっても、第二の矢・財政政策には言及されていません。

ただ実際の消費者物価の動きをみれば(図表1;引用元楽天証券)、消費税という負の財政政策を実施した途端に物価が下がり始めたことは誰の目にも明らかでしょう。

図表1 アベノミクス期の物価推移
[出所]総務省物価指数より楽天証券作成

負の財政政策が物価に直ちに効く(ただしマイナス方向に)、となれば消費税廃止を含む正の財政出動デフレに効かない理由はないでしょう。

ところが、デフレ脱却の責任を負う当の黒田・日銀総裁は、消費税を上げるかどうかの分岐点となった13年8月の消費増税の集中点検会合の席上、次のように強く主張しました

黒田総裁、消費税先送りは「どえらいリスク」 点検会合で発言 2013/9/7付 日経電子版
 内閣府は6日、8月30日に開いた消費増税の集中点検会合の議事要旨を公表した。日銀の黒田東彦総裁が、増税を先送りして金利が急騰するリスクについて「万が一そういうことが起こった場合の対応は限られる」と発言し、予定通りの税率引き上げを求めていた。

 ただ内閣府が内部でまとめた詳しい議事録によると、黒田総裁は金利急騰の危険性に触れ「確率は低いかもしれないが、起こったらどえらいことになって対応できないというリスクを冒すのか」と、政府側に予定通りの増税を強く迫った。

 黒田総裁は国内総生産(GDP)に対する債務残高の比率について現在の約220%から「250%でも大丈夫かもしれない。(しかし)300%でも、500%でも、1000%でも(大丈夫か)といったら、それはあり得ない。どこかでぼきっと折れる。折れたときは政府も日銀も対応できない」と発言。「中央銀行として脅かすつもりは全くないが、リスクを考えておかないと大変だ」と述べた。

 内閣府が公表した議事要旨ではこうした発言を修正・削除している。

この発言により、安倍政権を消費税増税に導いておきながら、実際消費税を上げた結果のデフレ逆戻りにも、消費低迷にも無視し、更には14年11月と今年6月に増税延期されても金利急騰どころかマイナス金利が定着していることにもホッカムリを通しています。 

現在の日銀が黒田東彦岩田規久男体制になって早くも3年半。 その間物価は消費税増税までは多少上がり、その後は右肩下がりで現在に至っています。 日銀では先日、もう何度目かも判然としないインフレ率2%達成時期の先送りを発表しました。 その間皆が忘れている間も日銀の国債買い入れは続いており、効果不明の長短金利調節も始まりました。

もうそろそろ、日銀の中も巷間リフレ派も、この3年半で結果的に効果がはっきりしてきた第ように「二の矢、正の財政政策でデフレ脱却」という簡単な結論に到達しても良い頃ではないでしょうか。

今更ですが、消費税増税は何のため?

 今更ながらの話にはなるのですが、消費税が増税されたのは一体何のためだったでしょう。

政府や財務省、マスコミ、そして国民の大多数も「消費税増税分の使途は社会保障財源に決まってます。」というのでしょうね。 確かに自民・公明・民主の三党合意、正しくは税と社会保障の一体改革に関する三党合意では社会保障の安定財源と明記されています。

問題はお金には色がついていないことです。 本当に消費税増税分が社会保障費に充てられているのかは、自分の頭で一度整理してみる必要があります。

 私たち個人の立場で考えてみると、消費税は8%に増税されて確実にサイフから多く出ていくことになりました。 ところが安倍内閣では、社会保障の「自然増」を1.3兆円削減、公的年金もこの間3.4%削減されました。

不思議な話ですよね。社会保障費に回されるはずの税が増えたのに、国民に戻ってくる社会保障費は確実に減額されているのですから。 

  では、増税された消費税は実際のところ、何に使われているのでしょうか。 右の図は実際の消費税の使途を政府広報の説明通りに図示したものです。*1

消費税増税で増加した5兆円のうち、1割に相当する0.5兆円こそ、子育て支援など文字通りの社会保障充実に充てられるわけですが、残りの9割方は「基礎年金国庫負担」「安定財源確保」が使途になっています。これら、基礎年金国庫負担、安定財源確保という部分は国民に新たに分配されるものではありません。 これまで国債で賄われていたものを消費税で置き換えたわけです。

国債で賄われていたものを、税で置き換える。
これは何を意味するのでしょうか。

ある消費により支払われた消費税は、それを預かり支払い義務が生じた企業の銀行預金から政府預金に振り替えられます。
その政府預金が、国債の代わりに使われる、ということは、要するに、国債は家計の預金量とは無関係に発行可能 - シェイブテイル日記 国債は家計の預金量とは無関係に発行可能 - シェイブテイル日記 でご紹介した、市中消化した国債による財政出動逆回転ということになります。 

ということは、消費税増税分の使途とは、1割が社会保障の充実、9割は負の財政出動ということですね。

そうすると、安倍内閣が主導する「失われた30年」 - シェイブテイル日記 安倍内閣が主導する「失われた30年」 - シェイブテイル日記 でみましたように、日本は元々世界の先進国で最も財政出動をせず、その結果、最も名目GDP成長率が伸びない国だったのに、消費税増税はこれに追い打ちをかけるように、名目GDPの抑制策というだけであり、「社会保障の充実」のための消費税増税というのは絵に描いた餅、もっとはっきりいえばウソ、ということです。

アベノミクスはデフレ脱却を掲げ、第一の矢では総額400兆円を超すほどのマネタリーベース(殆どは日銀と金融機関の間を行き来するおカネ)を積み上げながら、最近ではコアコアCPIもマイナス圏に転じ、黒田日銀総裁も自分自身の任期一杯までのデフレ脱却を曖昧にするところまで見解が後退しています。

ではなぜ、財務省は日本経済潰しにしかならない消費税増税を、こうした国民に対するダマシ打ちで強行しているのでしょうか。
ここが私もよく理解しかねる点でしたが、元財務省出身の高橋洋一氏はこの点に明確に答えを出しています。

”歳出権は予算上の歳入がポイント、これが増えれば予算編成がら楽になりかつZは各省からありがたがられる。予算上の歳入を増やすには増税が手っ取り早い。経済成長で増えるのは決算上の歳入だが、これでは歳出権は大きくならない。*2

財務省の役人に本音を語ってもらえば、
「歳出権という省益増大のためというが消費税の存在意義であり、その消費税により日本経済が半潰れになろうが知ったことではない。社会保障のための消費税などという虚構に騙される国民が悪い。」
ということになるのでしょうか。

*1:図の出所はこちら

*2:Twitter2016.10.23

「国民1人当たり830万円詐欺」には気をつけよう

報道によれば、財務省から6月末時点での「国の借金」について昨日新たな発表があったようです。

 財務省は10日、国債と借入金などの残高を合計した「国の借金」が6月末時点で1053兆4676億円になったと発表した。

 3月末時点から4兆1015億円の増加で、不足する税収分を賄う国債の発行額が増えた。7月1日時点の人口推計(1億2699万人)を基に単純計算すると、国民1人当たりの借金は約830万円になる。

国の借金1053兆円=1人当たり830万円―6月末 
     時事通信 8月10日(水)17時58分配信


ほぼ同様の報道は同日、日経新聞朝日新聞産経新聞からも報じられています。

改めていうまでもないことですが、日本の国自身は対外資産が340兆円と世界一であることはこれらの報道機関自身が報じていますので、「国の借金」1053兆円という報道は誤りであり、正しくは「政府の家計などに対する負債が1053兆円」であり、報道とは逆に「国民1人当たり830万円の借金を政府が抱えている」という表現が正しいことになりますね。

その根本的間違いを一旦おくとしても、政府の債務1053兆円を「国民1人当たり830万円」と報じられていることを世界的企業トヨタに置き換えてみましょう。

直近の決算では、トヨタ自動車は売上28兆円、従業員35万人で、有利子負債よりも利益剰余金・現金同等物・株主資本を合わせた金額が多い、実質無借金経営をしています。

ただ、負債はないわけではなく、ないどころか、負債総額は29兆円もあります。
ということは、実質無借金の優良企業トヨタ自動車でも、従業員1人当たりにすれば85百万円もの借金を抱えていることになります。

もしある日、トヨタ自動車の社長が従業員に「あなた達従業員は現在85百万円もの借金を抱えているので、将来の従業員にツケを残さないために、給料から8%、2年後からは10%を天引きして借金を返済します。」と発表したら、従業員は全員、社長が気が触れたと思うことでしょう。

財務省時事通信日経新聞朝日新聞産経新聞など報道各社は、これと同様に、世界一おカネを海外に貸している無借金経営の日本について、気が触れたとしか思えない内容の報道を毎度毎度繰り返し、消費税増税が必要と唱えています。

本当にこれらの人々が気が触れていて日本は破綻寸前と信じているのならお気の毒なことで、としかいいようがないのですが、気が触れて財政破綻を信じている人たちが、ちゃっかり3年連続の公務員人件費増額を決めたり、消費増税時には新聞への軽減税率を求めたりもしないと思うんですが。

皆さんも、横行する国民1人当たり830万円詐欺には騙されないよう、十分気をつけましょう。